後藤
次の日は出版社に顔出せと言われてたので電車乗って本社に向かった。さびれたダサいビルだ。オフィスは三階にあって、ラノベを中心に出してるちいさいレーベル。「ちわー。山内いますか」入口の近くにいた後藤さん(40代の中年、やせ型、目つきが悪くて無精ひげのおっさん)に声を掛ける。
「いま佐枝さんと打ち合わせ中。ちょっと待ってろ」
後藤さんがめんどくさそーに答えた。
私は舌打ちをひとつ。
「あのシコデブ、人呼び出しといてそりゃねーだろ」
後藤さんが顔を顰める。
「おまえさぁ、山内に頭あがんねーだろ? よくそういうこと言うよなぁ。もっと大事にしてやれよ」
「へ?」
「もしかしてあいつなんも話してねーの?」
「なんすか」
後藤さんは勝手にしゃべっていいものか一瞬悩んだ素振りを見せたけど、にやっと笑って他人の秘密を握っててそれを好き勝手に暴露できる人間の特有の優越感をほっぺたにじませる。喋った方がおもしろそうだ、に内心がビサの斜塔くらい傾く。
「おまえの兄貴の話しが出たときに、リスクたけーからおまえのこともう使わないでおこうってことになりかけたんだよ。それを山内が編集長に食って掛かって、“あんなシコい絵を描く人を使わないなんてありえないです。彼女自身がなにかしたならともかく身内の問題で相羽さん使うのやめるなら、ぼく何人かに声かけて独立して彼女引き抜きます”って啖呵切ったの。うちからおまえに仕事回せてるのは、山内が瀬戸さん丸め込んだおかげ。いまよそからの、少なくとも素性知れてるとこからの仕事ねーだろ、おまえ」
……その通りだった。
うわ、くそ。まじかよ。あいつに感謝したくねー。
眉間に皺寄せてる私を後藤さんがにやにやして覗きこんできてうざかったから話し逸らすために「あいつ上司の前でもシコいとか言ってんすか?」と訊く。
「おう」
山内が部屋から出てきた。続けて出てきた佐枝さん(ラノベ作家さん)がめちゃくちゃ乱暴にドアを閉めて、エレベーターに向かう。山内なに言ったんだろ。
「ああ、相羽さん、すみません。お待たせしました」
後藤さんが意味深に山内の肩を叩いて、編集部の奥へ消えていく。
「?」
山内がなんだいまの? って顔をしてそれがまあいいや、になってハンカチで汗を拭いて私に部屋に入るように促した。大して物がない応接室で私は勝手に椅子引っ張り出して座る。山内が私の向かいに座る。私はなんとなく山内から視線を逸らす。なんかやりづれぇ、と思う。山内なんて所詮山内でシコいシコくないくらいしか言わねーから雑に扱ってこれた。けど知らないうちに借りつくっててこれまでみたいな扱いしたらなんか悪いことしてるような気がする。
「いまさらっちゃいまさらなんですけど、うちにこれ届きまして」
山内がバッグからクリアファイルを引っ張り出してそのクリアファイルから数枚のA4用紙を抜き出す。私の方へ差し出す。内容は「告発」からはじまってて相塚瑞樹は殺人犯・相塚昂輝の妹で相塚瑞樹を使うことは社会的にどうたらこうたらで貴社にとっていいことじゃないよー、とのこと。なんていうか、気合入った文面だった。
「心当たりあります?」
「ありすぎてわかんないっすね」
私はべつに自分がここで仕事してるイラストレーターだって言いふらしたことはないし業界で顔合わせた人も多くねーからこれ送ってきたやつどこで知ったんだろーなとは思う。まさか由紀さんじゃねーだろーし。いや、そもそも由紀さんにイラストレーターだって言ってねーわ。
「ですよねー」
山内がはははーと笑って紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱にぽいっと投げ入れる。代わりにノーパソを出して「いまのイラスト上がりそうならこっちもお願いしたいんですよー」と別のラノベの原稿データと簡単なあらすじ、それから世界観設定をまとめた資料を出してくる。その場で軽く目を通す。山内が「ヒロインのツバキちゃんがシコくてー」とか「サクラくんがかっこよくてー男の子なのにシコくてー」とか注釈入れてくる。おまえそれふつうにセクハラだからな?
「OKです。わかりました」
「すみません、お願いします」
期日の話しとか契約書とか出してきてだいたいいつもの金額だったからその場、一応貰った文章読み込まねーとどんな話しかわかんなくてちゃんと絵にならないので一旦持ち帰らせてもらう。書き始めたらまた連絡する、念のためですが無理そうならいついつまでに言ってください、了解です、という短いやりとりのあと山内がもっぺん「告発文の件ですけど」と持ち出してくる。
「うちは相羽さんの事情をわかった上で使ってるので問題ないです。一応、警察にも相談するつもりなんですが、この文章、くそ長いくせに“相塚瑞樹が相塚昂輝の妹だ”、“だから相塚瑞樹を使うことは社会風俗に反しますよ”しか書いてないんですよね。ようするに、“使うのをやめなかったらこうしてやる”、例えばうちや相塚さんになんらかの害を及ぼしてやる、の部分がないので、微妙に脅迫になってなくて警察が動いてはくれないかもしれません」
「あー、はいはい」
重々承知してる。
だって警察は実家が火炎瓶投げ込まれてリビングへ続く廊下が大炎上したときだって「でもおたくの息子が悪いんでしょ」みたいな態度だった。公的機関ってまじくそだなと思いました。ふぁっく。
山内が言うには、そういう強迫部分があれば威力業務妨害だとかで立件できる可能性が高いし、もしも警察が動かなかったらうちの法務部使ってせっつくこともできるんだそうだ。個人の訴えと企業の訴えで対応に随分差があるんだなぁと理不尽な気持ちになりました。うちの件も弁護士かなんか使ってちゃんとやれたらもうちょっと警察にやる気ださせれたんだろうか? そんな金ねーよ、バーカ。結局世の中、金なんだなぁ。
「あれ送ってきたやつがその“脅迫になってない”、って部分をわざとやってるんなら、こいつ結構手ごわいかもしれません」
「はぁ」
「誹謗中傷が続くってのは体力的にきついもんです。乗り切りましょう。こんなやつに負けちゃいけません」
「ん」
熱っぽい目でまっすぐに私を慮ってくれてる山内の視線を直視できなくて私は目をそらした。「あのー、ここが私のことトカゲのしっぽ切りする可能性ってほんとにないんすか」山内が痛いとこ突かれた顔をした。
「ゼロとは言えないのが悲しいですね」
「ま、そうっすよね」
「SNSの言動とか本当に気をつけてくださいね。悪意のある人ってどんなに些細なことでもこじつけて難癖つけようとしてくるので。なんかムカつくことあったらまずぼくに連絡して愚痴ってください」
「わかりました。代わりに山内さんぼこぼこにして溜飲さげます」
山内が苦笑する。
「もしなんかあったら、相羽さん。ぼくと一緒に逃げましょう」
「あはは、死んでもごめんっすね!」
「ですよねー!」
二人揃ってひとしきり笑い転げたあと、荷物を畳んだ。「んじゃ、わたしは帰って原稿読み込みます」、「はい、お願いします」いそいそと出版社の小さいオフィスを出る。
うちの引っ越し情報とかをネットにリークしてるのも今回脅迫状出したやつなんだろーか。じゃあそろそろツイッター炎上してる頃合いかなぁと思って開いてみたがまだ何も起こっていない。んー? なんでだろ。5ちゃんねるに住所をリークし続けるみたいな粘着質でめんどくさいやつが、私の名前と職業を掴んでおきながら拡散しない理由ってなんだ。
考えてもわかるはずがなかったので脳みそを仕事のことに回す。山内がメール添付で送ってきた原稿データをスマホで開いて目を通す。流行りの異世界転生物でなんでもない平凡な男がトラックにはねられて命を落として異世界に生まれ変わって現代知識とチートスキルを使って金儲けして獣人の奴隷を二人買ってそれなりの教育を施していく話しだ。ざっと読んだだけだが筋はよくある話なのに奴隷の教育の部分だけくっそ力が入ってて子供の反応もほんとにいそうな感じでおもしろかった。主人公が元いた世界では教師だった、って設定をちゃんと使っている感じがする。奴隷の男の子の方がサクラくんで女の子の方がツバキちゃん。サクラくんは生意気で反抗的で多動的で勉強よりも体育が好きなタイプで主人公に何度も噛みつく。ツバキちゃんは臆病で引っ込み思案で、素直というよりは言う事を聞かなかったら折檻されると思って怯えている。二人とも前の持ち主にひどい目にあわされていて、頑なになった心を主人公の優しさにほぐされて蕩かされて段々子供らしいかわいい面が出てくる。ふうん。
なんとなく湧いたイメージで頭の中でスケッチしてみる。
クソビビってるときの周りを敵視する感じと心開いてからの無邪気でかわいい感じのギャップを出したい。
電車を降りたら、駅近くのコンビニで清水のおっさんの車を見つけた。パソコンに向かってたおっさんが道を歩いてる私を見つけて眉間に皺を寄せて「ん?」みたいな顔をする。窓を開ける。顔を出す。「瑞樹ちゃん?」、「あ、どうもっす」、「今帰り? おくろっか? 乗ってく?」、「や、べつにいいっす。歩くの嫌いじゃないんで」、「あ、そう」窓から顔を引っ込めてパソコンに戻った。
あのおっさんこのへんうろうろしてんだな。
ぴろーんとスマホが鳴って、見る。由紀さんからだった。「木元さんから桐山朋美さんの連絡先が送られてきました」。へえ。
…………だから?