767話 魔女様の娘は甘えたい
「――嫌ああああああああっ!!」
『むおっ!?』
飛び跳ねるように身を起こすと、私の上で眠っていたシリア様がベッドから飛んでいくのが見えました。
「はっ……はっ…………」
『何じゃシルヴィ……。叫びながら起きるとは珍しい、嫌な夢でも見たか?』
「シリア、様……生きてる……?」
『は? 何を言っておるのじゃお主は。妾は神ぞ? 既に肉体を捨てておる者が死ぬわけ無かろう』
冬入りしてるにも関わらず、全身を嫌な汗がじっとりと濡らしている私に、シリア様が呆れたように言います。
額の汗を拭っていると、私の膝の上に戻って来たシリア様がタオルを差し出してくださいました。
『明日の不安から悪夢でも見ておったのじゃろう? ほれ、汗を拭うがよい』
「ありがとうございます……」
『して、どんな夢だったのじゃ? お主が取り乱すほどの物じゃ、相当酷いものだったのじゃろう?』
「はい……」
シリア様に夢の内容を話すと、やれやれと首を振りながら笑われてしまいました。
『妾が正面から戦って負けるなど万に一つもあり得ぬが、猫の姿で負けておったか。それは体格差で勝てぬやも知れぬのぅ』
「すみませんシリア様。やはり、緊張してしまっているのでしょうか」
『無理も無かろう。わざと敗れ、敵の手に墜ちねばならんなぞ不安を覚えぬはずがない。ましてや、それから約三カ月ほどは囚われ続けることになるのじゃぞ? 当の本人でなくとも、気が気ではいられんよ』
シリア様のお気遣いが、起き抜けで焦燥していた心に染み渡ります。
やけにリアリティがあったので恐怖を覚えてしまいましたが、魔王すら倒し、神様にまで上り詰めた偉大なシリア様があんな負け方をするはずがありません。
そうは自分に言い聞かせるも、若干拭いきれない不安を誤魔化すようにタオルを顔に押し付けます。
そのまま深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、ようやく少し気が楽になったような気がしました。
「改めてすみません。酷い起こし方をしてしまいました」
『全くじゃ。放り投げられて目を覚ますなぞ、生まれてこの方初めてじゃよ』
くふふと笑いながらベッドを降りるシリア様に続き、私も着替えるべくベッドから降ります。
朝日を取り込むためにカーテンを開けると、窓の外は初雪が降り始めていました。
「今日は冷えそうですね」
『うむ。じゃが、今日の内でなければ挨拶回りもできん。暖かくする準備は怠るでないぞ』
「はい」
……こうして平和な朝を迎えられるのは、明日が最後になるかもしれません。
まだ穏やかな気持ちで外を眺められる内にと、私は窓の外の景色を目に焼き付けるのでした。
「ふわぁ~……あふぅ。おはよーお姉ちゃん」
「おはようございます、エミリ。ティファニーが既に顔を洗いに行っているので、一緒に洗ってきてください」
「うんー……」
眠たげなエミリがふらふらと洗面所へと向かうのを見送ると、奥の方からティファニーの明るい声が聞こえてきました。
そのまま数言エミリと言葉を交わしたティファニーは、トトトッと食堂へと戻ってきて私に笑みを見せてきます。
「お待たせしました、お母様! 今朝は何を作りますか?」
「そうですね。今日は雪が降っていて寒いので、グラタンと白菜のスープにしましょう」
「グラタン! ティファニー大好きです!!」
「ふふっ。では、今日もお手伝いお願いしますね」
「はい!」
今日も明るく元気なティファニーと共に、朝食を作り始めます。
白菜とキノコ、そしてベーコンを入れたスープを見てもらいながらグラタンをオーブンに入れていると、まだ寝ぼけ眼のエミリが食堂に戻ってきました。
「ん~……いい匂い……」
「もうエミリ! しっかり起きないとダメです! 顔を洗ったのなら、テーブルを拭いてください!」
「うんー」
顔を洗ってもまだまだ眠そうなエミリを叱る姿は、何だかしっかり者のお姉さんのようです。
本当なら私が言うべきなのだとは思うのですが、私が言うとエミリが嬉しそうにしてしまうため、ティファニーにお願いして正解だったかもしれません。
ですが、そんな光景を見ていても甘やかしたくなってしまうのはどうしようもありません。
「エミリ。綺麗に拭いてくれて、レナさん達も起こしに行ってくれたらデザートを用意しますよ」
「デザート!?」
ピンッと尻尾を立て、途端に目を輝かせたエミリ。
それとは対照的に、不服そうにこちらを見つめてくるティファニーの言いたいことは分かりますが、こればかりは私の楽しみでもあるので許してほしいところです。
「昨日の夜に作っておいたフルーツゼリーを出してあげましょう」
「ホントに!? わたし頑張るね!!」
途端にスピードが上がり、綺麗にテーブルを拭き上げたエミリは駆け足でレナさん達の部屋へと向かっていきました。
そんな愛らしい後ろ姿を見ながらクスクスと笑っていると、隣でティファニーが頬を膨らませながら私に抗議をしてきます。
「ずるいですお母様! ティファニーは毎日こんなに頑張っていても、ご褒美なんて無いのに!」
「では、ティファニーは何が食べたいですか?」
ティファニーは少し考える素振りを見せましたが、ふるふると首を振って見上げてきます。
「ティファニーは多く食べることができないので、別のご褒美がいいです!」
「と、言いますと?」
小首を傾げてしまう私に、ティファニーはぎゅっと抱き着いて頭を何度も擦り付けてきました。
その様子から、彼女が欲しいものを理解した私は、お望み通り抱き返しながら頭を撫でてあげることにしました。
「最近、少しお姉さんになったと思っていましたが、まだまだ甘えん坊さんでしたね」
「明日でお母様がいなくなってしまうのですから、一日中こうしていたいくらいです」
「それは困ってしまいそうです。でも、我慢できて偉いですね」
「……んふふ♪」
頭を撫でて貰えることが相当嬉しかったらしいティファニーから、ふんわりと甘い香りが発せられ始めます。
私は朝食の支度を続けつつ、エミリがレナさん達を連れて来るまでティファニーを甘やかし続けるのでした。
 




