954話 王女様は出発する
そして迎えた、一週間後。
この世界における、私の十八の誕生日です。
そして、塔を出てシリア様の下で魔女修行を行う日でもあります。
鼻歌混じりに荷造りをしながら最終確認を進めていると、部屋の扉がコンコンと叩かれた音がしました。
『シルヴィー? シリア様が見えたわよー?』
「あ、はーい! もう少しお待ちいただけますでしょうか!?」
『はーい。じゃあ、私達は応接間にいるからね』
お母様はそう言い残すと、部屋の前から遠ざかっていきました。
私は手早く荷物をカバンに詰め込み、姿見の前で自分自身の最終確認も行います。
控えめなフリルのあしらわれたブラウスに、ロング丈の黒いスカート。
そこへやや明るめな青いケープを羽織っている姿は、どこから見ても貴族令嬢のそれにしか見えません。
こういった格好は、やっぱり慣れませんね。と苦笑していると、いつもの私になり切れていない部分を見つけました。
「……うん。やっぱりこの方が落ち着きます」
前髪で左目を隠し、王家の証である青の右目だけを露出させて微笑みます。
お母様達には「目を出している方が可愛い」と言っていただけていましたが、目を隠さずに過ごしていたこの二週間よりも、隠し続けていた十八年間の方が長いせいで、どうにも落ち着きませんでした。
私はカバンを手に取り、帽子をふわりと被って改めて姿見を見ます。
大丈夫。どこもおかしい所はありません。
扉に手を掛け、部屋を出ようとしたところで、私は一度足を止めました。
その場で振り返り、二週間と言う短い間ではありながらも、私に何一つ不自由なく過ごさせてくれた部屋に、柔らかく微笑みます。
「……お世話になりました。行ってきます」
恐らく、そう遠くない内に政務や社交の場に出るために帰って来ることにはなるのでしょう。
それでも私は、気持ちを入れ替えるためにもお礼を口にし、部屋を後にするのでした。
「お待たせしました」
「ん、来たか」
応接間に入ると、待っていたと言わんばかりにシリア様が立ち上がり、こちらに歩み寄ってきました。
いつもの魔女服に身を包んでいらっしゃるシリア様は、私の姿を頭からつま先までじっくり観察すると。
「……くふふ。何じゃお主、どこぞの御令嬢と言った様子ではないか」
と、茶化すように私の服装を笑ってきました。
「一応、私は王女ですので、身なりには気を使った方がいいかと思いまして」
「うむうむ、その方が良かろう。似合っておるぞ」
シリア様に褒めていただき、自然と笑みがこぼれます。
そんな私を、お母様が後ろからぎゅっと抱きしめてきます。
「良く似合ってるわよシルヴィ~! 本当に、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だわ!」
「お、お母様……! 髪が乱れてしまいます!」
「いいじゃない、後でいくらでも直せば! って、今日は前髪を下ろしてるのね? やっぱり、そっちの方が落ち着いちゃうのかしら?」
お母様はそっと私の前髪を持ち上げながら、そう尋ねてきます。
「そうですね。私はこちらの方が落ち着くのかもしれません」
「せっかく可愛い顔なんだから、目も出した方が可愛いと思うのに……。でもまぁ、オッドアイなんて滅多に生まれてこないし、気になっちゃうのも無理は無いわよね」
「そうだな。だが、無理に隠そうとして危険な目に遭うようであれば、すぐに止めるのだぞ?」
「はい、お父様」
お父様は私の返事に頷き、席から立ち上がります。
そしてお母様の肩を軽く叩くと、応接間の扉に手を掛けました。
「さぁ、シルヴィを見送りに行くとしよう。シリア様もお忙しい方だ、あまり時間を割いていただくのも悪いだろう」
「ふふ、そうね。じゃあシルヴィ、城門までお見送りさせてね?」
お母様は私の肩をグイグイと押しながら、部屋の外へと連れ出そうとします。
そんな仕草にどことなくフローリア様に似た何かを感じながらも、私は苦笑しつつ外へと向かうのでした。
お城を出ると、私達を待っていた御者の方が馬車の扉を開きました。
「お待ちしておりました、姫様。道中、私がご案内させていただきます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
荷物を預け、馬車に乗り込もうとすると、後ろからお母様の声が私を呼び止めました。
「待ってシルヴィ! 忘れ物よ!」
「え?」
何か忘れていたのでしょうか。
自分でも気づかなかったそれを受け取りに戻ると、お母様は私を正面からぎゅっと抱きしめてきました。
「いってらっしゃいのハグ。しばらく会えなくなるかもしれないから……ね?」
「お母様……」
おずおずとお母様を抱き返すと、お母様はより一層抱きしめる力を強めてきました。
それはまるで、本当に最後の別れであるかのようにも感じられます。
ほんのりと苦しさを感じる中に、お母様の温もりと優しさを感じていると、お父様まで私達を抱きしめてきました。
「シルヴィ。辛いことが沢山あるかもしれないが、最後まで頑張るんだぞ」
「はい、お父様」
「辛く苦しい時があっても、それは必ず報われる日が来る。お前は私達の娘だ、絶対に魔女になれるはずだ。だが――」
お父様はそこで言葉を切ると、私達を抱く力を少し強め、優しい声色で続けます。
「ここは、お前の帰る家だと言う事を忘れないでくれ。寂しくなったり、疲れた時にはいつでも帰ってくるといい。私達は、いつでもお前を温かく迎えてやろう」
「そうよシルヴィ。ここはあなたの家で、私達はあなたの家族だもの。それだけは忘れないでね」
二人から向けられる愛情に、私の胸が温かくなるのを感じます。
それと同時に、お父様たちがソラリア様に殺されてしまうまで、私は二人からとても愛されていたのだと言う事がよく分かりました。
その愛情を知ることができなかったという過去は変えられないかもしれませんが、この先の未来ではいくらでも変えられます。
「はい。小まめに、顔を出すようにします」
私自身が、エミリ達にもっと愛情を注げるようになるためにも。
そして、幼い頃に感じられなかった愛情を知るためにも。
私はもっと、二人のことを知りたいと思います。
この世界では、お母様とお父様が生きているのですから。
ひとしきり抱き合い、誰からともなく離れた私達は、お互いに優しく微笑み合います。
「それでは、行ってきます」
「えぇ。いってらっしゃい、シルヴィ」
「くれぐれも、体調には気を付けるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
両親に別れを告げ、私は馬車に乗り込みます。
既に乗り込んでいたシリア様が、柔らかな笑みを向けながら私に尋ねてきました。
「もう、よいのか?」
「はい。それに、お父様が仰っていたように、これが最後になる訳でもありませんので」
「くふふ、そうかそうか」
私が腰を下ろすと同時に、御者の方が扉を閉めます。
それから間もなくして、手綱を引く音が聞こえ、馬車はゆっくりと動き出しました。
私は馬車の窓から、遠ざかっていく王城とお母様達をいつまでも見続けていたのでした。




