泥の粉飾
普通にイラついて書きました。多分理解の得られるような内容ではないので感想で怒るのはやめてください怖いです。
小説で金持ちになりたいと思ったことは一度もない。金持ちになるために小説をわざわざ書くのは非常に回りくどい。
その事を父に言うと、
「逃げ道を作っているようにしか聞こえない」と言う。父いわく、小説を売ろうとしないのは、小説から逃げているというわけだ。
確かに僕はこれまで努力を惜しんで逃げるような人生を送ってきた。けれど、小説に対してなにかその自覚的な逃走はないし、そもそも勝ち負けという概念を感じたことがない。
ここでいう勝ち負けとはすなわち金が大いに稼げるか、ちっとも稼げないかという意味を込めている。
では僕がなぜ小説を書くのかと言うと、それは「小説家」になりたいからだ。文壇という世界で生きたいからだ。賞に応募して、賛美共感批評を浴びながら少しずつ登壇していきたい。その思いだけだ。
確かに文学賞に一種の勝ち負けは存在するだろう。でもこれは先述した定義とはまるで似つかないものだと信じている。
結論、僕の中で小説家として栄誉を得ることと、小説を売って金を稼ぐことの間には、無限の間隙が存在すると思う。因果の不一致ともいうのか。
僕は小説を書くことが許されるのなら、目の眩むような大金は必要ない。生きていけるだけの金と、後はただ文壇の栄誉が欲しい。
別に小説で金を稼ごうという方の思惑を俗だと否定するわけではない。回りくどいなとは思うけれど。
そもそも父はそうした世界を知らない。真面目に金を稼ぎ、地に足をつけて僕や他の家族を養ってきたのだ。だから、売れっ子になりたいわけじゃないという僕の言葉に一種の曲解を得たのかもしれない。
それでも僕は、自分の内心を泥で粉飾された気がして、とても腹立たしく思った。