789話 異世界人は苦労しない
「はぁっ……はぁっ! 待ちなさいよ!! どこまで逃げるつもり!?」
シルヴィ達と距離を取ろうと思って山を駆けていたけど、いい加減追いかけっこも辛くなってきたのか、何とかって言う騎士モドキのダークエルフから呼び止められた。
だからって、止まってあげるほど親切じゃないんだけど。
「聞きなさい!! 私を無視するなんて、百年早いわよ!!」
「わっ!!」
半ば涙声にも聞こえる怒声と共に、二つの剣閃があたしの行く手を切り裂いた。
大木が雪を舞い上げながら横に倒れ、あたしの視界を白く染め上げる。
足を止めて振り返るついでに、上空を旋回しているメイナードを見つけた。
あの動きをしているってことは、十分距離は稼いだってことよね。なら、そろそろ戦って大丈夫なはず。
この雪煙に乗じて攻撃を仕掛けられても対処できるようにと、全身に魔力を流して臨戦態勢を取る。
エルフォニアだったら、あたしの背後か死角から必ず攻めてくる。
メイナードだったら、真正面から避けられない一撃を叩きこんでくる。
フローリアだったら、無数の雷撃で対処を遅らせてから懐に潜り込んでくる。
大丈夫、今までのトレーニング通りにやれば、どこから来ても対処できる。
むしろ、この雪煙で視界が奪われているのはあっちも同じはず。だったら、こっちから攻めてもイケるわ!!
そう判断し、あたしは即座に雪煙の中へと飛び込む。
あいつの気配を正面に捕らえながら、一気に加速して距離を詰め――。
「……嘘でしょ?」
雪煙を抜けた先で視界に入って来たそれに、あたしは拍子抜けしてしまった。
あろうことか、騎士モドキのダークエルフは両膝を突いて荒い息を繰り返していた。
最早戦うどころではなく、体力の限界が来ているようにすら見える。
「あなた、何なのよ……! あれだけ挑発してきて、逃げるだけなんて……。正々堂々って言葉を、知らない――げっほ、げほげほ!! うっ、酸素が薄い……」
どうしようかなこの人。このまま組み伏せて無力化させてもいいんだけど、なんかあたしとしても後味が悪いって言うか、勝った内に入らないって言うか何と言うか……。
そんなことを考えていると、メイナードの背中に乗っているフローリアが、空に文字を描いているのが見えた。
『やっちゃえレナちゃん! 捕まえちゃえ!』
……そうよね。この後もロジャーがいるかもしれないし、ソラリアやプラーナだって控えてるんだもの。
戦わないで体力と魔力を温存できるなら、それに越したことは無いわ。
あたしは小さく息を吐き、減速しないまま一気に詰め寄る。
目標まで十メートルも無い段階であたしに気づいて構えようとしてるけど、そんな両膝付いた状態じゃ、まともに剣も触れるはずが無いわ!
「せぇい!!」
「ぐっ!?」
まずは一本、右手を強く蹴り上げて剣を手放させることに成功した。
そのまま騎士モドキの頭頂部に両手をついて重心を移動させ、回し蹴りでもう片方の手も蹴り飛ばす。
二本とも宙に舞っていくのを横目で見ながら、あたしは後頭部を強く押して高く跳び、両膝を揃えてがら空きの背中に叩き込んだ。
「よいしょぉ!!」
「ぶもっ!!」
顔から雪に埋まり、一瞬凄い声が聞こえた。
めっちゃ冷たいだろうけど、ちょっとだけ我慢しててよね。
「フローリア! 何か無い!?」
上空に向かって声を張り上げると、即座に荒縄が降って来た。
あいつ、何でこんなのを用意してるのよ。全く理解できないけど、今は後回しよ!
足元でもごもごと言いながら暴れているのを力づくで押さえつけ、両手を後ろ手で縛り上げる。
ついでに足も縛っておこうかしら? ブーツの中に仕込みナイフとかあっても嫌だし。
「ぶはっ!! ちょ、痛い痛い痛い痛い!! そこまで縛る必要無いでしょう!?」
「暴れないで!! このっ!!」
「い~……ったあああああい!! 足!! 足の血が止まる!!」
「知らないわよ! あたし縛ったこと無いし!!」
「ならもっとソフトにやりなさい!! 壊死させる気!?」
「あんたが抵抗しないで縛られてくれるなら考えるわ!!」
あたしがそう言うと、ピタリと暴れるのを止めて大人しくなった。
そんなに痛かったのかしら……と良心が痛むのを感じながら少しずつ緩めていくと、くぐもった泣き声が聞こえて来た。
「ぐすっ……。何なのよもぅ……! せっかく騎士らしく名乗りも上げて、騎士らしく戦えると思ったのに! 何でこんな不意打ちで縛り上げられなきゃいけないのよ……! もう嫌ぁ……!」
……何だろう。物凄く罪悪感に責め立てられる。
この人の言う通り、正々堂々戦った方が良かったのかな? いやいや、別に正々堂々戦わないといけないなんてルールは無いし? 後々のことを考えたらこれが正解のはず……よね?
膝を曲げた状態で両足もしっかりと縛り、完全に身動きできなくなったことを確認してからどいてあげる。
すると、また顔を雪に埋めた状態でぐすぐすと泣きながら呪文のような声が聞こえて来た。
「くっ……殺せ……。くっ……殺せ……。くっ……殺せ……」
「あんたそれ、どこで覚えて来たのよ」
「騎士が敵に捕らわれた時に言う言葉だと、教えてもらったわ……」
「そいつ絶対ロクでもない奴だから縁を切りなさい」
「あなたには関係ないでしょ!? 早く殺しなさいよぉ……! うえ~ん……!!」
何かこの人が、だんだん可哀そうになって来た。
あたしホントにこれで良かったのかな……。なんて思いながらメイナード達が降りてくるのを眺めていると、ウィズナビに着信が入ったのが聞こえて来た。
「はーい、もしもし?」
『レナよ、今どこにおる?』
「あ、シリア? 今ねー……」
どこか答えようとしたけど、今自分がどこにいるのかさっぱり分からない。
とりあえずこっちの無事と対処が終わったことを報せられれば十分よね。
「場所はちょっと分かんないけど、ダークエルフの騎士モドキさんは捕まえたわ」
「騎士モドキじゃない!! 騎士よ!!」
「あー、はいはい。騎士騎士」
「わぁーん!! もう嫌、この女ぁ!!」
この人、ホントに何歳なのかしら。
勇ましく剣を構えてたから、スピカ達みたいに千何百歳とかかと思ってたけど、体力無くて弱音を吐いたり捕まって泣いたりしてるところを見ると、無理やり背伸びしてただけのようにも見える。
背伸びしてるにしても、見た目は十分大人なんだけど。と、雪の上にどっさりと乗っている一点を見ながら適当にあしらっていると、ウィズナビからシリアの声が聞こえて来た。
『うむ、ご苦労じゃった。こちらも捕え終えたところじゃ、先の場所へ戻ってこい』
「って言っても、何か目印みたいなのが無いと……」
キョロキョロと周囲を見渡していると、後ろからドンッとメイナードに蹴られた!
「何すんのよ!!」
『あれを見ろ』
「あれってどれ――」
メイナードの視線の先を追うと、そこには宙を翔ける可愛い猫がいた。
あれが目印ってことでいいのよね。
「了解、あそこに向かうわ」
『うむ、ではの』
シリアからの通話が終わると、それを待っていたかのようにフローリアが抱き着いてきた。
「レナちゃ~ん!! お疲れ様! カッコよかったわよ~!!」
「あたし今回、ほとんど何もしてないわよ」
「でも武器をどーんって蹴り飛ばしたり、手際よく捕まえたりしたじゃない!」
「あれは油断してくれてたって言うか、勝手にへばっててくれたから」
ちらっと後ろを振り返ると、騎士モドキの人が顔色を悪くしながらガタガタと震えていた。
「えっ、何!? どうしたの!?」
「さ……」
「さ?」
「寒い…………」
何でこの人、こんな軽装で雪山の中に来てるんだろう。
あたしは深く溜息を吐き、念のためにとシルヴィに持たされていた毛布を巻き付けてメイナードの背に乗った。




