741話 暗影の魔女は使いこなせない
かつてレオノーラを邪神信仰の方々から奪還した時に相対した、あの禍々しく嫌な感じのする魔力に、私の頬を汗が伝います。
そんな私を気にせず、ネフェリさんはパンと手を叩きながら言いました。
「それじゃエルフォニア、“自分の制御下で好きに動いてみろ”。シルヴィなら全部受け止めてくれるぞ?」
「えっ」
まさか本当に、あの状態のエルフォニアさんと戦わないといけないのですか!?
そう焦る反面、ネフェリさんが口にした言葉に疑問を感じざるを得ませんでした。
もしかして、エルフォニアさんはあの力を制御することができないのでしょうか……?
だとすれば、加減してもらえるなんて考えてはいけません。恐らく、魔力反転に失敗したレナさんの時のように暴走し、誰かが止めるまで暴れ続けてしまうはずです!
慌てて神力を発動させ、彼女の動きに合わせて迎撃を行えるよう身構えます。
エルフォニアさんはレナさんのようなスピード型でも無ければ、ラティスさんのようなパワー型でもありませんが、とにかく奇襲や罠と言ったテクニカルな戦い方を好む方です。
そこに悪魔の力が加わったことで、どう変化するのでしょうか。
緊張が体を強張らせ、心臓の鼓動の音が大きくなるのを感じます。
いつ、どこから仕掛けてくるか分からない彼女を見据えていた時間は数秒のはずでしたが、私にとっては永遠にも感じられるほどでした。
しかし、そんな時間も長くは続かず。
「…………ダメだわ」
エルフォニアさんはそう呟くと、変身を解いてその場に座り込んでしまいました。
それと同時に、彼女が作り出していた影の固有結界も消えていきます。
まさか、戦闘が行われないまま終わるとは思いもしていなかったため、呆気に取られてしまう私でしたが、ネフェリさんは理解していたらしく、汗だくのエルフォニアさんに水筒を差し出していました。
「まだ自分の制御下で動かすには難しいか」
「……はぁ。やろうと思えば体を動かせたかもしれないけれど、その隙に制御を奪われそうだから動かせなかったわね」
「仕方ないだろ。魔族でもないお前が、大悪魔のアザゼルを使役できてるだけでもイレギュラーなんだ。その力を使おうったって、まだまだ時間はかかるだろうよ」
「そうね。でも、今月中には使えるようにしないと……」
「っと、いけねぇいけねぇ! 悪いなシルヴィ! 見せておいて何だけど、まだエルフォニアはあの状態で戦えないんだ」
「そ、そうでしたか」
杖をしまい、エルフォニアさんの傍まで近寄った私は、念のため彼女の体の状態を確認します。
すると、体自体に異常は無いものの、彼女の魔力がほぼ空になってしまっていることに気が付きました。
「もしかしてあの変身は、莫大な魔力消費を伴うのでしょうか」
「あぁ。自分より格上の存在を疑似的に憑依させてるからな。あたしでもいいとこ、五分かそこらだろう」
ネフェリさんのような大魔導士でも、僅か五分しか維持できない変身魔法。
その説明から、昨日のエルフォニアさんのあの大怪我は、制御に失敗したことで暴走してしまった彼女を、力づくで解除させたのだと伺えました。
「レナさんもそうですが、皆さん変身して強くなる魔法を習得されているのですね」
「ん? レナも悪魔化できるのか?」
「あ、いえ。レナさんのは悪魔ではなく、魔力を反転させて、憎悪の力を増幅させているのだと言っていました」
「憎悪? 何だそれ?」
「私も詳しいことは分からないのですが、レナさん自身が過去に抱いていた負の感情を燃やして力に変えているそうです」
「はー、そんな魔法もあるんだな。系統としては闇? いや、呪転系か? 何にせよ、面白い魔法を使ってるんだな」
「恐らく今も特訓してると思いますので、隣を見てきてはいかがでしょうか。闇属性のエキスパートであるネフェリさんならではのアドバイスなども、もしかしたらできるかもしれませんし」
「おっ、いいなそれ! んじゃ、ちょっと見てくるから二人は休んでていいぞ」
「分かったわ」
「はい、行ってらっしゃい」
余程レナさんの魔法に興味が惹かれたのか、駆け足で亜空間から出ていくネフェリさん。
そんな彼女を見送りながら、私はここ数日元気のないレナさんに思いを馳せることにしました。




