947話 夢幻の女神は吐露する
「んっ……」
私が目を覚ますと同時に、私の頬に無機質な床の感触が伝わってきました。
どうやら、うつ伏せに倒れてしまっていたようです。
ゆっくりと体を起こすと、そこはさっきまで戦っていた塔の中ではなく、何も無い真っ白な空間であることが分かりました。
ここは一体、どこなのでしょうか。そう考えた瞬間、私はソラリア様が近くにいないことに気が付きました。
「ソラリア様!? ソラリア様、どちらへ――」
「ここにいるわよ」
慌てて声を上げた私の背後から、弱々しくも若干とげのある返事が聞こえてきました。
そちらへ振り返ると、そこにはさっきまで纏っていたゴシック調のドレスではなく、ボロボロの神衣を見に纏い、膝を抱えているソラリア様の姿がありました。
「ソラリア様……何故、そんな格好に?」
「知らないわよ。あんたがやったんでしょ」
ぷいっとそっぽを向きながら答えるソラリア様。
私はそんなことをしたつもりは無いのですが……と困惑しながらも、彼女の下へと向かいます。
自分の足音もしなければ、影も無い。そんな不思議な空間を少し歩き、ソラリア様の傍に立つ私に、彼女は小さく言いました。
「何見下ろしてんのよ。座んなさいよ」
「……お隣、失礼します」
そっと彼女の隣に腰を下ろすも、ソラリア様はこちらに顔を向けようとしません。
とりあえず攻撃される心配はなさそうです。と安心していると、ソラリア様はぼそりと呟きました。
「あたしはさ、あんたが羨ましかった」
「え?」
唐突にそう言われ、聞き返すしかできなかった私に構わず、ソラリア様は続けます。
「誰かのために善意で動いて、それを正当に評価されて感謝される。あたしがやってきた事と何一つ変わらないのに、あたしが向けられなかった感情を受け取っていたあんたが羨ましかった。だからあんただけは絶対に認めないって思ってたし、あたしを貶めたグランディアのくせにって殺したく思ってた」
ソラリア様の独白は、静かに続きます。
「だけど、あの七月の一件であんたの魔力が流れ込んできたときに、あたしの中にもう一つの気持ちが生まれた。どうすればあたしは、あんたみたいに愛してもらえるんだろうって。あたしには何が足りないんだろうって思った時、あたしが揺らいだの」
「……それがあの時口にされた、“私に期待している”という本当の意味ですか」
「そうよ。あんたが起こす行動を観察すれば、あたしもあんたみたいになれるかもしれない。あんたみたいになれれば、信仰も取り戻して、また神の座に就けるかもしれない。そんな淡い期待をしていたのよ」
ソラリア様はそこで言葉を切ると、自虐気味に笑いながら小さく息を吐きました。
「だけどダメだった。歪みきったこのあたしは、あんたの真似なんてできなかった」
彼女がそう嘆いた直後、私達の前に一枚のマジックウィンドウが出現しました。
そこに映し出されていたのは、レオノーラの城にあった玉座を小さくしたものに腰掛けているソラリア様と、彼女に傅いている中年の男性の姿でした。
『そ、ソラリア様……。私に話とは、一体何でございましょうか……?』
『あんた、魔術結社にかなりの資金援助をしてるじゃない。そのご褒美に、願いを叶えてあげるわ』
『は、はい……?』
『だから、日頃のあんたの行いに感謝してるって言ってんの。ほら、早く願いを言いなさい? 何でも叶えてあげるわ』
『と、突然何を……』
いつもと変わらぬ口調でご褒美をあげると口にするソラリア様に対し、男性は酷く怯えているようでした。
そして遂には、ハッとした様子で命乞いまでし始めてしまいます。
『わ、私の献金が不足していたから、殺す前に夢を見させようということでございますか!? どうか、どうかそれだけはお許しください!! 私には、妻と幼い子どもがおります!! お金なら工面いたします!! どうか、命だけはお許しを!!』
『は……? 何言って――』
『我々の事業が成り立っているのは、ひとえに魔術結社の皆様とソラリア様のお力添えがあってこそだとは重々理解しております! 毎朝の祈りも欠かしておりません!! 必要とあれば、今までの倍――いや、三倍は献金差し上げます!! ですからどうか、他の奴らのように殺さないでください!!』
『いや、だから……』
狼狽えるソラリア様など意に介さず、男性は額を床に擦り付けながら涙を零し、これ以上無いほどの命乞いを続けていました。
やがてソラリア様は、感情をどこかに置いてきてしまったかと思えるような無表情になると、何も言わずにその男性の首を刎ねてしまいました。
その後も似たような場面が数度映し出されましたが、そのいずれも同じような結末を辿ってしまっていて、ソラリア様が手を下さなかった場合でも、他の魔術師の方が代わりに殺めてしまうという、悲しい終わり方をしていました。
「……あたしはもう、手遅れだったのよ。恐怖と力で信仰心をかき集めていたあたしが、今さらあんたみたいに優しくするなんてできないし、許されなかった。あたしにはもう、神を名乗る資格なんて欠片も残ってなくて、残されていたのは血と絶望に染まるこの手だけだった」
自分の両手を見ながらそう呟いた彼女の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちます。
それは徐々に勢いを増していき、ソラリア様は両手の甲で擦りながら、嗚咽交じりに続けました。
「誰かに愛されたこともないあたしが、誰かに優しくすることなんてできない……っ! 優しくしようと歩み寄っても、誰かを怖がらせるだけなのよ! だからあたしは、あたしを受け入れないこの世界を終わらせて、あたしも死のうとしか考えられなかった……!!」
泣きじゃくるソラリア様の姿からは、これまで恐怖と死を振りまいていた面影ありませんでした。
そこにあるのは、ただ誰かに愛してもらいたかったという、一人の女性の小さな背中でした。
きっとソラリア様は、神様として作られてしまったことで、大神様の配下として扱われていたために愛されると言うことが無かったのでしょう。
そしてそれは、かつて彼女を信仰していた人々も同様で、彼女へ向けられていたのは愛では無く、願いを叶えて欲しいと言う欲望だけだったのでしょう。
そんな彼女が不器用ながらにも、自分なりの優しさを見せた途端、それを恐怖と転じて捉えられてしまう。
それがどんなに辛く、心が痛んだか……。私には測り知ることができませんでした。
そんな時でした。
「ようやく、自分に素直になりましたね」
私達の背後から、男性の声が聞こえて来たのです。




