表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

青山由紀

 

 由紀さんの寝室と男のどっちから取り掛かろうかと思って、とりあえず男の方からいくことに決める。男のポケットから財布を抜き出して免許証を見る。名前は石川義一。どっかで聞いたことある名前だと思った。「いしかわよしかず」読み上げてみて、山田さんの話しに出てきて木元が出してた名前だと気づく。兄のとこの野球サークルの一人。逆のポケットに入ってたスマホを取り上げる。生意気にもロックが掛かっていた。スプレーとスタンガンが痛くてしくしく泣いてる石川義一に「暗証番号は?」訊く。反応しなかったのでスタンガンを向けた。首を振ったから三回くらい押し当てて聞き直したら教えてくれた。0208。ついでに三発蹴っといた。

 LINEのやりとりを遡ると桐山さんから、由紀さんが二年前の事件のときの写真を持っていることが石川に言われていてバラされたら困る、だから「襲って奪ってこい」という話になったらしい。石川義一は山田さんの件の実行犯としては関わっていなかっただけでもっと過去の似たようなことには参加していた。だから事件のことが明るみに出ると困るらしかった。

 んでクソバカ大学生だった二年前と大して変わってなかったまま、私と由紀さんを襲った、と。溜め息しか出ねえよ。私は自分のスマホで石川義一の写真をパシャパシャ撮って木元に送って「捕まえたwww」文章を添える。『は?』、『カズじゃん』、『なにこれ』、『なにがあった?』、『大丈夫なのか?』、『おまえいまどこだよ』、『すぐいくから場所教えろ』木元が焦って連打してるのがなんかおもしろかった。

 石川義一のスマホについてはまたあとで精査するとして。

 由紀さんは引き出しからおっさんが撮った例の写真の束を取ったところだったらしくて突き飛ばされた拍子に散らばった写真が床に散乱していた。拾ってみて一通り眺めてみる。場所は野球場とか学校とかまちまち。大抵は一人で、誰か人が映ってるのがあっても背景って感じで友達とかそんな雰囲気じゃない。

 しばらく見ていたが、ほんとうにどれもただ由紀さんが映ってるだけの写真なので、おっさんがなぜこれを撮ったのかも、由紀さんがなぜこれを見せたくなかったのかもいまひとつわかんなかった。一枚の写真にちっちゃく兄が映っているのを見つけて私は、ようやっとピコーン! と閃く。他のも見返してみて確信する。これ、兄とツーショットで写ってる写真が一枚もないんだ。兄が映ってる写真はどれも由紀さんが遠巻きに兄を見ている、という構図だった。どう見ても兄の恋人を撮った写真には見えなかった。

 そういや由紀さん倒れたままだけど救急車呼ぶべきか? と思った丁度そのあたりが由紀さんは「ん、んん」目を覚ました。起きてすぐに部屋を見られたことに気づいて、はっ、と息を呑んで「ち、ちがっ。これは」部屋の前に立ちはだかって見えないように必死に隠そうとしてるけどその努力はまったく意味をなしてない。つーかもう見たし。由紀さんはうずくまって頭を押さえてがくがくぶるぶる震えだしてひゅーひゅー荒い息を吐きだす。過呼吸になる。座ってられなくて体を床に横たえる。震えた左手の指先で寝室の奥を指さして、その指先にはノートパソコンがある。見ろってことか?

 暗い寝室の灯りをつけて、パソコンの電源をいれる。パソコンがたちあがったのでデスクトップ画面を適当に見てたら、「瑞樹さんへ」というタイトルのワードのアイコンがあっておそらくこれだろうとあたりをつけて開く。内容を流し読みする。


『瑞樹さんへ この文章を読まれているということは、この部屋のことが暴かれ、わたしがどういう人物なのかもうあなたに知られていると思います。そのときに備えて、誤解が生まれないようにこの文章をしたためているのですが、さて、何から書いたらいいでしょうか?

 やっぱり、わたしがなにものなのか、からにしましょうか。答えは「なにものでもない」のです。私が昂輝くんの恋人だと言ったのは、真っ赤なウソです。私は昂輝くんの姿を遠くから見ていたファンの一人にすぎませんでした。

 私と昂輝くんの出会いは、私の当時通っていた高校近くのコンビニでした。ブラスバンド部だった私は、同級生に思いきり疎まれていました。演奏会の奏者を降りろと絡まれて突き押されて、車に轢かれたカエルみたいに駐車場の地面にへばりついていました。そこへ昂輝くんがやってきました。女の子たちに向かって「何やってるのか知らないけどうるせーしみっともねーから公共の場でやらない方がいいと思うよ」と言いました。それから私の手を掴んで引き起こしてくれました。小中学校ではいじめられていて女子高で男の子に免疫のなかった私は、私を助けてくれた昂輝くんのことをすぐに好きになりました。運命の人だと思い込みました。名前を聞いて、その名前をインターネットで検索すると昂輝くんのことを書いた記事が出てきました。地方大会で試合には敗れたものの存在感を示した、一年生にして才能にあふれた俊足巧打の外野手。確かそんなことが書いてあったと思います。その記事から所属している学校がわかって、その学校の野球部のことを調べると試合の日程がわかりました。

 私は試合の度に球場に足を運びました。野球のことなんてまるでわからないのに。見れば見るほど昂輝くんはかっこよくてすてきで、あのとき私を助け起こしてくれた手を思い出して心の中でずっと暖めていました。

 次第に私はおかしくなっていきました。

 昂輝くんが自分の恋人であるという妄想がエスカレートして、現実を浸食していきました。球場に行っても学校の近くまで行っても、緊張して声を掛けることすらできない現実の自分との落差を思い出して、妄想から覚めたときの虚しさと向き合えなくなっていきました。私はほんとうに昂輝くんが自分の恋人だと思い込むようになりました。これを書いているときは正気ですが、普段の私は狂気そのものでした。それはこの部屋を見ていただければわかると思います。昂輝くんを付け回して何枚も写真を撮りました。プライベートな場所にもいろんな方法を使って潜り込みました。そうしてこんなプライベートな部分を見せてくれるのは昂輝くんがじつは私を愛しているからだという妄想を深めていました。昂輝くんの実際の恋人といさかいを起こしたことも、一度や二度ではありませんでした。おかしいですね。昂輝くん本人には話しかけることすらできないのに、その恋人には向かっていけるなんて。

 そしてあの事件がありました。昂輝くんが同じサークルの大学生五人を殴り殺して逮捕、起訴された。私は「現実」を喪いました。なにもわからなくなってなにも手につかなくなりました。昂輝くんと何の関係もない私には面会にいくこともできませんでした。手紙を届けようにも何を書けばいいのかわかりませんでした。二年間も現実を喪失したままで、まだそのことを受け入れることができませんでした。

 だからあなたに接触しました。最初に瑞樹さんは言いましたよね。「昂輝くんのやったことは報道で言われてる通りだ」って。正気の私はちゃんとそのことをわかってたんです。でも私は「そこに私の存在がない」ことに耐えられなかったんです。昂輝くんが事件を起こしたなら、それは私のためであるべきはずだったんです。

 現実は違っていて、だからなんらかの形で昂輝くんの事件に関わらないと私は生きていけなかったんです。ほんとは真相なんてどうでもよかった。

 昂輝くんがいなくてさみしかった。

 結局のところただそれだけだったんだと思います。

 瑞樹さん、どうか一つだけお願いがあります。私を見捨ててください。関りを断ってください。あなたは私に優しくしてくれました。友達になってくれました。また妄想があふれ出してあなたを傷つけてしまうのが恐いんです。』


 ああ、そう。べつに優しくした覚えはないんだけどな?

 この手紙の中では「兄の彼女といさかいを起こした」と表現をぼかしているけれど、おそらく木元が言っていた傷害事件を起こして三回パクられているというのはこのことなんだろう。木元が「あいつ、誰だ?」って言ってた違和感はまあ解消されて、まるっとぬるっとお見通しになって謎はすべて解けたんだが、だからどうなんだ。

 由紀さんは自分がいわゆるストーカーだったからおっさんが尾行してることにも気づけたし、気づかれにくいストーキングのやり方なんてのも知ってたわけだ。はぁ。こう言葉だけで言われても、由紀さんの狂気的な部分は「兄の妹」である私の前では発揮されていなくて、実際の由紀さんはびくびくおどおどした乳と背がデカくて押しに弱い女で、「妄想があふれ出して瑞樹さんを傷つける」という部分にもいまひとつ理解が及ばない。

 とりあえずこの文章の中で私が共有できたことはたったひとつだけで、それは。

「兄貴いなくなって、さみしかったねぇ」

 これだけだった。

 ねえ、由紀さん。私もさみしかったんだよ。私はこの通りわりと横暴な人間だからさ、思い返してみたら兄貴になんか負担させてたことはわりとあったんだ。兄貴は私のためにファミレスの自分の頼んだハンバーグ一口くれて、カップヌードルのカレー味は我慢してくれて、私が揉め事起こしたらブチギレてる私の代わりに話聞いてくれて私が悪いときは説教して反省促して一緒に頭下げてくれたし、私が悪くないときは一緒に怒ってくれた。野球部の主力選手でドラフトに掛かるんじゃないかってくらい上手で友達に、兄のこと訊かれたりしたら「べつに。ふつうのアホだよ」なんて言いつつ鼻高々だった。ふつうのいい兄貴だったんだよ。

 二年前のあの事件が起こった時には私と木元はとっくに疎遠になってて、親は完全に参ってたし、私は兄貴の不在を誰とも共有できなかった。それを傷痕として閉まっておくしかなかった。そのあといろいろあって私もてんてこまいだったし。

 でもやっと兄貴の不在を共有できた気がする。私には由紀さんの言ってることがちょっとだけわかる。そうだよ。兄貴がなんか派手な事件を起こすんなら、それは私のためであるべきだったのだ。けど違った。兄貴は私と全然関係ないとこで人間を五人ぶっ殺したんだ。私を差し置いて兄はどっか遠いとこへいっちゃったんだ。そしてもう帰ってこないんだ。

「ねえ、由紀さん。さみしかったねぇ」

 私は膝をついて由紀さんに視線をあわせた。

「はい……」

 私の目を見て、蚊の鳴くような声で由紀さんが答えた。

 私たちは石川義一を転がしたまましばらくの間、抱き合って啜り泣いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ