898話 ご先祖様は夢を見る 【シリア視点】
「…………様。……シリア様。起きてください、シリア様」
「ん……?」
控えめに体を揺すられる感覚に、薄っすらと意識が覚醒する。
やや重たい瞼を持ち上げると、そこには穏やかな顔で妾を見下ろすシルヴィの姿があった。
「おはようございます、シリア様。よく眠れましたか?」
「うむ……ふわぁ~、こんなに深く眠ったのはいつぶりじゃったかのぅ。寝付いたのがつい十分前のようじゃ」
「ふふ、しっかりと眠れていたようで何よりです。ここしばらく忙しそうにしていたので、いつか体を壊してしまうのではないかと心配でした」
「くふふ、皆にも同じことを言われたぞ。いい加減休め休めと、耳にタコができるかと思ったわ」
ゆっくりと身を起こし、シルヴィの方へ向き直る。
今は何時じゃ? と尋ねようとした妾に、シルヴィは思考を読んだかのように口を開いた。
「今は朝の七時です。既に起きている方もいらっしゃいますが、まだ全員は起きていないようです」
「そうか。ん、んん~……!」
大きく伸びをすると、昨日までの疲れが一気に押し寄せてくるかのように、倦怠感が妾の体を覆って来た。
そのままふらりとベッドにもう一度倒れ込む妾に、シルヴィはクスクスと笑いながら薬の瓶を差し出してきた。
「シリア様。お疲れの時はこれです」
「うむ」
もう一度体を起こし、それをくいっと飲み干す。
やや酸味の利いた妾特製の栄養剤は、体の末端まで染み渡っていく。
「~~~くぅ! やはりこの味がたまらんな!!」
全身を覆っていた倦怠感が、じわじわと引いていく。
うむうむ。自分で作っておいて何ではあるが、この疲労が引いていく感覚は癖になりそうじゃ。
……さて。このまま微睡んでいたいところではあるが、妾もいい加減起きねばならん。
「シルヴィよ、世話を掛けたな」
「いいえ、とんでもありません。……頑張ってくださいね、シリア様」
「うむ。また後でな、シルヴィ」
シルヴィが柔らかく微笑み、その姿を徐々に薄れさせていく。
その姿が完全に消えると同時に世界が白く染まっていき。
「……朝、か」
枕元にあるウィズナビを触り、時刻を確かめる。
現在の時刻は、朝の七時過ぎ。まさしくシルヴィが言っておった通りじゃな。
改めて身を起こし、亜空間収納から栄養ドリンクを取り出す。
くいっと飲み干すと同時に、部屋の戸が叩かれる音がした。
「シリア、起きてますか?」
「ん、ラティスか。起きておるぞ」
「そうですか。大事な日に寝坊などしようものなら叩き切ろうかと思っていましたが、杞憂のようですね」
「お主はどうしてそう、発想が物騒なのじゃ……」
「優しく起こされるのは子どもの頃までです。では、後程食堂で」
ラティスは一方的に言い残すと、そのまま部屋の前から遠ざかっていく。
ほんにあ奴は昔から変わらんな。ある意味、魔女として己に忠実であるのは良いことやも知れんが。
ベッドから降り、体を大きく伸ばした妾は、手早く着替えを済ませることにした。
食堂へと向かうと、ラティスを始めとした面々が既に食事を摂っていた。
じゃが、案の定我が家の連中の姿は無い。
我が家はシルヴィありきの生活リズムじゃからのぅ、と苦笑しながら足を踏み入れた妾に、パンを咥えたままのリィンが大きく手を振ってきおった。
「ふぃいあはは~! おはおうほあいわふ~!」
「食べるか挨拶をするかのどちらかにせよ、リィン。はしたないぞ」
「んぐんぐ……。いや、ちょうどシリア様のことを話してたので、ご本人を見かけたらつい我慢できなくなりました」
「母親を見つけた子どもの様じゃな、全く。して、妾の話とは何じゃ?」
妾の疑問に、相席していたネフェリが答える。
「あー、ほら。ここしばらくシリア様が休んでるところを誰も見てなかっただろ? だから、その分の疲れがたった七時間そこそこの睡眠で取れるのかって心配してたんだよ」
「何じゃ、そんなことか。お主らに心配されずとも、もうほとんど疲れが引いておる。ほぼほぼ万全のコンディションと言って過言では無かろう」
「うおっ、マジであのクマが消えてる!? 嘘だろシリア様、どんな寝方したんだよ!? って言うか、一日寝るだけでクマって消えるもんなのか!?」
「くふふ! 睡眠の質を高めるのにもコツがあるのじゃよ。のぅ、ラティス?」
日頃、イースベリカ騎士軍の統率や国の運営で睡眠時間を削られがちなラティスに話を振ると、ちょうどスープを口に運ぼうとしていたらしく、凄まじく不機嫌そうな顔で睨まれた。
「……圧縮睡眠のことですか?」
「悪かった、そんなに睨むな。もう食べて良いぞ」
「…………」
「やれやれ。ラティスの言う通り、妾やラティスのような多忙な魔女は、睡眠時間を圧縮して取る魔法を会得しておる。これが大層便利でな? 傍から見れば四時間程度しか眠っていなくても、本人は十二時間眠っていると言った具合じゃ。圧縮量は基本は三倍じゃが、昨夜の妾はその倍にした」
「と言う事は、約二日間寝たと言う事になるんですか?」
「うむ。故に疲労も概ね改善されておる。まぁ、就寝前と起床後の栄養ドリンクが効いているのもあるがの」
「すげー……って感心するべきなのか、命削ってんなって呆れるべきなのか、反応に困るな」
「普通に寝られるのであればそれに越したことは無かろう。あくまでも、どうにもならん時のためのカードとして持っておくと便利じゃぞ?」
「シリア様」
妾の説明を受け、リィンが珍しく真剣な表情を浮かべておる。
こ奴がこんなに真剣な顔をする時は、戦っている時か、或いは……。
「その圧縮魔法って、快楽にも応用できますか」
「阿呆言わずにさっさと食え」
「できるんですか!? できないんですか!?」
「知らぬ! 試そうと思ったことも無いわ!!」
「ではリィンが開発した場合は、禁呪魔法に制定しないでいただけますか!?」
「あー分かった分かった! 好きにせよ! それに関しては妾は手を出さん!!」
「ぃやったーーーーー!!! 新しいオモチャが増えるんびっ!?」
立ち上がり、小躍りし始めるほどに喜ぶリィンの後頭部を、ラティスが作り出した氷塊が容赦なく襲った。
冷ややかな視線と共に、妾の場所まで冷え込む冷気を放ちながら、ラティスはリィンへ言い放つ。
「食事中です、リィン。それすらも分からないのであれば、快楽に沈んだまま氷漬けにしてあげましょう」
「それも……いえ、すみませんでした……」
こ奴、一瞬それもありだと言おうとしたか?
底の知れぬ性欲を持て余すリィンに呆れつつも、妾は自分の食事を取りに向かった。




