894話 異世界人は帰還する・前編 【レナ視点】
おばあちゃんとの舞いを終え、私服に戻ったあたしに、おばあちゃんは小さく笑いながら言った。
「恋奈、あんた実はちゃんと練習してただろう。じゃなかったらこんな綺麗に舞えないよ」
「あはは、バレた?」
「そりゃあ分かるとも。あんたの何倍生きてると思ってるんだい?」
おばあちゃんに見透かされ、あたしは照れ隠しに笑って誤魔化す。
おばあちゃんがさっき言った通り、あたしは花園の家が嫌いだ。
だからと言って、花園の家に伝わる舞いが嫌いかと聞かれると、そういう訳でもない。
むしろ、この舞い自体は好きな部類。
だから中途半端に投げ出したくなかったし、小さい頃に見たおばあちゃんのこの舞いを完成させたくて、異世界でも時間がある時はこっそり練習してた。
フローリアくらいしかこのことは知らないけど、やっぱりその道のプロであるおばあちゃんは見るだけで分かっちゃうもんなのね。
おばあちゃんは笑いながらあたしの頭に手を置き、優しく撫でてくれる。
「恋奈は椿のように、すぐ結果が出せる天才では無いけど、地道に努力し続けて花を咲かせる子だって言うのは、私がよーく知ってるからね。あんたが続けたいって思えたのなら、そのまま続けなさい。私はずっと、恋奈を応援し続けてるからね」
「ありがとう、おばあちゃん」
「うんうん。……さぁて、それじゃあそろそろ帰る時間だね。恋奈、忘れ物は無いかい?」
「たぶん大丈夫のはず。こっちの世界のものは、向こうに持って行けないのが原則だから」
「そうなのかい? せっかくお土産も持たせようと思ったのに」
おばあちゃんは縁側で何故か泣いていた相葉さんに、「悪いけどあれを持ってきてくれるかい?」と声を掛けた。
相葉さんはそれだけで分かったみたいで、厨房の方に向かったかと思うと、大きめの紙袋を持って帰って来た。
「これですよね?」
「そうそう、ありがとうね。ほら、フローリアが八つ橋と抹茶が大好きだろう? あの子と一緒に食べたらいいと思って買っておいたんだけど」
手渡されたお土産袋の中には、八つ橋の箱と宇治抹茶の缶がぎっしり詰まってた。
ありがたいけど、大神様に取り上げられそうよね……と考えながら梓を見ると。
「あぁ! 今ヴィジアくん……じゃなかった。大神様は不在だから関税無しで通れるよ!」
「え、そうなの?」
「って言うのも、向こうのごたごたで今、強制的に神様辞めさせられてるからね~。そんな人がどうやって関税取るんだって話!」
そう言えば、ソラリアの使った世界改変魔法の影響で、天界にいた大神様達が強制的に現界させられてるんだっけ。
神力が使えない大神様ってどうなってるんだろうって思うと同時に、あたしは直前の言葉に違和感を覚えた。
――梓、大神様のことをを何て呼んだ?
「ねぇ梓」
「あ、あぁ~っと! もうそろそろ送り出さないと恋奈が消えちゃうな~!! 大変だ大変だ~!!」
「いや誤魔化し方が雑過ぎでしょ」
「ほら恋奈! 早く準備して! そのキーホルダーから魔力を引き出して!!」
「えぇ……?」
「相葉くんも早く準備して!」
「え、あ、はい」
余程触れられたくないのか、梓は露骨に誤魔化しながら作業を始める。
あたしは溜息を吐き、シルヴィの桜のキーホルダーから魔力を引き出す。すると、眩い光があたし達の視界を奪ったかと思いきや、その光は天高く昇っていった。
「え、これ大丈夫なの?」
「うん。今ので異世界との道を繋げたから、後は門を用意するだけだよ」
「門?」
あたしが首を傾げたと同時に、あたしの背後からガラスが割れたような音がした!
小さく悲鳴を上げながら振り返ると、そこには魔導連合からの迎えの人が使うような、大きな空間の裂けめが出来上がっていた。
「これ、門って名前だったんだ」
「正確には違うらしいけど、とりあえず門でいいって。あとは向こう側の準備が整えばいつでも帰れるんだけど……」
梓がそう言いながら門の様子を見守っていると、真っ黒な裂けめの中から一瞬だけ強い光が発せられたのが見えた。
その光は何か合図を送っているかのように、何度も点滅を繰り返している。
「あ、準備できたっぽい! ってことで恋奈、ここを通っていけば帰れるよ!」
「……あたし、フローリアに攫われた時のことほとんど覚えてないんだけど、こんな感じの門通った記憶はないわよ」
「フローリアは特別だからね~。あの人の力を使わないで時空を繋げようとすると、どうしてもこうなるの」
「ふぅん。とりあえず、ここを通って光の方に進めばいいのね?」
「そゆこと! はい、ちゃんとお土産持って!」
一旦地面に置いていたお土産袋を押し付けられ、そのまま亀裂の中へと押し込まれそうになる。
無理やり押してくる梓を振り払い、あたしは改めて、おばあちゃんとこの家を目に焼き付けた。
「おばあちゃん。次、いつ会えるかは分からないけど、あたし向こうで頑張るよ」
「うん。応援してるからね、恋奈。あんたが本当にやりたいことが見えたなら、どこまでもまっすぐに頑張りなさい。繰り返し言うけど、恋奈は遅咲きの桜なだけだからね。自信を持つんだよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
「うん。気を付けておいき」
優しく微笑んでくれるおばあちゃん。
もしかしたらもう会えないかもしれないけど、何だか今は寂しさよりも、背中を押してくれてるっていう安心感の方が強かった。
「梓も、色々とありがとね」
「いいのいいの! 恋奈にいっぱい奢ってもらったしね」
「あたしがいなくなっても、ちゃんとご飯は食べなさいよ? あと、推しにお金を使いすぎないこと」
「善処しまぁす」
「絶対やらない政治家のそれじゃない」
あたしのツッコミに、梓を含めた全員で笑う。
ひとしきり笑い終えた梓は、穏やかな顔であたしに言った。
「でも、短い間だったけど恋奈といられて楽しかったよ。私と友達になってくれてありがとね、恋奈」
「こっちこそ。梓がいなかったらこうして帰れなかったんだし、あんたは命の恩人よ」
「あはっ、過大評価~! じゃあ今度、そっちに遊びに行けたらご飯奢ってね!」
「いくらでも奢ってあげるわよ。シルヴィの手料理も食べて欲しいしね」
「あの絶品料理を食べられるの!? うわめっちゃ楽しみ!! 絶対行く! こっちの世界捨ててでも行く!!」
どこまで本気か分からない言葉に笑いながら、続けて相葉さんに手を差し伸べる。
「さ、帰りましょ相葉さん。あたし達の世界に」
すると、相葉さんは何故か小さく首を横に振った。
「俺はもう少しやることがあるから、恋奈ちゃんだけ先に帰ってくれるかな?」
「え、どういうこと? あたしも何か手伝う?」
「いや、実はラティス様に持って行くお土産が決まってなくてさ……。それに付き合わせるのは悪いから、先に帰ってそのことを伝えて欲しいんだ」
あぁ、そう言えば相葉さんは騎士団長さんとほぼ同棲してたんだっけ。
そう言われると、確かに異世界のお土産無しで帰ったら何をされるか分かったものじゃないかもしれないわね。
「分かった。でもなるべく急いだほうがいいわよ? 相葉さんも時間やばいんでしょ?」
「あはは……。頑張って気に入ってもらえるものを探すよ。あ、そうだ。ついでにこれも渡しておいてもらえないかな?」
相葉さんはポケットの中から、ロケットペンダントと手紙を差し出してきた。
「ラティス様に借りっぱなしだったのを忘れてて、ちょっと自分で渡せなくて……。一応お詫びの手紙も書いたから、レナちゃんから一言言っておいてくれるとすっごいありがたいんだけど、頼んでもいいかな?」
「あはは! 別に騎士団長さんもそんなことで怒らないと思うけど、分かったわ。これも預かっておくわね」
「うん。よろしくね」
相葉さんからそれを預かり、お土産袋の中にしまう。
それを少し嬉しそうに見ていた彼は、ひとつ頷いた後で言葉を続けた。
「レナちゃん。俺もレナちゃんに会えてよかった」
「え、何いきなり?」
「……ほら、向こうの世界に転生して、ラティス様に助けてもらってから五十年くらい過ごしてきたけど、今までこっちの世界の話ができる人っていなかったからさ。懐かしい話ができる相手がいて、とても嬉しかったんだ」
「あぁ、そういうこと? そうね、確かに異世界人ってあたしと相葉さんくらいしかいなかったもんね。別に寂しかったわけじゃなかったけど、あたしもこっちの世界の話ができる人がいて、なんか安心したわ」
「うん。だから、改めてお礼を言わせて欲しいんだ。事故だったかもしれないけど、向こうの世界に来てくれてありがとう、レナちゃん。キミのおかげで、俺はこの二年間最高に楽しかった」
「相葉さんと会ったのは去年の冬だったから一年だと思うけど……。まぁあたしも楽しかったわ! また向こうで色々聞かせてね!」
「うん。また、いつか」
……何だろう。相葉さんから微妙に歯切れが悪いって言うか、何か違和感を感じる。
でも相葉さんって確か、向こうの世界の環境が悪すぎて対人恐怖症持ちなんだっけ? それなら仕方がないのかもしれない。
あたしは深く考えないことにして、改めて全員の姿を見渡す。
あたしが異世界で人生をやり直すことに賛同し、異世界に行った後でもただ一人だけ覚えていて、あたしを応援し続けてくれていた大好きなおばあちゃん。
あたしが消えないようにと色々頑張ってくれて、あたしをここまで導いてくれた友達、梓。
そして、この後騎士団長さんに怒られるかもしれないという事実に、徐々に顔色を悪くさせ始めている相葉さん。
最後はさておき、ここにいる人達全員のおかげで、あたしは消えずに向こうに帰ることができる。
あたしを見送ってくれる人達に、あたしもちゃんと応えないとね。
「それじゃあ、行ってきます」
「気を付けてね、恋奈」
「シルヴィさんにもよろしくね~!」
「ラティス様にどうか、情けを掛けてもらえますように……!」
あたしは皆に笑い返し、大きな口を開けて待っている門の中に足を踏み入れた。
 




