844話 ご先祖様は頼りにしている 【シリア視点】
レオノーラとの夕食を終えた妾は、転移で不帰の森を訪れていた。
無論、猫の姿もソラリアにはバレておるが故に、半実体としてじゃ。
日も落ち、冬の寒さに動物も寝静まった森を見渡しながら進んでいると、目的地のひとつとも言える場所が見えて来た。
『久方振りじゃな、我が家よ』
我が家、と言うにも無理があるそれを見て、妾は小さく呟いた。
そこには妾とシルヴィが住んでいた家は無く、獣人達が切り開く前の木々のみがあった。
魔女の存在がこの世界から消されたと言う事は、無論、妾達の痕跡も消されたということ。
その痕跡でもあり、影響力のあった“魔女の診療所”が存在すらしていなかったと定義されるのは、想定通りであったとは言え、中々に来るものがあった。
当然、獣人やハイエルフ、兎人族にも影響は出た。
日々命を賭した狩りで生計を立てる奴らは、時には重症を負い、死に至る。
妾達が来るまでのその生活に巻き戻ったことで、それほど多くなかった頭数も徐々に減っていき、あの頃の活気なぞ見る影もない。
獣人族は日々の狩りで負傷し、ハイエルフは日夜の警戒に憔悴し続け、兎人族も営業なぞままならぬ……。それが今の森の現状じゃ。
――まぁ、これも“表向き”ではあるがの。
妾は家があった場所の中心地まで移動し、転移陣を起動する。
調整に調整を重ね、起動から発動まで魔力検知に一切引っかからない特製の転移魔法。その魔法が連れて行く先は、とある屋敷の地下じゃった。
星々の光すら一切入らぬ、鬱々とした牢の中に転移するや否や、侵入者かどうかを確かめるための仕掛けが起動する。
『いらっしゃいませ。当店へどのようなご用件でしょうか』
「ちと葡萄酒が入用でな。蛇と猫が踊り狂うようなものがいい」
『……かしこまりました。こちらへどうぞ』
実体に戻した妾を案内するように、牢の扉が独りでに開く。
牢の外へと進むと、音も無く姿を現した二人の魔女が妾を出迎えた。
「お帰りなさいませ、シリア様」
「既に【豊穣の魔女】様はお戻りになられております」
「うむ、ご苦労」
前方と後方を塞がれるように間に挟まれながら、地上へと繋がる階段を上がっていく。
そのまま階段を上がり切ろうとしたところで、背後の魔女から声を掛けられた。
「シリア様、お着替えが済んでおられません」
「おぉ、そうであったな。すまぬ」
妾は指を鳴らし、即座に着替えを済ませる。
シルヴィに与えた魔女服から、白と金を基調とした修道女服へと着替えた妾に、二人は頷いて扉に手を掛けた。
ギィッと音を立てながら扉が開いた先には、書き物をしている一人の医者の女の姿があった。
「すまぬ、遅くなったな……セリよ」
妾の呼びかけに、その医者――【豊穣の魔女】セーリンデ=クルトワはピクリと反応し、こちらへ振り返った。
「とんでもございませんわ。夜分遅くに申し訳ございません、シリア様」
セリはそう言うと、ふわりと笑った。
妾は後ろの二人に、下がるようにと手で指示しながら話を進める。
「どうじゃった、シルヴィの様子は」
「流石は【慈愛の魔女】様と言ったところでしょうか。力を封じられたとは言え、その魔力量は未だに健在です。さらに、王城で行われている“祈祷の儀式”でその魔力を日々奪われ続けてはいるようですが、奪われる度に危機感から、彼女に掛けられている洗脳が綻びを見せています」
「ほぅ、洗脳を自力で解こうとしておるのか!」
「はい。ですが、ソラリアも洗脳が解けるのを黙って見ているはずもありませんので、恐らく先日のように、再び強い洗脳を施し直すかと」
セリの言葉に、妾は腕を組みながら考える。
未だ万全ではない奴が動き続けられるのは、偏にシルヴィの力で半壊した核を守っているからじゃろう。
じゃが、奴が必要としている魔力量はそれだけでは収まらん。
戦線を維持するための死神兵の増産に、幽世の門の創造。さらに王都を守護する防護結界の維持に、シルヴィ自身の洗脳。これらを並列して進めるには、莫大な魔力と集中力が要求されるはずじゃ。
「やはりシルヴィの魔力量は化け物レベルじゃな」
「それに関しては、同意せざるを得ませんわ」
とても妾一人の魔力でも賄いきれぬそれを、一時的な魔力欠乏症で倒れるくらいで済むと言うのじゃから、ほんに末恐ろしい娘よ。
「して、ソラリアの居場所は掴めそうか?」
「そちらに関しては、まだ調査不足です。何せ、厳重な警戒態勢が敷かれ続けているので、警備の目を掻い潜るのは至難の業ですわ」
「そうか……。いや、無理はするでないぞ。この一か月、何とか王城に精鋭を送り込めぬかと下準備を続けてきたのじゃ。それを気の焦りで潰されては適わぬ。それに、ソラリアもしばらくは身動きが取れぬはずじゃからな」
「心得ております。皆様が紡いでくださったこの立場を上手く使って見せますわ。今の私は、街医者のリンデですから」
そう己の胸に手を当てながら言うセリは、見てくれは街医者その物じゃった。
普段の修道女をモチーフとした魔女服なんぞよりも、よっぽど似合っているように思え、つい笑ってしまう。
「くふふ! お主の才を見込んで医者に仕立て上げたが、存外はまり役ではないか?」
「はい。魔法での治癒の方が早くて楽ではあるのですが、意外とシリア様達からいただいた薬剤の調合と言うのにも慣れてきて、楽しくなってきたところです」
「そうかそうか! お主もやはり、土属性に適性がある者じゃな。創造の悦びは中々に楽しいからの。じゃが、うっかり魔女を辞めて、錬金術師へ転じられても困る。ほどほどにな」
「うふふ! それはもちろんですわ。私は現代の土属性の頂点に立つ、【豊穣の魔女】。如何に【慈愛の魔女】様やシリア様に憧れと愛おしさを感じているとは言え、その立場を見失うほど愚かではないつもりです」
「うむうむ、よい心がけじゃ。……して、お主は先ほど、何を書いておったのじゃ? 妾達用の報告書か?」
「あっ、これは!!」
机に近づこうとする妾から、その書類を隠そうとするセリ。
その反応が怪しく思え、ひょいと奪って目を通してみると、その内容に妾は苦笑せざるを得なかった。
「セリよ……。あまり妾のシルヴィについて熱くなりすぎるでないぞ? あ奴にそちらの気が芽生えたらどうするつもりじゃ」
「その時は、私が責任を持ってお相手致します!」
「そうじゃなくてじゃなぁ……」
そこに記されておったのは、医療の一環である“触診”で得たシルヴィの体の状態や、肌のきめ細やかさ、弾力などが鮮明に記された、いわゆる官能小説であった。それも、女同士のものじゃ。
いわゆる“濡れ場”と呼ばれるシーンを書いておったらしいセリは、妾にそれを読まれ、照れと羞恥で顔を赤く染め上げながら隠し悶えるのじゃった。




