806話 暗影の魔女は空を染め上げる
「エル、フォニアさん……? 生きてるのですか……?」
『こんなところで……死ねるわけ、ないじゃない……』
そうは言いながらも、激しく吐血する彼女は既に瀕死の重体です。
私は即座に駆け寄り、持てる魔力を全て治癒魔法に回す勢いで彼女の手当を始めます。
しかし、二人固まった瞬間にドラゴンが再びブレスの構えを取り始め、今までには無かったその行動に私の表情が強張ります。
「エルフォニアさん! 一旦離れます!!」
『その必要はないわ』
「えっ!?」
彼女はドンッと私を突き放すと、血を滴らせながらゆっくりと浮かび上がっていきます。
『このブレスは……けほっ! 攻撃、準備時間がとても長い。攻めるなら、今が最適なのよ』
「ですが、そんな体では!!」
『悪魔化は、あなたのような神力や、レナのような魔力反転とは勝手が違うわ。一日に一度しかできない以上……ここでやるしかないのよ』
エルフォニアさんはドラゴンの顔の位置まで移動すると、右腕を突き出し、それを左手で支えるように構えました。
それに合わせ、彼女を中心に暴力的な魔力の渦が沸き上がり始め、徐々にエルフォニアさんの右手に収束していきます。
『やれるわね、アザゼル』
『ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!! 当然だろうがよエルちゃんよぉ!? ドラゴンなんざ図体のデカイトカゲだぜ!? オレ様を誰だと思ってやがる!? 神様も震え上がる大悪魔、アザゼル様が負けるはずがねぇだろ!!』
どこからか聞こえてくる男性の声に、エルフォニアさんが小さく笑いました。
より禍々しく、より激しく猛り狂う魔力を右の手の平に収束させながら、エルフォニアさんは少しだけこちらに振り返って言います。
『悪いけれど、ここから先の戦いでは私は戦えないわ。その代わり、これは私が仕留める。シリア様にそう伝えてもらえるかしら』
「待ってください! それではエルフォニアさんが!!」
『シルヴィ、自分の目的を見失わないで頂戴。あなたが戦わなくてはいけない相手は、あのソラリアよ。こんなのと戦って消耗させられて、万全の状態ではないあなたが戦ったとして、私達の作戦にどれだけの成功率が残るのかしら』
「それ、は……」
エルフォニアさんの言葉を受け、はるか上空で戦っているレナさんとソラリア様を見上げます。
彼女達が戦ってくれているおかげで、先ほどまでのドラゴンとの戦いで消耗した分は帳消しにできるかもしれません。ですが、この先もこのドラゴンと戦い続けるとなると、とても互角の状態では望めないでしょう。
『シリア様はプラーナとの決戦が控えている。あなたはソラリアを極限まで追い込む必要がある。それはあなた達にしかできないことで、私達では代われない重要なことよ。なら、私達が為すべきは、あなた達を可能な限り万全の状態で決戦に送り届けること。違うかしら?』
エルフォニアさんの言う事は正論で、今回の作戦において最も忠実であるとも言えます。
私達のために覚悟を決めてくれている彼女をこれ以上妨げるのは、彼女に対して失礼なのかもしれません。
「……分かりました。よろしくお願いします、エルフォニアさん」
エルフォニアさんはふっと笑うと、さらに魔力を爆発させながらドラゴンを見据えました。
ドラゴン側も徐々にレーザーの準備が整い始めていて、もう少しで打ち出してきそうな様子を見せています。
『しっかしよぉ、エルちゃんも随分と丸くなったもんだよなぁ。前のお前さんだったら、こんな自己犠牲での作戦遂行なんざ認めなかったんじゃねぇのか?』
『そうかしら。私はいつでも、作戦遂行のためならどんな手も使っていたと思うけれど』
『それが例え、自分が死ぬかもしれねぇって代償があってもか?』
『……そう言われると、そこまででも無かった気がしなくも無いわね』
『ヒャヒャヒャ! そりゃそうだろうよ!! なんつったっても、エルちゃんの目標は世の魔術師を皆殺しにするまで終わらねぇんだからよぉ!!』
ゲラゲラと笑うアザゼルさんの声に溜息を吐いたエルフォニアさんは、こちらに顔を向けないまま私に言いました。
『シルヴィ、そろそろここから離れておきなさい。それと、あれを倒した後に私の回収も頼めるかしら』
「もちろんです。セリさんのところまで必ず届けます」
『悪いわね』
「いえいえ。では、離れておきますね」
エルフォニアさんに従い、彼女から離れて上空へと向かいます。
私が離れていく間にも、エルフォニアさんとアザゼルさんの会話は続いていました。
『おーし、そろそろいいぜ。五秒カウントでぶっぱなしちまいな』
『えぇ。……五』
『ぃ四!』
『三、二』
『いーち!』
『ゼロ』
カウントダウンがゼロになったと同時に、一瞬だけ世界から音が無くなったように感じられましたが、二人の声だけは鮮明に聞こえました。
『『滅びよ世界――エンド・オブ・ザ・ワールド!!』』
エルフォニアさんの手の先から、ドラゴンのブレスなんて比べ物にならないほどの破壊力を持ったレーザーが放たれました。
それは詠唱の通り、世界を滅ぼさんとするほどの漆黒に染まっていて、彼女が向いている先の景色が闇に飲まれていくかのような錯覚を覚えるほどです。
かつて、世界の神々と死闘を繰り広げた悪魔の全力の一撃。
そんな神話上の火力にドラゴンが耐えられるはずもなく、あの巨大なドラゴンが断末魔を上げながら塵となって消えていきます。
巨大なドラゴンの周囲に群れていたドラゴン達も大多数が巻き込まれて消えていき、全てが終わった頃には、彼女を境として、昼と夜が混在した空に塗り替えられていました。
これが、悪魔化したエルフォニアさんの本気ですか……。
感嘆と共に若干の恐怖を覚えた私の視界の端で、重力に引かれるように落ちて行くエルフォニアさんの姿を捉えました。
急いでそちらに急降下し、意識を失っているエルフォニアさんを抱き留めます。
彼女は体内の魔力をほぼ失っていて、悪魔化の代償かは分かりませんが、まだ腕先や足、そして顔の半分が異形となってしまっています。
「……お疲れさまでした、エルフォニアさん。ありがとうございました」
本来なら私達全員で何とかしなければいけなかったドラゴンを、一人で倒してしまったことに感謝しながら、私は一旦拠点へと戻ることにしました。




