863話 王女様は強く出る・前編
魔王軍の大規模な進軍。そして、それに伴う王都の守護結界の拡張要請。
私が寝込んでしまっていた夜から朝にかけて、大変な事態になってしまっていたようです。
お母様やお父様には、いつも迷惑を掛けてばかりです。
本当であれば、私が立ち会って話をしなければいけないと言うのに……。
そう考えていた気持ちが顔に出てしまっていたのか、リンデ先生が苦笑交じりに私へ言いました。
「シルヴィ王女が気に病む必要はございませんよ。先ほど、陛下とお話ししてからこちらへ来たのですが、その際にも陛下の方がシルヴィ王女を心配していらっしゃいましたから」
「そうなのですか?」
「えぇ。王女として生まれてしまったばかりに、自由とは程遠い暮らしを強いてしまっているとか、祈りのやり方を変えられて負担がかかるようになってしまっているとか、それはもう大層心配されておりました」
「そんな……! 私は今の暮らしで、十分すぎるほどに自由をさせていただいているつもりですし、祈祷も元々、グランディア王家が守って来た仕来たりですので、負担に感じたことはありません」
「シルヴィ王女がそう仰られても、度々体調を崩されたりしているお姿を見ていらっしゃる陛下達からすれば、心配してしまうのです。それがきっと、親心と言う物なのでございましょう」
私のことなど、本当に心配していただかなくて大丈夫なのに……。
そうは思っても、神祖であるソラリア様への祈祷を行うたびに体調が不安定になるのは、否定しようのない事実です。
祈祷に耐えられるように、もっとしっかりとしなくては。
落ち込んでしまう気持ちに喝を入れ、明日以降の祈祷に向けて気持ちを入れ替えていると、廊下の方が何だか騒がしくなっていました。
「どうしたのでしょうか。誰かが言い争っているようにも聞こえます」
「私が確認してきましょう。シルヴィ王女は、そのままお待ちください」
リンデ先生はそう言って立ち上がり、扉の方へと近寄っていきます。
彼女が扉に手を掛けようとした瞬間、ちょうど私の部屋の前で足を止めたらしいその人達の声が、より一層大きく聞こえてきました。
『ですから教皇様! シルヴィは今日は体調が優れないのです! どうか日を改めてください!!』
『失礼ながら王妃様、先日も同じようなことを口にしていらっしゃいましたな。貴方の言葉通りならば、シルヴィ姫は年中床に臥せていることになりますが?』
『元々体の強くない子なのです! 昨晩だって高熱で――』
『先程のお話通りであれば、既に医者に診ていただいているのでしょう? それならば、言葉を交わす程度なら造作も無いとは思いますが?』
『病み上がりの子に、無理やり話をさせようと言うのですか!?』
半ばヒステリックになっている女性の声は、間違いなくお母様です。
そしてもう一人、耳に残る嫌な感じの男性の声は……私達が嫌うエニピュトン教の最高責任者、ボストン教皇様だと思われます。
元々無遠慮で愛想も無いことで有名な方ですが、信仰心と神の教えを布教しようとする姿勢だけは優秀なため、王家からも教会からも手出しがしにくいという、非常に扱いが難しい人物だったはずです。
私も彼はあまり得意ではありませんが、聞こえて来た話の内容から、リンデ先生から伺った守護結界のことについてだと思いますし、私が対応するべきなのでしょう。
「リンデ先生、教皇様を中に入れてください」
「……よろしいのですか?」
「はい。おかげさまで、体調も少し良くなっていますから」
リンデ先生は少し心配そうな顔を浮かべていましたが、私の言葉を聞き、ふっと優しく微笑んでくれました。
そしてドアを静かに開き、部屋の前で言い争っていた二人へ声を掛けます。
「これはこれは。大変賑やかだと思えば、エニピュトン教の教皇様でいらっしゃいましたか。陛下もそのように声を荒げて、いかがなさいましたか?」
「何だお前は?」
「失礼いたしました。私、王家への出入りを許可いただいております、街医者のリンデと申します。本日は姫様の体調が優れないとお聞きし、診察を行っておりました」
「……あぁ、お前がその街医者か」
白衣のコートをドレスに見立て、優雅に一礼するリンデ先生を無視し、教皇様は部屋の奥にいる私を見据えながら言います。
「シルヴィ姫の診察は終わったと見てよいな?」
「今しがた終えたところでございます。姫様へご用件がおありでございましたら、どうかお静かにお願いいたします。先ほど陛下も仰られておりましたが、本日の姫様は万全の体調ではございません故」
「ふん……そこを退け」
教皇様の言葉に、リンデ先生がそっと横にずれて道を空けます。
室内へ入ってこようとする教皇様の奥で、申し訳なさそうにしていたお母様へ、私は柔らかく微笑みを送りました。
「おぉ、姫様。本日も大変麗しゅうございますな。このように、姫様のお部屋へ足を踏み入れる無礼を、どうかお許しいただきたい」
「構いません。それよりも、私への用件を聞く前に、ひとつだけ言わせていただけないでしょうか」
「何ですかな?」
言い方が悪いかもしれませんが、この人は常々、直接ソラリア様への祈祷を執り行う私へは、常に媚びを売るような態度を見せ続けています。
それほどまでに私を重要視しているのであれば、私からのお願いだって聞いていただけるはずです。
「あなた方が指示する方針には、私は基本的に全て従います。ですが、その過程でお母様やお父様を困らせるようなことを続けるのであれば、今後は何一つ対応しません」
「ほぅ……。ですが姫様」
教皇様が次に口にするのは、いつも通り「神への祈りは神聖なもので、神に無礼があってはいけないので」と言うような内容でしょう。
それはその通りなのかもしれませんが、それ以前に、お母様やお父様を困らせ続ける彼が許せないのです。
人に優しくあり続けることも大切ですが、時には強く出て、相手と対等であると自覚させる必要があると私は知っているのです。
「これは命令ではありませんので、法的な強制力は持ちません。ですが、あなた方教会からの指示も“お願い”ですよね? あなた方のお願いを聞いているのに、私達からの話は聞こうとしないのは、あまりにも不平等だとは思いませんか?」
教皇様をまっすぐ見据え、遠回しに迷惑であるとはっきり口にした私に、お母様は口元に手を当てながら大変驚かれていました。
リンデ先生も似たような反応を示していましたが、こちらは何故かくすくすと小さく笑い始めます。
怒りに目を剥いていた教皇様は、そんな周囲の反応に次第に毒気を抜かれていき、深い溜息と共に了承してくださいました。
「……姫様自ら、そのように申されてしまうとは。分かりました、今後は善処いたしましょう」
「お願いします。それで、お話と言うのは守護結界の件で合っていましたでしょうか?」
私が本題を促すと、教皇様は持ってきていた資料を読み上げながら話し始めました。




