866話 王女様は介抱される
ふらふらになりながらも、大聖堂から自室へ戻る途中で、私は思いがけない人物と出会うことになりました。
「シルヴィ王女! 大丈夫ですか? 顔色が優れませんよ?」
「リンデ先生? どうしてここに……」
廊下の向こうから、リンデ先生が血相を変えて駆け寄って来たのです。
彼女を見た瞬間に一気に疲れが押し寄せ、倒れそうになった私を、リンデ先生がしっかりと抱き留めました。
「……また祈祷で疲弊されていますね。今、薬を用意しますね」
「すみません、ありがとうございます」
リンデ先生がポケットから取り出した丸薬状の薬を口に含み、それを舌で転がしながら味わいます。
いつもながらではありますが、優しいハチミツの甘さと、レモンやオレンジのような柑橘系の酸味が程よいフレーバーとなって、いつまでも舐めたくなる不思議な薬です。
「お疲れ様でございました、シルヴィ王女。貴女のおかげで、王都を守っていた防護結界の規模が拡張されていますよ」
「そんなにすぐ、効果が出るものだったのですね」
あちらを、と指で示された窓の奥には、いつもぼんやりと見えていた守護結界が無くなっていました。
恐らく、視認できないくらい遠くまで広がっているのでしょう。
「お部屋までお運びいたします。少し、失礼させていただきますね」
「何から何まですみません」
「いえいえ」
リンデ先生の背におぶさる形で、私達は私の部屋へと移動を開始します。
長い廊下を歩きながら、リンデ先生は私に質問を投げてきました。
「そう言えばシルヴィ王女。先ほどのソラリア様との対話の件ですが、一体どのような場所で行われたのですか?」
「そうですね……。大聖堂ではない、不思議な場所でした」
「と、仰いますと?」
私は、先ほど大聖堂で起きた一部始終をリンデ先生に説明しました。
すると、リンデ先生は「なるほど……」と、非常に興味深そうにしていましたが、やがて何かに気づいたように謝り始めました。
「すみません、シルヴィ王女。このようなことを、一介の街医者が聞いてはいけないものでしたよね」
「いえいえ。話の内容まではお伝えしていないので、たぶん大丈夫かと」
「そうですか、申し訳ございません。医者という職業柄、未知の部分には強く興味が引かれてしまうものでして」
照れ隠しに笑いながら言う彼女に笑い返していると、場内を巡回していたと思われる女性の騎士の方に遭遇しました。
灰色の髪を三つ編みにして肩に垂らしていたその女性は、私達を見るや否や壁際に移動して、その場に傅きます。
そんな彼女に、リンデ先生が声を掛けました。
「こんにちは、コレット騎士団長。場内の巡回、ご苦労様です」
「そちらこそ、姫様の介添えご苦労様です。リンデ様」
お二人は知り合いなのでしょうか、と小首を傾げていた私へ、リンデ先生が彼女を紹介してくれました。
「シルヴィ王女。彼女はコレットと言って、新たに騎士団長に任命されたばかりの腕の立つ騎士です。普段は街の警備や魔獣討伐にと忙しくていることが多いのですが、今日みたいな城内勤務の日は、主に宝物庫や書庫の警備を預かっているそうです」
「そうでしたか。すみません、まだ名前を覚えられず……」
「とんでもございません。騎士一人の名を覚えていただく必要などございませんので」
そうは言いますが、ただ城内で守られて暮らしているだけの私に対して、数々の功績を挙げて騎士団長になったであろう彼女を知らなかったのは引け目があります。
これを機に、接点を作っておきたいところですが……と考えたところで、先ほどソラリア様に言われたことと、リンデ先生が紹介してくださった内容が一部重なるところがあることに気が付きました。
「ええと、コレットさんは宝物庫の警備も任されていらっしゃるのですよね?」
「はい」
「でしたら、既に警備は厳重であることは重々承知ですが、より一層、宝物庫を重点的に警備していただくことはできますか?」
「それは可能ですが、今の警備状態では何かご不安でも?」
「いえ、そういう訳では無いのですが……」
この先を言って、問題ないのでしょうか。
……この宝石のことに触れなければ、恐らく大丈夫でしょう。
「宝物庫の中に、グランディア王家に代々伝わる、非常に貴重な宝石が保管されているのです。それをグランディア王家の人間以外に触れてほしくないとのことですので、可能な限り警備を強めていただきたくて」
「とのこと、と仰られますと……。陛下からのご指示でしょうか」
いけません、つい人から言われたことであると口にしてしまいました!
何と誤魔化そうかと慌て始めてしまった私に、お二人がクスクスと笑いました。
「失礼致しました。姫様の命とあらば、このコレット、何人たりとも宝物庫へ近づけさせません」
「すみません、ありがとうございます」
「ではコレット騎士団長。シルヴィ王女をお部屋までお届けしてきますので、また夜に」
「はい。お気をつけて」
私とリンデ先生はコレットさんに軽く頭を下げ、その場を後にします。
部屋に辿り着き、ソファに降ろしていただいた私は、先ほどのやり取りについて少し聞いてみることにしました。
「リンデ先生は、コレットさんと仲がよろしいんですね」
「えぇ、まぁ。と言うのも、私が初めて王城へ招かれて診察をしに来た時の話になるのですが、本当に城内へ入っていいものかと挙動不審になっていた私を、コレット騎士団長が捕えてきまして。事情を話して理解していただけたのが始まりで、個人的にお付き合いさせていただいているのですよ」
「ふふっ。今では私の部屋に来るのに迷わないリンデ先生も、そんなことがあったのですね」
「お恥ずかしながら」
二人で笑いあっていると、部屋の扉がノックされた音がしました。
それに続いて、お母様の声が聞こえてきます。
『シルヴィ、戻ったの?』
「はい、お母様!」
私の返事を聞いて扉を開けたお母様は、中にいたリンデ先生を見て、少し驚いた顔をしていました。
「あら、先生! 今日はもう、お帰りになったものだと!」
「帰り際にシルヴィ王女がふらふらになっていたのを見つけてしまいまして、介抱させていただいておりました」
「そうだったの……。ごめんなさいね、迷惑を掛けてしまって」
「いえいえ、とんでもございません」
リンデ先生に申し訳なさそうに苦笑したお母様は、私へ向き直ります。
「シルヴィ、あの宝石はちゃんと持って帰って来た?」
「はい、こちらに」
宝石箱を取り出してお母様に手渡します。
中身を確認したお母様は、小さく頷きながら、それを大切そうに両手で包みました。
「良かったわ。これを失くした日には、ご先祖様達に呪われてしまうかもしれないからね」
「それほどまでに、貴重な物なのですか?」
「そうよ? だからリンデ先生も、イタズラでシルヴィから借りたりしないでね?」
「ふふっ、承知しております。王家の重要な宝に触れるほど、不神経ではございませんので」
「さて、と。それじゃあ私は、これを宝物庫に戻してからあの人のところに戻るわね。夕食は一緒に食べられると思うから、ゆっくり休んだら食堂まで来て頂戴ね」
「分かりました、お母様」
「では、私もこれで失礼致します。シルヴィ王女、お大事に」
「ありがとうございました、リンデ先生」
私は二人が部屋から出て行くのを見送り、一人きりになった部屋で、ようやく一息つくのでした。




