950話 魔女様は感情が溢れ出す
「本当にその選択で、後悔は無いのですね?」
大神様が、念を押すように確認を行ってくださいますが、私は強く頷き返します。
「誰も死ぬことが無く、平和な世界に戻れる唯一の選択肢で、私が力を失うだけで生きていけるのなら、私は躊躇いません」
「お前が愛する家族と会えなくなると言うのに、躊躇わないと言うのですか?」
「……正直に言えば、エミリやティファニー、レナさんやフローリア様、そしてシリア様とメイナード達と離れ離れになるのはとても辛いですし、悲しいです。ですが、二度と会えないと言う訳ではないはずです。例え記憶も失っていたとしても、必ず会える。そんな気がするのです」
「彼女達がお前に会いに来ることは無いと、私が断言してもですか?」
「その時は、私が探しに行きます」
記憶を失っているのに? と言いたげな大神様に、私は少し得意げになって言葉を続けます。
「私とソラリア様は、去年の夏の一日を七百二十日以上繰り返していました。その時の記憶を、ソラリア様は保護して次のループへ持ち込んでいたのですから、世界が作り変えられる時でも持ち込めるはずです。そうですよね、ソラリア様?」
「何であたしに聞くのよ。今はあんたにあたしの力を貸してるんだから、好きに使えばいいじゃない。たぶんできると思うけど」
「とのことですので、私だけは絶対に忘れません。何年かかろうとも、絶対に皆さんを見つけ出して、また一緒に暮らせるようにしてみせます」
私の願望と決意が籠った言葉を大神様は静かに聞いていらっしゃいましたが、やがて小さく頷きました。
「そうですか。それがお前の覚悟だと言うのなら、私は何も言いません。お前の望んだ形に世界を戻しましょう」
大神様はそう言うと、私に手をかざしてきました。
すると、その手のひらに吸い取られるように、ソラリア様からお借りした力まで全身から抜けていきます。
私が今まで積み上げて来たものが、ゼロになる。
体から少しずつ魔力と神力が抜き取られながら、改めてその事実を実感させられます。
少し……いえ、かなり寂しさを覚え始めていると、大きく伸びをしながら立ち上がったソラリア様が口を開きました。
「さ~て、と。それじゃ、王女様の最後のお願いでも聞いてあげますか。これまでの記憶の保護、でいいのよね?」
「はい。お願いします、ソラリア様」
「あぁ、その必要はありませんよ」
ソラリア様が私の肩に触れ、記憶の保護をしてくださろうとした時、大神様がそう言いました。
「シルヴィの記憶の保護は、こちらでやりましょう。それに、今のお前では満足に力を使えないはずですから」
「……はっ。残りカスのあたしでも、それくらいはできるっての。ならお前に任せて、あたしは僅かな余生をのんびり過ごさせてもらうわ」
不貞腐れたように言ったソラリア様は、ぷいっと反対を向いて宙に寝転んでしまいました。
その様子に苦笑していると、何も無い真っ白な空間だった場所が、徐々に色味を持ち始めていることに気が付きました。
それは、これまで私が歩んできた沢山の思い出が散りばめられた、温かな光景の数々でした。
初めてシリア様と出会い、他人行儀過ぎると叱られたこと。
塔を出て、夜空の下で初めて野宿をしたこと。
獣人族の皆さんと知り合い、肉体美を披露され続けたこと。
ハイエルフ族の皆さんと出会い、彼女達の作物に感動したこと。
エミリを家族に迎え入れ、初めて人の温もりを知ったこと。
メイナードと契約し、大空を飛ぶ気持ちよさを知ったこと。
レナさん達と出会い、異世界があると言うことに驚いたこと。
私が育てていた紫陽花の花が、いつの間にか生を受けてティファニーになっていたこと。
この他にも、数え切れないほどの沢山の思い出が、何も無かった空間を彩っていきます。
「……シルヴィ。お前は、この世界を愛せていましたか?」
感傷に浸っていた私へ、大神様が問いかけてきます。
その問いかけには、私は考える間もなく答えられました。
「はい。私は、この世界が大好きです。皆さんと一緒に毎日を過ごせて、他愛のない話で笑いあって……。時には厳しい鍛練や、嫌なことも沢山ありましたけど。それでも、塔を出て色々なことを知ることができて、本当に良かったと思っています」
だからこそ、と続けようとした私でしたが、その言葉は声にならず、代わりに私の頬に一筋の涙が伝いました。
それは次第に勢いを増していき、遂には拭っても拭いきれないほどの涙となりました。
その勢いは私の心の壁をも決壊させ、我慢しようと決めていたはずの本音が零れだしてしまいます。
「私は、皆さんと一緒にこの先も生きていきたかった……! また、いつもの日常を取り戻せるんだって思って、必死に頑張ってきました……! それなのに、私がいなかったことになるだなんて、やっぱり辛いです! シリア様に、また怒られたい……! エミリとティファニーに、美味しいおやつを沢山作ってあげたい! レナさんからもっと、異世界の話を聞きたい! フローリア様が持ち帰る、異世界の色々な物をもっと見たい! メイナードの背中に乗って、この広い世界をもっと見て回りたい!!」
一度決壊してしまった心の壁は、私の意に反して抑え込んでいた気持ちをどんどん吐露させてきます。
「みんなに忘れられたくない……! 傍にいて欲しい……! それなのに、もう会えなくなるかもしれないなんて、考えたくもないです! 私だけが覚えていて、みんなが忘れてるなんて、辛すぎて……!!」
遂には、言葉にすらならなくなってしまい、私は顔を覆ってその場に崩れ落ちてしまいました。
せっかく、全員で元の世界で生きていける選択肢を用意していただけたのに。
こんなことを言ってしまっては、それも取りやめになってしまうかもしれません。
泣き止まないと。これは、私が自分の意思で決めた選択なのだから。
そう自分に言い聞かせてはいるのですが、私の涙腺は壊れてしまったかの如く、涙を溢れさせ続けています。
そんな私の頬を誰かの細い指が触れてきました。
そっと顔を上げると、そこにはどこか優しげな顔つきで私の涙を拭うソラリア様の姿がありました。
「いつまで泣いてんのよ。あいつらに忘れられても、自分が探しに行くとか啖呵切ってたのは嘘ってわけ?」
「すみ、ません……そんな、つもりじゃ…………」
「あーあー、もう取り繕うとか思わなくていいから。で? こんだけ泣かせておいて、はい元の世界で寂しく生きていってくださいーとか、そんな薄情なこと言うお前じゃないんでしょ? 仮にもお前は、この世界を調停するえら~い大神様だものねぇ?」
嫌味のようにそう問いかけるソラリア様に、大神様は頷き返します。
「当然です。それでは何も、ご褒美にはなりませんからね」
「ご褒美……?」
困惑する私に、大神様は柔らかく微笑みました。
「お前が心配するようなことは、何一つありませんよ。あぁ、強いて言うなら……後のことはスティアに任せているので、もしかしたら無茶を言われるかもしれませんが、それは飲んであげるように」
「スティア様から、ですか? あの、いまいち話が分からないのですが……」
「今は分からなくていいのです。分かってしまったらサプライズと言う物にはならないのでしょう?」
どこかおどけたように言う大神様に、ますます謎が深まります。
ですが、それを考える間もなく、唐突に強烈な眠気が私を襲い始めました。
「今はただ、元に戻った世界での生き方だけを考えておきなさい。次に目が覚めた時には、全て良いように回っていますよ」
「それは、どういう……」
ダメです。もうほとんど目を開けていられません。
今まで私を満たしていた魔力と神力の大半を失ったことによる、これまでの疲労のせいなのでしょうか。
何とか抗おうと瞼を持ち上げますが、もう指先ひとつ動かせないほどに全身から力が抜けてしまっていて、私の体は不敬にもソラリア様にもたれかかっている形となってしまっていました。
「それとソラリア。お前には――」
「――ってわけ? ――が――なら、――から――」
どんどん遠くなっていく意識と共に、ソラリア様と大神様が何か会話している声もほとんど聞こえなくなっていきます。
これ以上は、もう……。
そう思った時には、既に私は深い眠りの中に落ちて行ってしまっていました。




