842話 王女様は祈りを捧げる
お母様と共に、グランディア王城の最上階にある大聖堂へ訪れた私は、夕日に照らされて輝いているステンドグラスに感嘆の声を漏らしました。
「……いつ来ても、本当に綺麗な場所です」
「そうね。まるで〇〇〇〇様の威光を現しているみたいよね」
お母様がソラリア様の名を口にしようとした時、その部分だけがぼやけたように聞こえました。
毎度の事ながら、本当に不思議な現象です。私以外の皆さんがソラリア様の名前を口にしようとすると、必ず言語化できずにぼやけた様な発音になってしまうのです。
どうして私だけがはっきりと発声できるのかは不明ですが、私が小さい頃からの現象なので、今更気にする理由もありません。
お母様の言葉に頷き、奥に見える神々しい神像を見つめます。
かつて、人間の身でありながら数多の偉業を成し遂げ、世界大戦をも終結させた功績を神々に認められ、神様になったという神祖、ソラリア様。
彼女の勇ましさを現すかのように、雄々しく掲げられている槍の矛先には、ステンドグラスから射し込む光が収束しているかのようにも見えました。
「ほらシルヴィ。ぼーっとしてないで、お祈りを始めるわよ? お父様のために、美味しいお茶菓子を差し入れるのでしょう?」
「そうでした、すみません!」
指摘されて慌てる私を、お母様はクスクスと笑います。
気恥ずかしさと申し訳なさに顔を俯かせながら歩を進め、神像の前まで近づいたところで、お母様が私に言いました。
「それじゃあ、いつものをお願いね」
「はい、お母様」
神像の前で跪くお母様から、ソラリア様の神像へと視線を移します。
これから始める神祖への祈りは、雑念を捨て、精神を集中させて取り組まなければなりません。
私は自分の胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をしてから、そっと両手をソラリア様の台座に添えます。
「それでは、始めます」
「えぇ」
祈るように両手を組み、頭を下げるお母様。
私よりも前の王家が行ってきた、由緒ある神祖への祈りの捧げ方です。
何故か私の代からは、神像に直接触れながら祈りを捧げるという作法に変わったようなのですが、詳しい理由は分かりません。
と言うのも、お父様やお母様に尋ねてみても、「教会がそうしろとうるさかったから」としか教えていただけないため、それが本当かどうかすらも分からないのです。
……祈りの前にこんなことを考えてはいけません。お母様が既に祈りを捧げているのです。私も早く、祈りを捧げなくては。
自分を叱責し、改めて精神を集中させながら瞳を閉じます。
「偉大なる守護神、ソラリア様。本日も力なき我らを天よりお守り頂き、ありがとうございます。どうか明日も、我らを害なす脅威からお守りいただき、恒久なる平和のために我らをお導きくださいませ」
お母様と声を揃えて、祈りの口上を口にします。
祈りの言葉と言えども、やはりお母様だけはソラリア様の名をはっきりと読み上げることができませんでしたが、これもいつもの事です。
そしていつものように、深い祈りを捧げ終わると、大聖堂のステンドグラスの窓がぼんやりと輝きました。
今日も無事に、私達の祈りがソラリア様へ届いたようです。
安堵すると同時に、私の体から力が抜け、ふらりと倒れそうになりました。
それをすかさずお母様が支えて下さり、困ったように笑います。
「本当に、シルヴィはお祈りの後はいつも倒れそうになるわね」
「すみませんお母様……。お祈りが終わると、体に力が入らなくなってしまって……」
「ふふ、今に始まったことじゃないもの。気に病むことは無いわ」
お母様は私を長椅子へ横たわらせ、私の頭を膝の上に置くようにして腰を下ろします。
そのまま私の頭を優しく撫でながら、お母様は私に言いました。
「むしろ、謝らないといけないのは私達の方よ。今までとは違う作法を覚えさせて困惑させて、神聖な神像に触れさせて倒れさせてるのだから……。いつもごめんなさいね、シルヴィ」
「お母様が謝ることなど……!」
身を起こして否定しようとした私の動きを読んでいたお母様が、私の額をグッと押さえ付けます。
「寝てないとダメでしょう?」
「ですが」
「あなたが言いたい事も分かるの。でも、この決定を跳ね除けられなかった私達の責任でもあるのよ」
お母様の申し訳なさそうな顔を見て、胸が苦しくなります。
私達王族は絶対的な権力を有しながらも、神祖ソラリア様を信仰していることから、同じソラリア様を信仰するエニピュトン教からの指示を受けなくてはならないのです。
王家の成り立ちがソラリア様由来の部分が大きいからこそ、強く出ることができない立場にあるお父様とお母様が苦悩しているところを見て育っている身としては、いつかこの体制を変えたいと考え続けているのですが、女王となる日までは何もできない現状に、ただ歯噛みするしかできませんでした。
しばらくお互いに無言の時間を過ごしていましたが、ある程度動けるようになった私が身を起こそうとしたのをきっかけに、その静寂は破られました。
「あら、もう大丈夫なの?」
「はい。いつもありがとうございます、お母様」
「お礼なんていいのよ。立てる?」
先に立ち上がり、私に手を差し伸べてくださるお母様の手を取って立ち上がります。
その瞬間、本当に一瞬だけでしたが、強い立ち眩みのような感覚に襲われました。
「どうしたのシルヴィ!?」
「いえ……大丈夫です。少し、立ち眩みがしただけで」
「まだ休んでいた方がいいんじゃないかしら……。お医者様を呼んでくるから、ここで待っていなさい」
「大丈夫ですお母様! お母様!」
お母様は私の呼び止めを聞かず、パタパタと大聖堂から走り去っていってしまいました。
このまま追いかけてもいいのですが、それはそれで、お母様を一層心配させてしまうかもしれません。
それならば、ここで大人しく休んでいた方が賢明なのでしょう。
私は小さく息を吐いて長椅子に座り直し、夕焼けとステンドグラスの灯りに照らされているソラリア様の神像を眺めながら、お母様の帰りを待つことにしました。




