737話 闇の師弟は合流する
次の日から、私達の鍛練が本格的に始まりました。
まず私は、昨日のように視覚情報に囚われ過ぎないための特訓から。
そしてレナさんは、魔法を扱うのが苦手という最大の欠点を補う特訓となっています。
今日も競技場を使って空間転移を行い、白い空間全体を霧で覆ったラティスさんの声だけが聞こえてきます。
「目に見える物が全て真実とは限りません。拘束を行いたいのであれば、確実にそれが本物であることを確認する癖を付けなさい」
「はい!」
そう返事をしたはいいものの、やはり昨日のような霧が強い環境下では、魔力視による個体特定の作業も困難を極めてしまいます。
既にこの霧の中には、蜃気楼による幻体と魔力体による分身、そしてラティスさん自身が潜んでいるのですが、霧自体にも微弱な魔力が練り込まれているせいで、上手く判別がし辛いのです。
そうこうしている内に、霧の奥から氷柱が一本投げつけられました。
それをディヴァイン・シールドで防ぎながら、飛んできた先にいるはずのラティスさんが本物であるかを見極めます。
魔力の流れを辿って霧の奥を探り、こちらに右手のみを向けているラティスさんを見つけることはできましたが、さらに意識を強く集中させてみると、それが本物ではないと言う事だけが分かりました。
霧の中へ溶けていくラティスさんから意識を外しながら、再び周囲を警戒します。
強く意識し続ければ、霧の中で僅かに動いている気配を捕えることはできるのですが、その数が多すぎるせいで、絞り込もうとしている間に狙われてしまうのが難点です。
かと言って、ラティスさん側から仕掛けてくる攻撃を対処してからとなると、今のように消え始めてしまっているため、幻体か分身かの区別すらつかなくなってしまいます。
「一点だけを見るのでは、いつまで経っても見つけることはできませんよ。この空間を掌握しなさい」
ラティスさんの声が聞こえたと同時に、今度はラーグルフを振りかざしたラティスさんが現れました。
振り抜かれた大剣を防ぎ、甲高い音が響き渡ると同時に、剣と盾の衝突の余波で周囲の霧が僅かに晴れます。ですが、これだけではこの空間に潜んでいるラティスさんの本体を探すには至りません。
当然のようにヒットアンドアウェイを行い、姿を消していくラティスさんに歯噛みしながら、この状況を打開する方法を必死に考えますが、結局お昼時間になっても私は解法を見出すことはできませんでした。
魔導連合の大食堂へ昼食を食べに来た私とレナさんは、思いがけない人物と再会することになりました。
「ねぇシルヴィ、あれって」
「はい。エルフォニアさんと、ネフェリさんですよね」
窓際の隅の席で、師弟揃って食事を取っていたのです。
今日はネフェリさんもフードを被っていないらしく、黒いショートヘアと赤い瞳、そしてカシュクールをモチーフにしたような黒の魔女服を隠していません。
料理を手に取り、レナさんと共にそちらへ向かっていくと、頬杖を突きながらエルフォニアさんに小言を言っていたネフェリさんが私達に気が付き、表情を一変させました。
「おー! 店長じゃないか! や、もう店は畳んだからシルヴィって改めるべきか。鍛練は順調か?」
「お久しぶりです、ネフェリさん。私はあまり順調とは言えないかもしれません」
「はっはっは! ま、昨日の今日で何でも上手くいくなんてことは無いから気にすんな。それよりほら、こっちに座りな」
ネフェリさんが椅子を引き、バンバンとその座面を叩いて着席を促してきます。
私達はそれぞれ対面で座る形を取り、共に食事を取らせていただくことにしました。
「しっかしあれだなー、魔導連合の飯は美味いことは美味いんだが、なーんか物足りないんだよなぁ。シルヴィ、何が足りないか分かるか?」
「足りない物……? すみません、私には何が足りないのか分かりません」
「ほら、あれだよあれ。分かるだろう?」
あれ、とだけ言われても全く分からないのですが……。
ネフェリさんが求めている物が、味なのか料理なのか分かりかねていた私へ、エルフォニアさんが嘆息交じりに教えてくれました。
「ただ単に、あなたのトンカツが食べたいだけなのよ」
「おいこらバカ弟子! なーんでお前はそうやって、人の楽しみを潰すような真似をするんだ!? そんなんだから友達も満足にできないんだぞ!?」
「くだらない交流に割く時間ほど、無益なものは無いもの」
「かーっ! まーたそうやって一匹狼ごっこして! いい年して恥ずかしいと思わないのかお前は! 今年でもう二十八だろ? そろそろ男でも捕まえたらどうなんだ?」
ネフェリさんの言葉が気に入らなかったのか、エルフォニアさんは凄まじい形相でネフェリさんを睨みつけました。
しかし、それを受けた本人は気にする素振りも無く、ワイングラスを弄びながら私へ言います。
「シルヴィがあの街から去っても食えるようにって、トンカツのレシピを普及させてくれただろ? あの後も街では再現や改良でいろんな店が競い合ってたんだが、まーどこの店もシルヴィの出したトンカツを超える物は出せなくてなぁ。同じ材料と同じレシピで、何がそこまで違うんだって嘆いてたんだよ」
「そうだったのですか。それでしたら、今度ルサルーネに顔を出した方がいいかもしれませんね」
「お、いいねぇ。その時はあたしも連れていってくれよ。シュタールに挨拶もしておきたいからさ」
「分かりました」
ネフェリさんはにひひと笑うと、ワイングラスの中身をくいっと呷り、「それはそうと」と私へ指を指しながら続けました。
「あたしは基本的にコイツの鍛え直しだけど、シルヴィやレナの面倒も見ろって言われてんだ。でも、あたしから授業を受けたいんだったら、それなりの対価ってのが必要だとは思わないか?」
「……ふふ。分かりました、ではあとで厨房をお借りして作ってみますね」
「お! さっすがシルヴィ、分かってんなぁー!」
彼女が望んでいる物を当てて見せた私に、ネフェリさんは心底嬉しそうに笑うのでした。




