939話 ご先祖様は挑発する 【シリア視点】
扉を開けた先で待ち受けていたものは、何とも懐かしさを覚える、かつてのシルヴィの私室であった。
必要最低限しか置かれていない家具に、申し訳程度にしか日が差し込まない窓。
その中心で、貴族にしては質素な服に身を包んでいるシルヴィは、その窓を見上げながら歌い続けていた。
自分など生まれてこなければよかった。
世界を知らなければよかった。
自由を知らなければよかった。
愛されると言う事を知らなければよかった。
何も知らなければ、こんなに痛みを感じなかったのに。
私は誰も傷つけたくない。誰にも怖がられたくない。
こんな力なんて、欲しくなかった。
要約すると、概ねこんなところか。
世界を知りたいと、自由を知りたいと、家族を知りたいと願った者が、こうも涙を流すことになるとはな。
全てを叶える翼を授けた手前、妾から声を掛けるべきじゃろう。
「シルヴィ」
シルヴィの名を口にした瞬間、シルヴィは歌うのを止めた。
じゃが、振り返ると言う事はせず、ただ俯くのみであった。
「お主を、迎えに来た」
「……どうして、来てしまったのですか」
弱々しく、シルヴィが反応する。
「約束したであろう。必ず、お主を迎えに行くと」
「私はもう……シリア様達とはいられません」
「何故じゃ」
妾の問いかけに、シルヴィは小さく肩を震わせ始めた。
「私は……私は、ソラリア様から全てを引き継いでしまいました。そのせいで、分かってしまったんです。私が魔力を鍛えた分だけソラリア様を強くしていて、私の魔力でソラリア様が誰かを殺していたことを……。私が、間接的に人を殺していたんです!」
耐えられないとばかりに、シルヴィは妾達へと振り返る。
その顔は自己嫌悪と罪悪感に塗れて酷いものであったが、特に気になったのはその目じゃった。
ユースの血を継ぐグランディア王家の象徴である青い右目が、神力を活性化させてもいないのに赤く染まっていた。
「私はもう、この力を誰にも振るいたくありません! 誰にも利用されたくありません!! 私のせいで、今日だってあんなに沢山の人が傷ついて、レナさんやエミリ達も傷つけて!! 私には、みんなといていい資格が無いんです!!」
シルヴィは両手で顔を押さえ、イヤイヤと頭を振りながら泣きじゃくる。
「もう嫌なんです……! 私が生まれて来たせいでお父様とお母様が殺され、私が自由になりたいと願ったせいでいろんな人に迷惑を掛けて! 私が強くなりたいと願ったせいで、沢山の人が殺されて!! 私は、初めから生まれてくるべきじゃなかったんです!! 塔の外に憧れるべきじゃなかった!! 私のせいで、みんな、みんな……!!」
……これは一度、感情を爆発させて整理させた方が早いやもしれんな。
おもむろにシルヴィへと近寄っていく妾に、フローリアが不安そうな声を上げた。
「シリア? 何をするの?」
「まぁ見ておれ。――シルヴィよ、顔を上げよ」
シルヴィの前でしゃがみ込んだ妾は、優しく声を掛ける。
その声を聞き、恐る恐ると言った感じで顔を上げたシルヴィににっこりと微笑み。
パァン! と乾いた音が鳴り響くほどに、その頬を引っぱたいた。
「…………え?」
「きゃああああ!? ちょ、ちょっとちょっと!? 何やってるのよシリア!?」
「貴様はそこで黙っておれ!!」
叩かれた頬に触れ、呆然とするシルヴィに、妾は声色を険しくしながら続ける。
「良いかシルヴィ、良く聞け。確かに貴様は、妾の先祖返りとして力を持って生まれ、ソラリアに狙われることになった。じゃが、それを生まれてこなければ良かったじゃと? 貴様、妾を愚弄する気か?」
「そ、そんなつもりは」
「そもそも、貴様のその考え方がおかしいとは気付かんのか? 何故、そこまでして己を責め立てる? 貴様が力を持って生まれたのは、貴様がそう生まれたいと望んだことなのか? 【運命の女神】であるスティアに、生前からそう望んでいたのか? どうなのじゃ、答えてみよ!」
一気に捲し立て、その気迫にシルヴィが縮こまる。
じゃが、妾はそこで止めるつもりはなかった。
「さらに言えば、塔の外に憧れ、魔女として生きていくために力をつけたいと願ったことが過ちだったじゃと? ふざけたことを抜かすのも大概にせよ! 貴様がそう願い、そうあろうとしたことに何の罪がある? 全ては貴様の在り方を利用したソラリアに原因があろう!?」
「で、ですが」
「ですがも何もあるか!!」
反論しようとしたシルヴィを、半ば怒鳴るようにして黙らせる。
妾はそのまま、シルヴィの胸倉を掴むようにして言葉を続けた。
「それに何じゃ? 己の力を利用されて、妾達を傷付けた? その力で恐れられるのが怖い? はっ! 随分と妾達もナメられたものじゃな。貴様程度の魔女、妾の足元にも及ばんわ! たかが神の一柱の力を受け継いだ程度で、世界を手に入れたような気になるとは、大きく出たものじゃな! のぅ、シルヴィよ?」
妾の剣幕に、恐れをなしたか。
はたまた、煽られた不快感から怒りを覚えたか。
何も答えぬシルヴィを軽く突き飛ばし、妾は数歩離れて改めて向き直る。
「そこまで言うのであれば、妾なぞ容易に討てような?」
杖を取り出した妾に、フローリアが小声で話しかけてくる。
「ちょっとシリア、そんなに刺激しちゃ……」
「いや、これでいい。少々荒療治ではあるが、まずはあ奴に自身を受け入れさせねばならん」
「だからって、こんな……」
「まぁ見ておれ。それに、ほれ。シルヴィも言われっぱなしなのは癪だったようじゃぞ?」
妾達の視線の先で、シルヴィはゆっくりと立ち上がる。
そして、怒りを隠さずに妾をまっすぐ見据えると、杖を取り出して魔女服へと衣装を変えた。
「シリア様はいつもそうです。私が考えていることを笑って、自分が強いからと軽く扱って……。私がどんな思いでこの決断をしたのかも、知らないくせに!!」
「あぁ、分からんな! 貴様のような軟弱者の考えることなぞ、微塵も興味がないからのぅ! 妾に興味を持たせたくば、力を示してみよ!! それも叶わん者の吐く言葉なぞ、所詮は弱者の夢語りじゃ!!」
「分かりました。その代わり、一切手加減は出来ませんので、どうなっても後悔しないでください!」
「望むところじゃ。貴様こそ、あとで泣きを見ても知らんからな!」
妾よりも、遥かに強大な力を手にしたシルヴィ、か。
あの口ぶりだと、ほぼ間違いなくソラリアの【制約】が解けているのじゃろうな。
……くふふ! 久方振りの強敵に、血が滾って来たぞ!!
「ならば、まずは小手調べといくかの! ――ボルケーノ・ドラグナー!!」
上級火炎魔法のひとつ、獄炎を纏いし竜をシルヴィに差し向ける。
大きく口を開き、咆哮を上げながら迫っていくそれに対し、シルヴィはまっすぐ杖を構え。
「ボルケーノ・ドラグナー!!」
全く同じものをぶつけ、相殺してきた。
くふふ、やはりそうか。これは面白くなってきたのぅ!
「どちらが地を舐めるか……さぁ、死合おうぞ!!」




