834話 異世界人はオタクが分からない 【レナ視点】
「……! ……い、……のか花園!!」
「えっ」
誰かに強く名前を呼ばれた気がして顔を上げると、そこには怒りで顔を染めあげている中年男性がいた。
眼鏡にバーコード禿げ、そしてスーツ姿の小太り体型という如何にもなおじさんの顔をぼんやりと見ていると、自分が怒られていたという事を思い出した。
「あ、えっと……。すみません」
「すみませんじゃないんだよ花園! お前、ここ最近の業務態度悪すぎだぞ!?」
バンッとテーブルを叩かれ、決して広くは無い小会議室に音が反響し、あたしの体がビクッと反応した。
「すみません……。最近その、体調が良くなくて」
「またそれか! 先月も似たようなこと言っていたが、そんなに体調管理ができないなら辞めていいんだぞ!?」
先月……。あれ、あたし先月も怒られてたっけ?
直近でそんなに怒られた記憶は無いんだけど……と、部長の後ろにある壁掛けのカレンダーを盗み見る。
今日は一月の二十日。先月は年越しってこともあって、色々と早めに動いたり別部署の応援に言ってたりしたから、部長と直接顔を合わせることは数えるくらいしかなかったと思う。
「あの、部長」
「何だ!?」
「あたし、その……先月、部長とどこで話をしましたっけ」
「はぁ!? ふざけてんのかお前は!? 先月と言えばあれだろう!」
こめかみに青筋を立てながら部長が捲し立てようとしたけど、いきなり言葉が出なくなってしまったかのように口をパクパクとさせ始めた。
「お? うーん……? 言われてみれば、そうだなぁ。俺も花園を叱った記憶が、あったような無かったような……」
「先月はあたし、企画部の応援に行ってましたし、部長と顔を合わせたのも廊下ですれ違った時くらいしかなかったと思うんです」
「うん……。うん? うーん……」
何故、あたしに対して“先月も似たようなこと言っていたが”と口走ったのかが、部長自身も分からなくなっているらしい。
だからって目の前で悩み始めて、視線で“お前分かる?”って問われても分からないんだけど。
「あー、ダメだ分からん! 昨日の酒が抜けてなかったか……? まぁいい、とにかくだ! ここ最近のお前はぼーっとし過ぎだ! 体調が悪いなら、さっさと他の奴に引き継いでから休め! いいな!?」
「すみません」
「話は以上だ! 持ち場に戻れ!」
部長はあたしより先に会議室を出て行き、ぶつぶつと何か文句めいたことを言いながら戻っていった。
残されたあたしは、疲れを溜息に乗せて吐きだし、会議室の電気を消して外に出る。
すると、あたしが出てくるのを待っていたかのように、女性の声が掛けられた。
「れーな! お疲れー! 今日は割と短い方だったんじゃない?」
あたしよりも少し背が高く、栗色の髪をセンター分けにしているその女性は、あたしをそう労って来た。
あたしは危うく“誰?”と言ってしまいそうになったのをぐっと堪え、必死に記憶の引き出しを漁り始める。
えーっと、誰だったっけこの人……。
この会社であたしを名前呼びする人はそんなに多くなかったはずだし、部長が怒ると長いって言うのを知ってるってことは、あたしと同じ部署だと思うんだけど、何故か名前が出てこない。
そう言う時は観察よ。気づかれないように、相手の情報を盗み見るのよ。
ニヤニヤとどこか楽し気な顔。
あたしに目線を合わせるように、少し前屈みになっている姿勢。
ふわりと香る甘い香水の匂いと、やけにぷるぷるの唇……。
あっ、思い出した!
「……梓、見てたんなら助けてくれてもいいじゃない」
「やだよー。部長が怒ってるときに話しかけると飛び火するじゃん」
「それはそうだけどさー」
白木 梓。あたしと同い年の同期組だ。
いつも楽しそうにしてて、人をからかって来ることも多いけど、何だかんだあたしのことをよく見てる数少ない友人と言ってもいい。
「それにさ、恋奈が先月から様子がおかしいのは部長の言う通りじゃん」
そう。良くも悪くも、あたしのことをよく見てる。
だからこそ、梓の前ではあまりミスができない。
「うっ……。その節はどうも、ご迷惑をお掛けし……」
「ご迷惑をお掛けしたと思ってるなら、ディナーを奢るくらいしてくれてもいいと思わない?」
「はぁ……。あんまり高くないところにしてよ?」
「やった! さっすが恋奈! 分かってるぅ!」
「あんたが万年金欠なことくらい、あたしも分かってるわよ。いい加減、推しに貢ぐの辞めたら?」
梓の趣味であるアニメキャラへのヲタ活は、正直度が過ぎていると思う。
まぁ無理も無くはないかなぁと思うとこもあるんだけど……。と言うのも、そのアニメのやり方がズルくて、四カ月に一回行われる人気投票で一位に輝いたキャラはグッズ化とドラマCDが発売されるっていう手法を取ってるせいで、梓みたいにどハマりした人は推しキャラのグッズ欲しさに色々買い漁っては人気を押し上げようとしてしまっているのだった。
「それはダメ」
「マジトーンの即答じゃん」
「いやだって、冷静に考えてよ恋奈」
「冷静になるのはあんただってツッコミは無し?」
「無し」
「じゃあ続けて」
「いい? 私達が日々、あの脂ぎったクソ上司に頭下げたり愛想よく接したり、こいつらが消えればうちの利益もっと上がるんじゃないのって思う取引先に媚び売ったりするのは、一体何のためだと思う?」
「あたしは人前でそこまで言えちゃうあんたが時々怖いわ。……生きていくためじゃないの?」
「甘い、甘いよ恋奈! 生きていきたいだけならナマポでいいんだよ!! なんならパパ活でもいい!!」
すっごい発言が飛び出した。
軽く引くあたしを気にせず、梓は拳を握りしめて熱弁を始める。
「いい!? 私達が何のために汗水垂らしてお金を稼ぐのか……。それはね、推しに囲まれて生活を豊かにするためなの!! そのためには、ナマポやパパからのお小遣いみたいな汚いお金じゃなくて、自分で稼いだ綺麗なお金じゃないといけないの!! 薄汚れたお金を推しに捧げようものなら、私はこの手で推しを汚したことになる!!」
何となく言いたいことは分かるけど、色々とマズイ発言のせいで全然頭に入ってこない。
自分の生活費を削ってまで推し活をしてるから大丈夫だとは思うけど、一時期そういう事やってたのかなってちょっと不安になって来た。
「だからね恋奈!? 私が金欠なのは、私が綺麗なお金使って推しを推してるからなの!」
「あたしは使う金額を程々にしたらいいと思うんだけど」
「私の諭吉で順位が上がるかもしれないじゃん!!!」
重症だわ。
「諭吉の一人や二人で、そんな変わるもんじゃ――」
「変わるの! 変わるから苦しいの!!」
そんな接戦を繰り広げなきゃいけないって、かなり狭い世界なのかな。
あまり理解ができてないあたしに、梓はスマホの待ち受けを見せながら熱弁を続ける。
「見て恋奈! この子、この金髪童顔の子が秀太朗! 秀太朗はね? 英才教育を施されている天才達が集まる学校に、努力だけで入った普通の子なの! 最初は庶民だなんだってバカにされたり苛められたりするんだけど、それでも努力を止めない秀太朗に他の人たちが心を開き始めていって……あぁ、なんて健気いい子なの秀太朗!!」
「よく分かんないけど、その秀太朗って子が主人公なの?」
「そう! この如何にもオレ様系なのが陸斗で、こっちのインテリイケメンが大夢、でこっちが……」
「あ、あーあー、もう大丈夫。それで、その子達でトップを争い合ってるってことなのね」
「そうなの!! この前なんか、お金換算で僅か十万の差で陸斗が一位に輝いてさ……」
「その時の秀太朗は何位だったの?」
「七位」
それ、もう戦う土俵にすらいないんじゃ……。
え、って言うか七位と一位の差が十万だけなの? ホントに狭い世界で戦ってないあんた?
「でも違うの、聞いて!? その時は陸斗が丁度、コンテンツ供給的にも強かったから仕方なくて! いつもなら秀太朗も三位とかにいたの!!」
秀太朗のここがいいだのなんだのとプレゼンしてくるのを聞き流しながら、スマホの待ち受けにいる面々を見つめてみる。
全員顔がいいのは当然として、オレ様系からショタ系まで完璧に網羅してると思うし、傾向的にもBLってジャンルだから女性層狙いなのもよく分かる。
とは言え狭すぎない? と思いつつも、断片的に聞いていた話から話を合わせてみることにした。
「うーん。まだ全員がどんな子か分からないけど、今の段階ならあたしも秀太朗って子がいいかな。何かこう、まっすぐに頑張ってる感じが好き」
「は?」
あたしがそう答えた瞬間、びっくりするくらいテンションがどん底に落ちた梓の一言が聞こえた。
その顔には、心底嫌だとはっきり書かれている。
「ごめん、そう言うのいらない。ていうか私と推しを被せないで。無理」
え、何こいつダル……。
「……今日の終業後、イーストエリアのエントランスで待ち合わせね。それじゃ」
急激にテンションが引いていった梓はそれだけ言い残すと、そのまま去っていってしまった。
結局、なんだったのあいつ……。




