870話 ご先祖様達は仲がいい 【シリア視点】
レオノーラに詫びつつ、相談を持ち掛ける。
たったそれだけのことなのじゃが、妾はなかなか宿屋に戻れずにいた。
何度か扉に手を掛け、それを引っ込めるという行為を繰り返していると、急に扉が独りでに開いた。
――いや、当然ながら独りでにではない。なかなか入ってこん妾に業を煮やしたラティスが、心底不機嫌そうな顔を浮かべながら戸を開いておった。
妾が何かを口にするよりも早く、奴の長い腕が妾のローブを掴み上げ、首根っこを掴まれた猫のように扱われながら部屋へと連行される。
何も言わずに階段を上がり切った奴は、部屋の扉を乱雑に開きながら、妾をぽーんと放り投げおった。
したたかに打ち付けられた尻の痛みに顔をしかめていると、驚いたような困惑したような、何とも言えぬ表情をした面々が妾を見下ろしておった。
「あー……。その、何じゃ。先の妾の態度は、些か悪かった」
「些か?」
「いや、頭に血を上らせ過ぎた妾が悪かった。すまなかった」
背中に突き刺さる極寒の冷気に、ピンと背筋を伸ばして謝ってしまう。
そんな妾を見下ろしていたレオノーラとネフェリは、やがて同時に笑い始めた。
「な、何じゃ貴様ら! 人が謝っておるというに、失礼じゃろうが!!」
「そんな姿で謝られて、笑うなと言う方が無理がありませんこと?」
「全くだぜ! もう長いこと猫をやってたせいで、扱われ方に馴染んじゃったんじゃねぇのかシリア様?」
「何をたわけたことを! 猫はあくまでも借りの姿じゃ! 精神まで猫になった覚えは無いわ!!」
「とか言いながらも、先ほど部屋に連れ戻された時なんて猫そのものでしてよ? うっふふふふ!!」
心底おかしそうに笑い続ける二人に憤りを覚えるが、反応に困り果てておるセイジとアーノルドが視界に入り、妾は負けを認めることにした。
盛大に溜息を吐いてみせた妾に、ひとしきり笑い終えたレオノーラが話を本題へと戻してくる。
「それで? 頭が冷えた女神様は、現世に生きる魔王を頼りにすることを検討してくれまして?」
「うむ。じゃが、その分お主にはかなり負担を強いることになる。下手を打てば、ソラリアに無限に殺され続けるだけの玩具にされる可能性すらある」
「あら、その程度の懸念でしたの?」
レオノーラは慎まやかな胸を張り、得意げに言い放つ。
「私は二千年も前に、勇者一行に討たれて呪われた身。二千年の苦悩に比べれば、ただ殺されるだけなんて可愛いものでしてよ?」
「ただ首を刎ねられ、胸を抉られるだけでは済まんやも知れぬぞ?」
「承知の上ですわ。例え指先から刻まれようと、死の瞬間まで笑い続けて見せますわ」
挑発的にそう言ってのけるレオノーラ。
そんな態度に、妾は苦笑をする他なかった。
「あい分かった。ならば、その覚悟を見込んで改めて話をしよう」
「最初から話してくださったら良かったですのに」
「妾にも遠慮と言う物はあるのじゃよ。して、先のシルヴィを一時的に行動不能にする件じゃが、妾が想定していた物は、お主ら魔王軍の消耗を抑えつつ、シルヴィも止めるという算段じゃった。それ故にシルヴィ側への負担の大きいものであったが、この比重を傾けて構わんのであれば、シルヴィの力だけを封じて瞬間的に行動不能に持ち込むと言う事も叶うじゃろう」
「当初ではどの程度で想定しておりましたの?」
「……あくまでもどんぶり勘定ではあるが、結界の破壊にニ十分。破壊後の死神兵の対処に三十から四十分。そこから王城までの道のりを確保すると考えると、合計で一時間半と言ったところか」
妾の見立てを聞いたレオノーラは、話にならないと言わんばかりに鼻で笑って見せた。
「シリア、貴女は私達を侮りすぎですわ。一時間半もあれば、王城も陥落させてみせますわよ?」
「ほぅ? ならば、お主ならどこまで縮められると言うのじゃ? 先の戦いでお主も見たとは思うが、死神兵の戦力は存外高い。その軍勢がひしめく王都に攻め入るとなれば、いくら精鋭を揃えたところで――」
「十分」
「は?」
短く、そして力強く言い切ったレオノーラに、妾は耳を疑った。
じゃが、レオノーラは聞き間違いでは無いと、再度同じ言葉を口にした。
「十分もあれば、王都から王城までの道のりを確保してみせますわ」
「何を寝ぼけたことを。あの軍勢を前に、たかだか十分じゃと? 見栄を張るのも大概にせよ」
「見栄ではありませんわ。ちゃんと計算した上での答えですのよ?」
「……そう言い切るからには、何か策はあるのじゃろうな」
「当然です」
レオノーラはそう言うと、壁際にいたアーノルドをグイっと引き寄せ、自身の前で小さな両肩に手を置く。
「何も魔族だけで攻めなければならないという訳では無いはずですわ。クーデターを起こしている冒険者達の戦力も合算すれば、より効率的に攻め落とすことは可能なはず。そうですわよね、アーノルド?」
「うぇ!? え、えぇ!?」
「あら、何を困惑しておりますの? 貴女方は一足先に、王都でひと暴れしている手筈でしょう? そのついでに私達の手伝いをしてくださるだけでいいのです。簡単な仕事だとは思いませんこと?」
「そんな簡単に言うなよ魔王! この前地下で出くわした時、闇討ちじゃないと倒せなかったんだぞ!?」
「闇討ちでも暗殺でも、倒せれば何でも構いませんわ。それに、闇討ちなら影魔法を操れる魔族が得意とするところですのよ? それと……」
「それとなん――ぉわああああああああああっ!?」
急にアーノルドの耳元まで頭の位置を下げたかと思いきや、この阿呆はアーノルドの服の下に手を入れてまさぐり始めおった!!
「な、何をしておるのじゃ貴様!?」
「魔王ではなく、レオノーラですわ。物覚えの悪い頭の代わりに、体に覚えてもらう必要がありまして?」
「わ、分かった! 分かった! 分かりました!! レオノーラですレオノーラ!! これでいいんだろ!?」
「うふふ♪ 小生意気な口ですことっ」
「やめんか、このど阿呆が!!」
そのままアーノルドの両頬を抑え、口吸いで精気を奪おうとし始めた淫売を、妾は容赦なく蹴り飛ばした。
勢いあまって壁に顔から激突したレオノーラは、真っ赤になった鼻を押さえ、涙目で妾に食って掛かる。
「いきなり何ですの!? 私はただ、魔王に対する向き合い方を教えようとしただけですのよ!?」
「貴様がしておるのは教育では無いわ!! 恥を知れ!!」
「恥ずべきことなどどこにもありませんわ!! そもそも、サキュバスにとってキスなど挨拶も同然で」
「種族の常識を持ち込むなと言っておるのじゃ!! 汚らわしい!!」
「けがっ!? 貴女今、高貴な一族である私達を汚らわしいと言いまして!? 許せませんわ! 訂正しなさい!!」
「訂正してほしくば、相応の態度と言う物があろう! ほれ、妾に淫乱ではない証明をして見せるがよい!」
「はぁ……。本当に些細なことで小競り合いを始めますね」
「まぁこれも、仲がいいってことなんじゃねぇのか?」
「俺、昔はこんな無茶苦茶な人達にケンカを売ろうとしてたんですね……」
「そうですよ。ケンカをする相手は本当に自分と同格か、よく見極めるようにしなさい」
「は、はい」
互いに手を組んで取っ組み合いになる妾達を蔑むような声が聞こえた気がしたが、額を突き合わせていがみ合っている現状では、気にする余裕なぞ微塵も無かった。




