極光絶死(後編)
これからこの小説の本編を投稿し始めます。
その間、サンチェスの投稿は一旦休止しますが、どちらも是非一度や二度だけでなく、三度五度と読んで見て下さい。
―――意識が、朦朧としている………
普段と比べて明らかに莫大な量の魔力を一気に使ったから、全身の機能が低下しているのだろう。
ああ……段々と思考にも靄がかかって来たような感じだ。
そのまま、眠ってしまいたい。すべてを忘れて、眠ってしまいたい。
私の持つ激情も、それを要因として引き出された禁呪も、今の現実も、全てを忘れて眠りたい。
朧気に見える視界の端、誰かが倒れていた。
そう言えば、私は何に魔力を使ったのだろう………。
一気に体内の魔力が枯渇した、と錯覚させるほどには強大な魔術だった。
そうだ―――。私は引きだしたんだ。〝絶死の聖女〟の力を。
そして、その力が暴走して、お父様に―――――。
「………お父様、ッ……!」
私は勢いよく、体を起こす。
一気に体を動かしたことで、節々が痛んだ。
暗闇の中で開き切っていた瞳孔に一度に入ってくる光が私の視界を明滅させる。
一気に視界が暗転したような気がして、私はふらつくが、どうにか体勢を立て直し、歩みを進める。
目の前に、お父様が倒れていた。
『チトリス、魔術は如何に早く打つかだ』
『最練度の錬金魔方陣でなければ、構文短縮は不可能だ』
『早く、高い精度で、少ない魔力量で』
『それが出来れば、私にだって勝ち得る』
自分が死に際に立っているわけでもないのに、走馬灯のようにお父様の言葉が蘇る。
私は、お父様を憎んでなどいなかった。
お父様の、字面だけの誉め言葉は好きになれなかったし、そのような言葉ばかりの説教も、はっきり言って嫌いだった。
そんな言葉を並べられても、嬉しくなどならない。それどころか、劣等感にばかり苛まれたから。
けれども、言葉の裏に隠れたお父様の誉めよう、という気持ちは分かったし、不器用ながらに如何にかして褒めようとしてくれるお父様は好きだった。
だけれども、こうして倒れているお父様を見ても、涙は一粒も零れない。
―――父を愛していない証拠じゃないのか
誰かが、囁いたように感じた。
―――愛情よりも、憎悪の方が――越えたいという激情の方が強かったんだ、ずっと。
これは、私じゃない。〝絶死の聖女〟だ。
ただ静かに、語り掛けてくるように囁く彼女は、自身の激しい憎悪を、誰かに、何者かに、何物かにぶつけないと気が済まないのだろう。
なんと、空しいのだろうか。
そして、他人を否定しながら、自分の愛情を肯定する証拠を持たない私は、それ以上に惨めだ。
―――私は、父を殺した悪女なのだろうか
―――どうしても、後進的な感情ばかりが増幅される
どろどろとした訳の分からない情念が、私の中でぐちゃぐちゃと煮えくり返っている。
肯定的な思考を持っていこうとしても、門前払いされるようで、悲観的なことしか考えられない。
それも、仕方がないことか。目の前で父が死んだのだから。
勿論、死んだという確証はない。
それでも、魔術を行使した時の感触が、幼い時の魔術練習で、間違えて美しい蝶を殺してしまった時の感覚を彷彿とさせて、人の命を奪ったのだ、ということを実感させた。
ああ……、お父様はこれまで、どのようなことを思って生きてきたのだろう。
私が自分の足元にも及ばない実力で魔術を行使し、風が起こった、とはしゃいだ時、お父様はどう思ったのだろう。
いとも滑稽だ、とでも思ったのだろうか。
私が分家の当主であった人を模擬戦で討ち果たした時、お父様はどのような感情をもって、どんな目で私を見ておられたのだろう。
自分なら、もっと早く、効率的に倒せた、と考えていたのだろうか。
いや違う。
お父様は、どんな時も、私を愛をもって見て、接していた。
何処にも、そんな優越感を感じる要素はなかった。
ただただ、私を―――。
―――そうだ、私はずっと、愛されていたんだ
―――愛されていたからこそ、その愛に応えたかった
―――お父様が不器用なのと同じで、私もだから
―――お父様を超えることでしか、愛に報いることを考えられなかった
―――だから、お父様を超えたかったんだ
―――これは、お父様と自分を比べての劣等感でも何でもない
―――これは、私なりの愛だった―――
気付けば、目の前にお父様の顔があった。
何時の間にか駆けだして、お父様の近くで蹲っていたんだろう。
「……っ、………っく」
お父様、と呼び掛けようとするけれど、上手く声が出ない。
自分からは出ないと思っていた涙が、何時の間にやら嗚咽と共に漏れ出していた。
「ぅぁ……お、父っ様……ぁ」
如何にかして絞り出した声は、嗚咽に塗れてはっきりとしない。
目元は嫌なほど濡れて湿っているのに、喉は異様に乾いて、それでいてぬめりとしていて。
上手く声が出ないだけでなく、出そうとすると変にねばついた。
これが、泣く、ということなのか。
「……お父様ぁ、ぅお父様ぁぁ」
声を出せば出すほどに声が枯れて、ねばついて気持ち悪くなっていく。
それでも、声を出さずにはいられなかった。
お父様との最期が、あんな風に喧嘩のようだったというのに、私からは懺悔の言葉も出ない。
それでもただ、お父様、と呼び掛け続けた。
懺悔の言葉は吐きたくない。吐いてしまえば、楽になるかもしれない。
罪悪感が薄れるかも。でも、そうすれば本当にお父様の死を認めてしまうみたいで。
そんなのは嫌だ、と本能が叫んでいる。
脳が拒否している。
「ただ……っぁ…認めてほしかったぁ……」
お父様、と呼び掛け続けて、やっと他の言葉が出てくる頃には自分の顔も、お父様の顔も、周りの土も、私の涙でぐしょぐしょに濡れていた。
でも、まだ止め処なく涙が流れ続けている。行き場のない、悲観的な感情を洗い流して、土に沈めてしまおうとするように、今も流れ続けている。
「お父様ぁ、もう一度……笑って、下さい…ぃ」
「もう一度、王国随一の魔術師として、お父様として、誇り高く笑んで下さい……」
もう、それはお願いというより懇願に近かった。
今更、どうしようもないというのに、そんな願望が、切に願っていたことが、溢れ出す。
「まだ、生きててくださいよ……ぉ」
「はは、可愛い娘にそこまで言われたら、生きないわけにはいかないなぁ」
落ち着いた笑みと、どこか乾いた笑い声。
それを聞いて、私の涙腺は先ほど以上に大きく決壊した。
驚くより先に、涙が流れる。
もうそろそろ涙が枯れるころかと思っていたのに、どこにため込まれていたのかわからないほど、涙がボロボロと零れ落ちる。
むくりと体を起こしたお父様が軽く自分の身体を触れて確かめながらハンカチを取り出した。
「大丈夫だ。私はこれくらいのことでは死なない。まあ、今回は死ぬかもしれない、と本気で思ったが」
場違いなほど、明るい表情を浮かべながら、お父様が私の目元にハンカチを当て、涙を染み込ませた。ハンカチの角に涙で出来た染みが見える。
「ほんとに、お父様………?」
何とも、間抜けな質問だということは分かっていたけれど、未だ実感がなかった。
お父様がこの場に、生きている、ということが。
「確かに、あの一撃は致命傷だった……。だが、私は今、こうして生きている」
はっきりとした物言い、ちらりと足を見てみてもしっかりと実体があった。
最後に自分の頬を思い切り叩いてみたけれど、やはり夢でも何でもない。
―――良かったぁ………
次は安堵が迫り来て、私は衝動的にお父様に抱き着いた。
先ほどまで気絶していたのが堪えるのか、お父様は私の勢いに押されて少しよろめく。
「ごめんなさい、あんな事を言って……お父様は―――」
私を褒めようとしてくれていたのに、と続けようとして言い切る前にお父様が私を強く抱きしめ返す。
「大丈夫だよ、ここに二人とも生きているのだから」
ちらりとお父様の目元を見ると、一滴の水滴が付いていることに気づいた。
先ほど、私の涙を拭いたままに自分の顔についた涙も拭き取っていたのに……。
その水滴が何なのか分かって、少し親近感を感じた。
―――お父様も、人間なんだ
明日の午後9時に番外を投稿します。