893話 異世界人は祖母と舞う 【レナ視点】
別にイチャついていた訳ではなく、相葉さんが消えないようにと梓が力を使っていた、と誤解が解けるまでに一時間ほど掛かってしまったわけで、気が付いたらもうじき夕方になろうとしていた。
時計を見て「おや、もうこんな時間かい」と立ち上がったおばあちゃんは、あたし達に尋ねて来た。
「そろそろ夕食の支度をするよ。希望があれば、できるだけ作ってあげるよ?」
その提案は凄く嬉しいし、食べてから帰りたいとも思う。
だけど、あたし自身の時間がもうほとんど残されていないから、これ以上ゆっくりすることができない。
「ううん。あたし、そろそろ帰るよ」
「そうかい。楽しい時間は、いつも早く過ぎていくねぇ」
「ホントね。できるなら、このまま泊っていきたかったくらいだわ」
「恋奈さえ良ければ、そうしてくれても構わないよ?」
「あはは! 明日には消えちゃってるかもしれないのに?」
「消える瞬間まで、私がしっかりと抱きしめておいてあげるよ。恋奈の昔話をたくさん聞かせながらね」
その誘いは、すっごく魅力的だと思う。
たぶん、どんな死に方よりも一番幸せな最期だわ。
「気持ちだけもらっておくわ。あたしはまだ、やらなきゃいけないことが沢山あるから」
「ふふっ、そうかい。まぁ、本当に誘いに乗ろうとしたら、引っぱたいてでも送り返してたところだけどね」
「うわ、おばあちゃん性格悪……」
本当に引っぱたかれそうな雰囲気を察したあたしを、おばあちゃんはケラケラと笑う。
「さて、それじゃあお見送りをしようかね。どこから帰るつもりなんだい?」
そう言えば、どこから帰るかを聞いてなかった。
隣の梓に視線で問いかけると、梓は「あー」と言いながら桜の大樹を指さした。
「おばあちゃん家からならどこでも大丈夫なんだけど、せっかくだからあの桜の木にしよっか!」
「え、そんな適当でいいの?」
「必要なのは、この世界で恋奈を強く想ってくれてる人がいる場所だからね。そういう意味でも、別に適当って訳じゃないよ」
そう言う物なのね、と納得したようなして無いような微妙な気持ちでいると、縁側からひょいと飛び降りた梓は桜の木に向かっていった。
そのまま手招きしてくる梓についていき、桜の木の前に立たされたかと思いきや、今度はおばあちゃんにも手招きをし始めた。
「おばあちゃんもちょっと来て! 最後に記念撮影しよ!」
「おや、そんなサービスまであるとは嬉しいねぇ」
おばあちゃんも縁側から降りてこちらに歩み寄り、あたしの隣に立ち並ぶ。
あたしよりも頭一個分くらい背が高いおばあちゃんと並ぶと、改めて自分の小ささが思い知らされる気がする。
まぁそれは梓と並んだ時もそんな感じだから、今さらって言われれば今さらなんだけど……。
そんなことを考えていると、おばあちゃんが穏やかな声であたしに言った。
「恋奈、覚えてるかい? あんたが社会人になるって家を出る時、こうやって並んで舞いを踊ったこと」
「覚えてるわよ。あたしがこっちで最後に踊った舞いだもん」
「おや、こっちではってことは、異世界では舞って見せたことがあるのかい?」
「あー、うん。向こうの世界では、あたしは魔女ってことにしてもらってるんだけど、その魔女として認めてもらう時に色々あって、大勢の前で舞ったの」
詳しく説明しても分かってもらえないと思って、かなり省いた説明だったけど、おばあちゃんは何だか嬉しそうにしていた。
「な、何?」
「いやね、あれだけ花園と舞いを嫌ってた恋奈が、自分から人に舞いを見せることができたんだってことが嬉しくてね」
「あ、あれは仕方なくよ! あたし、これといって特技とか無いし!」
あたしがそう訂正しても、おばあちゃんはクスクスと笑い続けている。
よく見れば梓も相葉さんもなんか温かい目で見てきてるし、だんだん気恥ずかしくなってきた!
「ほら梓! はやく撮って!!」
「えー、でも私も恋奈の舞い見てみたいなぁ~」
「絶対に嫌!!」
「お願いお願い~! 最期の思い出作りじゃん! ね? ね~!?」
「嫌だって!! 絶対笑うから!!」
「笑わない! 約束する!!」
「絶対嘘! 似合わないとか言うわよ!!」
「言わないからぁ!!」
あたしに抱き着いてせがんでくる梓と格闘していると、あたし達の様子をおかしそうに笑っていたおばあちゃんが口を開いた。
「恋奈。それじゃあ私との最後の思い出作りってことで、舞ってくれないかい?」
「おばあちゃんまでそんなこと言うの!?」
「ふふっ、別に梓に見せたいからって訳じゃないよ。私は単純に、久しぶりに恋奈と舞いたいのさ」
おばあちゃんはそう言いながら、袖の中から扇を取り出す。
そのまま舞いの構えを取り始めたおばあちゃんを見て、あたしは観念することにした。
これ見よがしに盛大に溜息を吐いてみせ、あたしは梓に問いかける。
「梓、一瞬だけ衣装変更の魔法使う事ってできる?」
「私は出来ないけど、それがあるからできると思うよ」
それと示されたのは、シルヴィが作ってくれた桜のキーホルダーだった。
「でもこれ、使っちゃって大丈夫なの? 帰るために必要なんでしょ?」
「ちょっとくらいなら大丈夫。それに、万が一の保険もあるしね」
ね? と梓が相葉さんに顔を向けると、相葉さんがこくりと頷いた。
「帰りの心配はしないで大丈夫だよ恋奈ちゃん。キミのやりたいようにやってほしい」
「ってことだから、ね!? 恋奈、お願い~!!」
「あぁ~もう! 分かったわよ!! ちゃんとそこで見てなさいよ!?」
あたしはシルヴィから貰ったキーホルダーを握りしめ、忘れかけていた魔法を使う感覚を想起する。
すると、手の中のキーホルダーが優しく光り出し、あたしの全身を包み込んだ。
懐かしい感覚と、シルヴィの魔力特有の癒しの波動に身を委ねること数秒。あたしの姿は春先取りの私服ではなく、おばあちゃんとお揃いの着物に変わっていた。
「へぇ……。それが魔法って奴なんだね」
「うん。驚かせちゃってごめん」
「いいんだよ。この歳になったら、もう大抵のことじゃ驚かないさ。それよりも私は、恋奈がこの着物を覚えててくれたことの方が驚きだよ」
「えへへ……。おばあちゃんって言ったら、やっぱりこれかなってイメージが強くて」
「あっははは! 恋奈は本当におばあちゃんっ子だねぇ! ありがとうね恋奈。よく似合ってるよ」
後頭部でまとめたお団子に、桜の柄が散りばめられた黒の着物。
あたしが小さい頃から見続けていたおばあちゃんの姿そのものだけど、おばあちゃんは笑わずに似合ってると褒めてくれた。
それだけなのにただ嬉しくて、思わず視界が潤みそうになる。
あたし、こんなに涙もろかったっけな。ううん、きっとそれくらい、あたしの中でおばあちゃんの存在が特別なだけよね。
「さぁて、それじゃあ梓達に見てもらおうかね! お高く留まってる本家が敵わない、本当の花園の舞いって奴をね!」
「……うん! あたしも、今のあたしに出来る最高の舞いをして見せる!」
「その意気だよ恋奈! さっ、始めるよ!!」
あたしとおばあちゃんは、同時にゆっくりと舞い始める。
あとで梓に聞いた話だけど、この時の舞いは綺麗すぎて言葉にならなかったらしい。




