952話 王女様は会いたい
白と金が印象的な、魔女のような方。
そして、喋り方が古めかしいのが特徴的。
間違いありません。それはシリア様以外に考えられません!
ここ数日、王族としての所作や品位などについていろいろと学んでいましたが、そんなものに意識を割く余裕などなく、私は王城内を駆け抜けます。
「わっ!? ひ、姫様!? そんなに急いでどちらへ!?」
「シルヴィ様、お待ちください!! シルヴィ様ー!!」
王城内はソラリア様が模して作り上げていた、あの城の内部とほぼ変わらない構図であったため、幸か不幸か迷わずに進むことができています。
途中、王城内で働いている方々に驚かれたり、先ほどの給仕の方を始めとした私専属の方々に呼び止められますが、今は反応している余裕なんてありません。
シリア様に会える。
また、あの生活に戻れる。
それだけが私を支配し、走りにくさなどを一切無視して城門へと駆けていきます。
「ん? ……姫様!? ど、どうしてこちらへ!?」
「どいてください!!」
「いけません、シルヴィ様!! シルヴィ様を止めてください!!」
「りょ、了解した! 姫様、失礼致します!!」
城門を内側で守る門兵の方々が、私を取り押さえようと向かってきます。
数は二人。いつもであれば、ただ武装しているだけの人など脅威に感じられませんが、魔法が使えない今、彼らがより大きく感じてしまいそうになります。
ですが、止まってなどいられません。
この門の先に、シリア様がいるのですから!
私を抱いて止めようとして来た方を、寸でのところで身を捻って躱し、私に伸びてきていた腕を軽く押して通り抜けます。
まさか私がそんな動きをするとは思っていなかったらしい彼は、驚愕に目を剥きながら、派手に転倒しました。
その動きを見ていたもうひとりの門兵の方が、先ほどまでとは打って変わり、集中して私を取り押さえようと向かってきました。
両腕を大きく開き、腰を低めに構えている彼の姿をよく観察します。
恐らく、先ほどの動きを見られている以上、私が左右に避けることは想定済みでしょう。どちらにでも移動できるように、重心を綺麗に中心に置いているのがよく分かります。
一瞬、股下を抜けることも考えられましたが、私の今の服装でそれをやった場合、彼の甲冑に服の端が引っかかるか、盛大にスカートが捲れてしまい、大変なことになりかねません。
となるとやはり、上一択なのですが……。
魔法で強化されていない今の私に、そんなことができるのでしょうか。
いえ、できるかできないかではありません。
やるか、やらないか。ただそれだけです!
「姫様、失礼します!!」
「肩、お借りしますね!」
「は……?」
私が左右に避ける素振りを見せなかったことで、さらに前のめり気味になっていた彼の両腕の隙間から、彼の肩に全ての体重を一瞬だけ載せます。
あとは、グッと力を込めて……!!
「シルヴィ様!?」
「な、えぇ!?」
腕の力で全身を持ち上げ、高台に登るかのような動きで彼を飛び越えます。
そのままふわりと宙を舞い、着地する――ことまでは流石に上手くできず、両膝と両手を突く形での着地となってしまいました。
ですが、思った以上に私の体は筋力があったようです。
これも、毎日の激しく辛い鍛練の成果なのでしょうか。
などと考えながら、私はさらに駆け出します。
ゴールはもう、目と鼻の先なのですから……!
門横の通用門を抜けて飛び出してきた私に、門前で警備をしていた方が驚きの声を上げます。
「おわぁ!? ひ、姫様!?」
「教えてください! 先ほど、あなたに手紙を託してきた魔女のような方は、どちらに去っていきましたか!?」
「え、ええと……あっちの方に……」
「ありがとうございます!」
「あ、姫様!? 姫様ー!?」
門兵の肩が指で示した方へと走っていくと、街の人達からも驚きの声がいくつも上がりました。
それも気にせず走り続けること数分。ようやく追いついたその背中を見て、私は声を失ってしまいました。
「……? 何じゃ、そなたは。儂に、何か用でもあるのか?」
――小道を歩いていたその方は、男性だったのです。
帽子こそ無いものの、白と金の長いローブを羽織り、どこかミステリアスな雰囲気を感じさせるその風貌は、魔女のそれに近いかもしれません。
ですが、髪は灰色で短く、背も随分と高いその男性を、どう見てもシリア様と重ねることなどできません。
「い、いえ。何でも、ありません……」
「そうか? 随分と息せき切って駆けていたようではあるが、親とでもはぐれたか?」
「そんなことは、無いのですが……すみません、人違いでした」
「ふぅん……? まぁいいか。ではな」
その男性は私に背を向け、ゆっくりと去っていきます。
その背中を見送っている私の頬に、汗とは別の水滴が伝っていることに気が付きました。
「私が、勘違いしただけなのに……」
勝手に期待し、一人で舞い上がり、勝手に失望する。
なんと自分勝手なのでしょう。彼に落ち度など、欠片も無いと言うのに。
肩で呼吸をしながら、空を見上げます。
空模様はいつの間にかどんよりとしていて、いつ降り出してもおかしくないくらいに暗くなっていました。
まるで、私の心と同じですね。
そんなことを想い、自虐的に笑ってみると、それをきっかけに涙が止まらなくなりました。
「シリア、様……」
もう立っている気力すら無くなってしまい、その場に崩れ落ちます。
慣れない靴で走り続けた足が悲鳴を上げ、今になって痛みを主張してきました。
痛むのは、足だけではありません。
胸の奥も、これ以上無いくらいに鋭く、それでいて締め付けられるかのように痛みます。
「やだ……やだぁ…………!」
もう何も考えることすらできず、語彙を失った感情が零れます。
ぽたぽたと石畳に染みを作る私の涙の他に、ぽつぽつと新しい染みが増え始めました。
それは次第に勢いを増していき、やがて本格的に雨が降り出してしまいます。
雨に打たれながらも、私はその場から動くことはできませんでした。
泣き止むこともまた、できずにいます。
この先、本当にもう二度と会えないのかもしれない。
そんな未来を示唆するかのように感じられ、私の嗚咽がより激しさを増します。
会いたい。
シリア様と、会いたい。
私の家族と、会いたい。
私と関わってくれた皆さんと、会いたい。
ひとりぼっちに、なりたくない。
「こんな世界で……生きていけない…………!!」
「やれやれ……。やはりお主じゃったか」
今のは、幻聴でしょうか。
シリア様に会いたい一心で、私の頭がシリア様の声を再生させたのでしょうか。
「王女ともあろう者がはしたなく駆けまわり、こんな裏路地で雨に打たれながら泣いているなぞ、国民が見たら卒倒するぞ?」
いえ、これは幻聴ではありません。
だって、その証拠に、私を雨から守ってくださっている方がいるのです。
シリア様だったらという期待。
そしてまた失望したくないという恐怖。
それらが入り混じった私の顔は、それはもう酷いものだったのでしょう。
そっと顔を上げた私を、その女性はくふふと笑い。
「ほれ、王城へ戻るぞ。シルヴィ」
何よりも安心できるその微笑みを携えながら、私に手を差し伸べていました。




