841話 王女様は父が心配
「……、…………。……と、風邪を引いちゃうわよ?」
「う……ん…………?」
遠くから、誰かが私に呼びかけているような声が聞こえます。
とても懐かしく感じると同時に、聞き覚えがないようにも感じられる不思議な声に目を開けると、優しく微笑みながら私を見つめている女性の顔がありました。
私と同じ、銀色の長い髪に宝石のような青い瞳。
私の愛するお母様であり、このグランディア王国の王妃でもあるリヴィ=グランディアです。
「あ、やっと起きたのね。こんなところで寝てたらダメでしょう? せっかくのドレスもしわになっちゃうじゃない」
こんなところ……。
お母様から視線を外し、辺りを見渡します。
お母様が手に持っているキャンドルホルダーで照らされている室内には、沢山の本棚と燃え尽きた薪が崩れている暖炉があります。
どうやら私は、この暖炉の火の心地よさで読書中に眠ってしまっていたようです。
「すみません、お母様。眠ってしまっていました」
「うふふ。私も昔、よくここで読書をしながら眠ってしまっていたから、気持ちはよく分かるわ」
「お母様もですか?」
「そうよ。私がまだ王妃になる前、時々あなたのお父さんと一緒に、ここで本を読みながら遊ぶことがあったの。その時もこうして暖炉の前にいたんだけど、この火の音と温かさが気持ちよくってね」
お母様の意外な過去の話に驚いていると、そんな私をお母様はクスクスと笑いました。
「さて。シルヴィも起きたことだし、そろそろ行かないとね」
「どちらへ行かれるのですか?」
「どちらって、まだ寝ぼけてるのかしら」
お母様は小首を傾げ、私に言います。
「今日はお祈りの日よ? 神祖様にいつも祈りを捧げる時間でしょう?」
神祖様への祈り……。
そこでようやく私は、お母様が何故私を探していたのかが理解できました。
「すみませんお母様! 大事なお祈りを忘れて、こんな……!!」
「いいのよシルヴィ、これから心を込めてお祈りすればいいだけだから。さぁ、行きましょう」
優しく許してくださるお母様の後に続いて、図書室を後にします。
渡り廊下を歩きながら、外へと視線を向けると、今日も慌ただしく兵達が出陣していくのが見えました。
「お母様、今回の戦いはかなり長引きそうですね」
「そうね……。まさかここにきて、魔族が全面戦争を仕掛けてくるだなんて思わなかったもの」
「これまでの戦いとは規模が違うと、お父様も軍の指揮を執る方と頭を悩ませていらっしゃったような気がします」
「ここのところずっとよ。おかげでまた、あまり体調が良くなくなってきているわ」
「お父様、無理をされないといいのですが……」
最近は食事の時間も合わず、久しく見ることのできていないお父様を案じていると、お母様がそっと私の頬に触れてきました。
「大丈夫。今は忙しくて会えないけど、落ち着いたらまた一緒に過ごせるようになるわ。だから今は、私達に出来ることを精一杯やりましょう」
「お母様……」
私だけが悲しいわけではありません。
お母様も、もう長らくお父様とゆっくりできていないのです。
私は落ち込んでいた気分を無理やり追い出し、お母様に笑って見せました。
「すみませんお母様。私はもう大丈夫です」
「ふふ、良い子ね。じゃあ、お祈りが終わったら私とお茶にしましょうか」
「よろしいのですか!?」
「もちろん。可愛い娘と楽しくお茶をするのも、母親として当然だもの」
そう笑うお母様を見て、心が弾みます。
ですが、どうしてでしょう。
お母様が時々、お母様では無いように見えてしまう気がしてしまうのです。
「どうしたのシルヴィ?」
「……え?」
そんなことを考えていた私へ、お母様から声がかけられます。
お母様は私を見ながら、少し心配そうにしていました。
「大丈夫? やっぱり暖炉の前で眠っていたから、体が冷えたりしたのかしら」
「い、いえ! そんなことはありません! その、少し考え事をしていまして」
「考え事?」
私は本当に、お母様の娘なのでしょうか。
そんなありもしない可能性を口にするほど、私は愚かではありません。
私はグランディア王家の第一王女であり、お母様とお父様の間に生まれた娘、シルヴィなのですから。
「お父様への差し入れを何にしようかと考えていました」
「……まぁ! 本当に親想いの良い子だわ!」
「わっ!?」
お母様は嬉しさを体で表現するように、私をぎゅっと抱きしめてきました。
あまり背丈の変わらないお母様に抱きしめられながら笑っていると、お母様は私の両肩に手を置いたまま、私の顔が見えるように少しだけ体を離しました。
「あの人は意外と、甘いものが好きなのよ? だからお茶会をする前に、お茶菓子を少し分けてもらいましょっか」
「はい!」
「よーし、そうと決まれば早くお祈りを済ませちゃいましょう! 愛するお父様の元気のために、頑張るわよー!」
私を元気づけるためか、はたまた自分自身が嬉しかったのかは分かりませんでしたが、拳を高く掲げながらそう言うお母様はとても愛らしく見えるのでした。




