948話 魔女様は運命に抗う
突如聞こえて来た男性の声に私が振り向くと、そこには以前お会いした時のような神聖さを感じられない、大神様の姿がありました。
困惑する私の隣で、ソラリア様が鼻を啜りながら鬱陶しそうに声を掛けます。
「ぐすっ……。今さらあたしの前に出てくるとか、何なのよ」
「お前が正しく、人の心と言う物を理解できたようなので、そろそろかと思いまして」
ソラリア様が睨みつけるように振り返ると、大神様は瞳を閉じながら静かに微笑みました。
「神であった頃に気付けていれば、私ももう少し罰を軽くしていたでしょう。ですがあの頃のお前は、人を軽視し過ぎていた。人のための幸福をという責務をこなすための存在としか、人を見ていなかった。故に私は、お前から神の座を取り上げることにしたのです」
「そーですか。で? 反省したあたしを笑いに来たってとこ?」
「いいえ。むしろその逆……褒めに来たとでも言いましょうか」
「はぁ?」
意味が分からない、と顔と声色で表現するソラリア様を無視して、今度は私に言葉を掛けてきます。
「シルヴィ。よくぞソラリアの心を動かし、打ち倒してくれましたね。人の身でありながら、神と言う絶対の存在に打ち勝ったその技量。揺るがないと思われていた運命を捻じ曲げて見せたその力。賞賛に値します」
「あ、ありがとうございます……」
「そこでお前に、二つの選択肢を与えようと思います」
「選択肢、ですか?」
大神様はコクリと頷き、まず一つ目にと指を立てます。
「一つ目は、ソラリアが歪めたこの世界で生きていくこと。王都は消失し、世界の崩壊まであまり時間が残されていませんが、この戦いで命を落とした者は私の方で生き返らせましょう。もちろん、お前の家族も含めてです」
「生き返らせる……待ってください大神様! その言い方ですと、私の家族の中からも誰かが命を落としたような言い方では!?」
「そう言っています。現時点で、メイナードとシリア。この二人が既に死亡しています」
「そんな……!?」
あのメイナードが、亡くなっている。
あのシリア様まで、命を落としている。
信じたくないその事実に、私は口元を押さえて絶句するしかできませんでした。
そんな私に構わず、大神様は二つ目の選択肢を提示してきます。
「二つ目は、この戦いで負った傷跡を全て消し去った世界で生きていくこと。王都も存続していますし、お前の力を使ってソラリアが破壊した全ても復元した世界です。ただし――」
大神様はそこで言葉を切ると、スッと目を細めて続けました。
「こちらを選んだ場合は、この戦いで命を落とした者は戻ってきません」
「……っ!」
その言葉が指すところは、二つ目の選択肢を選んだ場合は、もう二度とメイナードとシリア様には会えないということです。
壊れてしまった世界で、僅かな時間をみんなと過ごすか。
はたまた、ソラリア様が歪める前の世界で、メイナードとシリア様を失った家族と生きていくか。
究極の選択に、私は絶望しか考えられません。
そこへ、追い打ちをかけるように大神様が付け足します。
「あぁ、それと……。どちらを選んだ場合でも、フローリアを始めとした神々は消えますよ。世界の修復を行うには、私の全権能が必要なので」
「それは、あたしも入ってるわけ?」
「無論です。お前もまた、私を切り出した一部ですから」
即答する大神様に、小さく嘆息するソラリア様。
どちらを選んでも、ソラリア様を助けることはできない。
それではまるで、私が抗った意味なんてなかったかのようではありませんか。
これが、世界の運命と言う物なのでしょうか。
もしそうだとすれば、なんて残酷で、なんて無情なものなのでしょう。
私達が命を懸けて戦った結果が、世界と共に終わりを迎えるか、巻き戻された世界で生きている人だけで生きていくかだなんて、そんなのあんまり過ぎます。
「さぁ、選びなさい」
私に選択を迫ってくる大神様。
こんなの、選べるわけがありません。
絶望感に涙が溢れてきてしまう私に、ソラリア様は溜息交じりに言います。
「……あんたの好きな方を選びなさい。どっちにしろ、あたしは消えるだけだから」
「ソラリア様……。嫌です、せっかく分かり合えるかもしれないって思えたのに、こんなのって……」
「何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない。この世界の常識よ。何の対価も無しに、幸福が得られるなんてそんな甘い話はない」
無情に言い切るソラリア様は、既にご自身が消えることを受け入れているようです。
そんな彼女を見て、どうにかできないかと縋る気持ちで大神様へと視線を向けますが、大神様は表情を一つも変えずに私を見つめたままです。
「私、は…………」
どちらも選びたくない。
誰かが欠けた世界で、終わりを迎えるしかない世界で、生きていたくない。
だけど、私には選択肢が無い。
私は一体、どうしたら……。
絶望に思考が塗りつぶされ、何も考えられなくなってきた、そんな時でした。
唐突に、私の頭の中である日のシリア様の言葉が再生されました。
『ならば、杖を取れ。運命に抗え。未来を勝ち取れるのは、常に意思の強き者のみじゃ』
杖を取る……。運命に抗う……。
未来を、勝ち取る……?
そうですよね、シリア様。
これまでも何度も、私が諦めそうになった時、必ずあなたが支えてくださいました。
きっと今回も、屈したらいけない場面なんだと思います。
――それが例え、この世界を作り上げた神様であろうとも!!
「大神様、私は決めました」
「……では、答えを聞きましょうか」
ゆっくりと立ち上がり、小さく深呼吸をします。
そして、杖を取り出して大神様をまっすぐに見据え、私は言い放ちました。
「こんな未来、私は絶対に認めません。誰かが欠ける世界なんて、私が望んでいる世界ではありません。私が望むのは、誰一人欠けることなく、これまで通りの日常を送れるあの世界です」
「それが叶わないから、こうして選択を迫っているのが分かりませんか?」
「分かりませんし、分かりたくありません。私は、私達は、あの日常を取り戻すために戦い続けて来たんです。その結果がこんな結末なのだとしたら、私はそれを否定します。あなたを否定します。私達の運命は、こんな結末を辿るためにあるものではないと!!」
この世界を創った神様に刃向かう。
それは、この世界そのものに刃向かっていると同義なのかもしれません。
ですが、私にはこれが最善な気がするのです。
たとえそれが、取り返しのつかない過ちであったとしても!
「私はあの日常を取り戻せるのなら、どんな手段を使ってでもあなたに勝って見せます。それが、運命を切り開き続けたシリア=グランディアの子孫であり、先祖返りである私の為すべきことです!」
 




