861話 王女様は悪夢を見る
『行きますわよシルヴィ!! フォーリング・ジャベリン!!』
頭に角を生やしたその女性は、唐突に私に向けて魔法を放ってきました。
どういう訳か分かりませんが、あの人達は私を殺そうとしているようです。
逃げなければ……。
その場から駆けだすと、今度は私の眼前で地面がせり上がり、行く手を阻む大きな壁が作り出されました。
走って逃げることは許さない。そう言われているみたいです。
空へ逃げるべきでしょうか。それとも、飛び降りるべきでしょうか。
魔法が使えない私には、空へ逃げると言う選択肢はありません。
となると、取るべき行動は一つだけです。
意を決して崖から飛び降りると、今度は角を生やした女性が、私を飲み込むように真っ暗な門を作り出しました。
その門から伸びてくる無数の手は、門の奥の暗闇へと私を引きずり込もうとしてきます。
その恐怖に目を閉じると、体が勝手に動いたような気がしました。
一体、何が……? と、瞼を持ち上げると。
『これで終わりですわ、シルヴィ!!』
『恨まんといてな、シルヴィちゃん!!』
『すまぬ、シルヴィ!』
角を生やした女性と、褐色肌で尻尾を生やした女性、そして私にそっくりな魔女のような女性が、同時に私に斬りかかって来ていました。
鋭い槍の矛先。岩をも軽く切れそうな大剣。宝石のように輝く、綺麗な水色の剣が私に迫ってきます。
何故、私は殺されそうになっているのでしょう。
何故、私にそっくりな人は、そんなに辛そうな顔をしているのでしょう。
そんな疑問を感じた瞬間、私の体にそれぞれの武器が触れ、真っ赤な血が噴き出し――。
「…………はっ!?」
気が付いた時には、私は自室のベッドの上にいました。
荒い呼吸を繰り返しながら、槍や剣に斬られた部分を確かめるも、痛みも無ければ出血の形跡もありません。
「夢、でしたか……」
ほっと息を吐きながら、額の汗を拭います。
ですが、夢にしては妙に生々しく、私自身が本当にそこにいたかのような感覚もありました。
あの人達は一体、何者だったのでしょう。
私は何故、あの人達に殺されなくてはならなかったのでしょう。
夢に出てくるということは、私の深層心理やこれまでの経験に基づく内容のはずですが、少なくとも私は彼女達のことを一切知りませんし、どこかで見たという記憶もありません。
よく分からない夢でしたが、それよりも今は、悪夢を見たせいで全身が汗ばんでいる不快感の方が強いです。
誰かを呼んで、濡れたタオルを用意していただきましょう。あと、喉も乾いていますので、水差しも……。
ゆっくりとベッドから身を起こし、そのまま降りようとした瞬間、ふと自分の姿が窓ガラスに映っているのが目に入りました。
そこに映し出されている私の姿は、寝起きで髪が乱れているのは当たり前としても、酷くやつれた顔をしています。
恐らく、悪夢の影響が強すぎて疲弊していたのでしょう。
そう考えることにして、改めて立ち上がりますが、直後に強い眩暈が私を襲いました。
とても立っていられないほどの眩暈に膝を突き、ベッドにしなだれかかってしまいます。
何でしょうか。重い風邪を引いた時のような、強い倦怠感と体力の消耗を感じます。
本当に風邪を引いていたのでしょうか、と自分の額に手を当ててみますが、先ほどまでうなされていたこともあり、自分自身では体温が高いのか低いのか、判別することができませんでした。
……とにかく、この体調不良も含めて誰かを呼ばなければ。
半ば這うように移動し、机の上にある呼び鈴に手を伸ばします。
静まり返っていた室内に鈴の音が響き渡り、それから間もなくして、夜勤の給仕係の方が姿を見せてくれました。
「お呼びでしょうか、姫様――きゃあ!? 姫様!? どうなさったのですか姫様!?」
「すみません……。すごく、うなされてしまっていて……。体を拭きたいので、濡れタオルを用意していただけませんか? あと、お水と、体温計を……」
「か、かしこまりました!! 急いでご用意いたします!!」
今の私の姿は、恐らく自分が思っている以上に酷いものだったのでしょう。
慌てふためきながら出て行ってしまった彼女には、悪いことをしてしまいました。あとで謝っておかなくては……。
ぐったりとしながらもベッドまで戻り、給仕係の方が戻ってくるのを待っていると、やがて複数の足音が近づいてくるのが聞こえてきました。
「姫様、失礼致します! お医者様もお連れ致しました!」
お医者様……? と、顔をそちらへ向けると、そこには先日診ていただいたばかりのリンデ先生がいらっしゃいました。
「夜分遅くに失礼します、シルヴィ王女。明日の定期健診に備えて、本日は客間をお借りしていました」
「そう、でしたか。いつもすみません、リンデ先生……」
「とんでもございません。とりあえず、まずはこちらを」
リンデ先生がカバンから取り出したお薬を、水と一緒に飲み込みます。
よほど喉が渇いてしまっていたようで、お水のお代わりをいただいて喉を潤していると、リンデ先生が「失礼しますね」と言いながら私の首元に手を当ててきました。
「ふむ……。間違いなくあれのせいですわね。ですが……」
「リンデ先生……?」
何かを思案するように独り言を零すリンデ先生に声を掛けると、彼女はハッとして私から手を離しました。
「失礼しました、シルヴィ王女。恐らくですが、突発的な発熱によるものでしょう。今、お薬をご用意いたします」
「あの、風邪か何かなのでしょうか。もしそうであれば、お母様達に感染したくないのですが……」
不安を口にした私へ、リンデ先生は少し驚いた様子を見せましたが、ふっと優しく笑いました。
「ご心配には及びません。これはいわゆる、過労という物です。シルヴィ王女はご自覚なさっていなかった様子ですが、その実、疲れが溜まっていたのでしょう」
「疲れだなんて、そんな」
「真面目で責任感の強い方ほど、自分はまだ疲れていないと口にする物です。陛下には私からお伝えしておきますので、シルヴィ王女はどうか、明日は安静になさってください」
リンデ先生はその場でお薬を調合し、給仕係の方に出来上がったものを手渡します。
先生から処方されたお薬の飲み方などを聞き終えた彼女は何度も頭を下げると、部屋の扉を開けて見送りをしようとし始めました。
「あの、リンデ先生!」
そのまま帰ろうとする後ろ姿を、思わず呼び止めてしまいました。
私の呼びかけに、リンデ先生はゆっくりと振り返ります。
「あの……。こういう話は専門外かもしれないので、分からなければそれでいいのですが、質問させていただいてもいいでしょうか」
「はい。私に答えられる内容であれば、何でも答えましょう」
「ええと……。その、人が見る夢に、見知らぬ人が出てくることはあり得るのでしょうか? 例えば、その人達に殺される夢だとか……」
後半、尻すぼみになりながら質問を行った私へ、リンデ先生は一瞬だけ目を大きく見開いたような気がしましたが、すぐにいつもの柔らかな微笑みへと表情を変えました。
「誰かに殺される夢と言う物は、俗学的な考えではありますが、“事態が好転する前触れ”だと言われることがあります。何か大きな壁を乗り越える必要がある時や、どうにもならない事態に直面して身動きが取れない時などに、夢の中で困難の原因である自分を殺害してリセットしようとするのだとか」
「事態が好転する、前触れですか?」
リンデ先生は静かに頷き、こちらに半分背中を向けながら続けます。
「もしかしたらシルヴィ王女も、何か大きな困難に直面しているのかもしれませんね。その時はきっと、自分を殺していた人達が助けになる……そんな暗示だったりするのでしょう」
「私は専門家では無いので、噂程度の知識しかありませんが」と付け足し、リンデ先生は小さく笑いました。
「それではシルヴィ王女、おやすみなさい。薬が効かなかった時は、また呼んでください」
「はい、ありがとうございました。先生」
彼女は小さく頭を下げると、給仕係の方と共に部屋を去っていきました。
一人取り残された私は、リンデ先生の言葉を頭の中で反芻します。
事態が好転する前兆。自分を殺した人達が、助けになるかもしれない。
それは一体、どういう意味なのでしょう。
彼女達は今後、私の前に現れることがあるのでしょうか。
……深く考えても、分からないものはどうしようもありません。
それに何だか、お薬が効いてきたのか、だんだんと眠くなってきた気がします。
ぽすんと枕に頭を置き、ぼんやりと天蓋を眺めている内に、私の瞼はどんどん重くなっていくのでした。
 




