山内
家に帰った。
由紀さんは警察に行って相談したっていう実績を作っておきべきだと言ってくれたんだけど私はどうしてもそうする気になれなかった。どっかのバカがうちに火炎瓶を放り込んだときの警官の冷ややかな声と態度を思い返してしまって警察が頼りになるものだ、という価値観が私の中で吹き飛んでしまっていた。
迷った末に木元にだけ「こーいうことがあったんだけど」と相談してみたが、返ってきたのは『俺いま九州』だった。長距離トラックの運ちゃんやってる木元は肝心なときに近くにいない。頼りにならない。けっ。
ついでに「山田さんって連絡つかない?」と送る。
どうも兄と被害者五人と山田さんと桐山さんの間に「なにかあった」のは間違いなさそうなのだが、じゃあそれが具体的に何なのかというとまるで見当がつかない。野球サークルでわやくちゃやってたウェイ系の大学生らしいくっそくだらねえことなんだろーなということだけなんとなく思う。
桐山さんも叩いたら埃は出そうだがあの調子だと私と由紀さんがなんか訊いても答えてはくれなさそうだった。もうちょい慎重になるべきだったな。性格上無理だが。
『山田はむずいと思うけど、まあ伝手あたってみるわ』
ふうん。さんきゅー。
『キリやんブチギレてたけどおまえなんか変なこと言ったの?』
んーあー、どういうやりとりがあったのか微妙に説明しにくいな。
一応、掻い摘んで伝えたけど木元が正確に理解してくれたかはわかんない。
「つーかなんであんた由紀さんに協力してんの?」
『たぶんおまえと一緒』
あ?
『俺も昂輝がなんであんなことしたのかちょっと知りたい』
……そっか。
『まあとにかく戻ったら一回そっち行くからなるべくそのおっさん刺激しないようにな。それから俺も青山さんの言うように警察行って、相談しとくのがいいと思う』
んなこと言われてもな? 時間取られるのも煩わしいし。と、私は木元の言葉を適当に聞き流してペンタブに向かう。
数日して山内に描きあげた絵を送ったら打ち合わせしたいと連絡がきて電車に乗ってファミレスに行く。平日の昼間ならさすがに清水のおっさんは仕事してるだろうから大丈夫かなと思ったが、あのおっさん営業職で平日でも車乗りまわしててこのへんうろうろしてるみたいだからそうでもないんだろうか。いや、電車乗ってたらさすがに大丈夫か?
なんかこう、疑心暗鬼になるな。
ファミレスに着いて先に座ってノーパソ睨んでる山内の前に座る。
「待たせました?」
「いえいえ、ほんの五分くらいです」
山内がにこにこして答える。
まあ待たせてたとしてもべつに遅刻したわけじゃねーからどうとも思わんけど。
どうでもいいけど“待った?”、“五分くらい”って彼氏彼女みたいなこと言ってんな。
前の分の絵を納品して恒例の「シコい、シコくない、飯野さん(作者さん)の意向はー。あの作品みました?」といういつもやりとりのあとで山内が「相羽さん相羽さん、知ってます? ここでちょっとしたボヤ騒ぎがあったんですって」と言ってきた。
「へえ」
べつに興味なかったから生返事になる。
「なんでもゴミ箱が出火元だとか。ぬいぐるみに中に電池式の盗聴器っぽいものがあってそれが密閉空間で高温になって燃えたらしいです」
へー、ほー。
ぬいぐるみに盗聴器ねえ。
「……うえ?」
間抜けな声が出た。それあれじゃね? 叔父さんが渡してきて私が放り捨てたやつ。
「どうしました?」
山内にプライベートのことを言うのがなんだかなと一瞬思ったが、あんまりにもまっすぐこっちを見るからなんとなく隠せない気がして、かくかくしかじかでー、と事情を説明する。女友達 (べつに友達じゃねーけど正確な説明が難しいからこういう括りにするしかない)といるときにその子が後ろからおっさんついてきてることに気づいてそれが親戚のおっさんだった。店入ったら中入るわけでもなく店の前で張ってるのを確認したから誤解じゃないっぽいことを話す。「警察には?」というやりとりも繰り返すことになって若干うんざりする。次に「ご両親には?」。私は「もうガキじゃねーんすから」と言ったが山内は「二十二歳なんて大人からしたらまだ子供みたいなもんです」山内は珍しく眉間に皺を寄せて難しい顔をする。
そう言われても兄の件で周りから責められまくって家を手放し職を手放しでノイローゼ気味、鬱気味になってる両親の負担を余計なことで増やしたいとも思えない。
黙ってる私に山内が「危なかったら呼んでくださいね。ぼく飛んでいきますから」言う。
「いや、たぶん呼ばねーと思いますけど」
こないだの「逃げましょう」、「ないっすわー」のときみたいに「はははー」と続くのかなと思ってたけど山内は一ミリも笑わない。“おまえは危機感が足りない”と言わんばかりの真剣な顔で私を見つめてくる。警察行けよって視線で詰めてくる。
それでもやっぱり私は行きたくなくて、自分の中で火炎瓶事件のときの警察官の態度ってのが自分で思ってるよりもトラウマだったことに気づく。当時の私はまだ子供で公的機関ってやつをそこそこ信頼してたんだ。それが根本からひっくり返された。少なくとも火炎瓶の件については私たちが被害者だったのに。やったやつはおそらく事件と全然まったく関わりのない正義厨の野次馬で、そいつらはなんの正当性も持ち合わせていなかったはずなのに、消防車が水浸しにして焦げ跡の残る我が家にやってきた警察官は「でもおたくの息子が悪いんでしょ」って冷ややかな態度で私と両親を軽蔑していた。
ああ、そういえばそのへんからかな、人混みに出たら他人の目が「おまえは犯罪者の妹だ」って見てるように感じるようになったの。事件のあとで引っ越して地元離れた私のこと知ってるやつがそんなにいるわけないから被害妄想の自意識過剰なのはわかってるつもりだが。
山内は私の中の怯えみたいなものを感じ取ったみたいで、それ以上行けとは言わない。
ぎこちなく仕事の話しに戻って、それが終わると「危なかったらほんとに呼んでください。飛んでくんで」もう一回念を押して伝票持って、そのままちょっと立ち止まる。
「よかったら送ってきましょうか?」
普段だったら「誰に粉かけてんだよおまえ。身の程知れよ」って思うとこなんだけどいま私は結構弱ってるらしくて帰りに電車乗るの嫌でノーパソを閉じて液タブしまって「……お願いします」ぶすくれた声で言う。
不満そうな私がおもしろかったらしくて山内が軽く笑う。レジで清算済ませたあとで駐車場に停めてある山内の車に向かう。乗り込んで、カーナビに私が言った住所を入れる。山内の車が静かに走り出す。
「これなんて車すか」
「アールエックスエイトです」
あーるえっくすえいと。しばらく頭の中で言葉と文字が結びつかなかった。
ああ、RⅩ-8って言ったのか?
「セブンとはかなり違うんすね」
私はコ〇ンの安室さんの愛車のシャープな車体を思い出す。前から見たら糸目が笑ってるような印象を与えるあのぺたんこな車とくらべたら、山内の車はごつくて分厚い。まあ私は車に関する知識なんてほぼゼロでRⅩ-7を多少知ってたのも安室さんの愛車だからだが。
山内は車に関して訊かれたのがうれしかったらしく「ロータリーエンジンのよさとRⅩ-8のハンドリング」について長文で語りだしたんだけど知識のない私にはちんぷんかんぷんで、BGM代わりに片耳で聴いてた。
「その代わりメンテの費用が半端なくてー」
とほほと笑う山内の横顔を覗き見て、ちょっとかわいいなと思う。
そんな金のかかる車に乗る神経は私にはわからんがな。
「寄るところとかないですか?」
「ないです」
「おっけーです。あー、あのー、異世ショタ(ラノベの略称だ)どうでした?」
話題を変えてきたのは自分がしゃべりすぎたと思ったかららしい。
べつに退屈じゃなかったけどな。おまえさぁ、いいやつなのに気を使うとこズレてっからモテねーんだよ。山内を内心で罵倒するのを楽しむ。適当にしゃべってるうちに車が低家賃ぼろアパートに着いた。「ありがとうございました」車を降りるときに山内が“もっとセキュリティしっかりしてるところに移った方が”って言いかけて、私の財布事情を考慮してその言葉を飲み込んだのがわかった。
「気をつけてくださいね。じゃあまた」
それだけ、言って山内を乗せたRⅩ-8が走り去っていく。
多少、明るい気持ちにはなった気がした。