691話 魔女様は訪問する
「っかぁー、いてぇいてぇ! こんな本気で怒らなくたっていいじゃねぇか。なぁ、シルヴィちゃん?」
「あれは流石に、私もどうかとは思ってしまいます」
「そうか? 別に隠すようなことでも無いだろ」
ヘルガさんの治療をしながら技術局へと向かう道中で、先ほどのアーデルハイトさんの怒りっぷりが蒸し返されます。
「いやぁ、あれは副総長さんが悪いわよ。仮にも今は男性同士でもあるんだし、そういう関係なのは世間体的にもまずいんじゃないの?」
「そう言われてもなぁ。俺とトゥナの関係なんてほとんどの連中が知ってると思うぞ? この前だって、俺とトゥナをカップルにした本を作ってる奴がいたし」
「この世界にも同人誌の概念があるのね……」
ドウジンシ、と言うものはよく分かりませんが、レナさんの世界にある本の一種のようです。
それにしても、男性同士のカップルを好む方もいらっしゃるのですね。よく考えてみればフローリア様も同性愛の傾向がありますし、特段おかしな話でもないのかもしれません……と、世界の広さを感じていた私に、ヘルガさんは聞いて来ました。
「シルヴィちゃんは、そういう相手はいないのか?」
「え? 私はまだ、そういう恋愛とかは早いかと思っていまして」
「そんなこと無いだろ~。シルヴィちゃんは確か、今年で十七だろ? 人間領で言えばもう成人してる歳だし、何なら遅いくらいじゃないか?」
「そうかもしれませんが、今はやらなければいけないことが目の前に山積みになっているので、そちらを優先したいです。ですが、恋愛に興味が無いという訳ではありません」
「わっははは! 良かった良かった、安心した! そんな若いのに、恋愛なんかより魔法一本ですなんて言われたら、お兄さん泣いちゃうところだったわ!」
「シリアなら“恋愛なぞにかまけてる時間があれば、魔法のひとつでも研究した方がマシじゃ!”とか言うかもだけど、シルヴィはまだ自由になって二年も経ってないのよ? そこら辺にいる子よりも、恋愛に興味を持っててもおかしくないわよ」
「だよなぁ。いや~、これはシルヴィちゃんにどんな男ができるかを見届けるまで、当分死ねないな!」
「副総長さん、なんかおっさんみたいなこと言ってない?」
「実際若くはないからな! これくらいいいだろ!」
楽しそうに笑うヘルガさんに、レナさんと共に苦笑してしまいます。
本当に、ヘルガさんは不思議な方です。
私達より何十倍も生きているのに、それを全く感じさせないどころか、同い年くらいの親しみやすさを与えてくださいます。
それはまるで――。
「副総長さんって、近所のお兄さんみたいだわ」
「おっ! いいねレナちゃん! そうなんだよ、俺が目指してるポジションはそこなんだよ!」
ニカッと笑ったヘルガさんは、いいことを言ってくれたと言わんばかりに、レナさんに向けて人差し指と中指を揃えて指さしました。
「人間って不思議でな? 真面目な奴よりも程度ふざけた奴の方が、相談役に適してたりするんだよ。まぁ、レナちゃんみたいに誰とでも仲良くなれる子なら心配無いんだけどな。でも、シルヴィちゃんみたいに真面目な子はすぐ何でも抱え込もうとするから、これくらの軽さで世間話がてらメンタルケアしてやれる兄貴分になろうって思っててさ」
「あー……」
「な、何故私を見るのですか? 私はそんなに、抱え込んでないとは思うのですが……」
「だってさ」
「だろー? こういう事を言う子に限って、やばいもんを抱えてたりするんだよ」
「なんか分かる気がするわ」
私は全く分かりませんし、二人に“こんな感じよね”と言った視線で見られるのも少し納得がいきません。
やや不服に感じてしまいましたが、その後も談笑を続けている内に気にならなくなり、和やかな気持ちで話に花を咲かせていると、「おっと、ここだここ」とヘルガさんが足を止めました。
そこは、ここまで歩いてきた廊下に並んでいる部屋と何ら変わりのない、至って普通のドアの前です。
「ここが、我らが技術局の研究室。通称ラボだ」
「ラボってまんまね。相葉さんのネーミングセンス?」
「他にもいろいろ案はあったんだが、ラボでいいって聞かなくてなぁ」
「こっちの世界の名称ってちょっと言いにくいって言うか馴染みが無いから、あたし的には分かる気がするわ」
「そう言うもんなのか? 俺にはよく分からねぇけど、とりあえず中に入るとするか」
ヘルガさんはそう言うと、何故かドアノブではなく、ドアの横にある壁に手をかざしました。
すると、突然現れた薄緑色の光の線が、その手の平をなぞるようにゆっくりと動き始めます。
「わっ!? まさかの生体認証!?」
「お、レナちゃん知ってるのか。流石は局長と同じ異世界人だな!」
こちらも聞いたことはありませんでしたが、レナさんの世界では良く見る光景であるようです。
パッと見た感じでは、あの光の線で入室しようとする方の魔力か何かを測っているようにも見えますが、見た目通りでは無い技術が使われているのでしょう。
相変わらず、異世界における科学という分野は理解が及びません。
そんなことを考えていると、いつの間にか入室の許可が下りていたらしく、扉が横にスライドして開いていきました。
「――おーい局長! 起きてるかー?」
やや薄暗い室内にずんずんと足を踏み入れながら、奥へと声を掛けていくヘルガさん。
その後に続いて中へと歩を進めると、所狭しと並べられた机の上には、見たことも無い箱のようなものがたくさん並べられていました。
いえ、よく見ると箱だけではありません。もう少しでウィズナビになりそうな何かや、イヤーカフに似ていますが着け心地は悪そうな謎の道具なども無造作に置かれています。
これも全て、リョウスケさんの開発している物なのでしょうか。
「お、いたいた。って局長、こんなとこで寝てるとまた風邪引くぞ? ラティスさんに怒られたくないだろ?」
「うわあああああああああああ!? す、すみませんすみません!! もう少しで完成しそうなんです!!」
「うおっ!?」
私から見ていた限りでは、机の上に突っ伏して寝てしまっていたリョウスケさんに声を掛けただけの様にも見えましたが、リョウスケさんは何かに怯えるように跳ね起きると、ヘルガさんに向かってぺこぺこと頭を下げ始めました。
「落ち着けって局長。俺はお前の上司じゃないんだからさ」
「すみませ――って、あれ?」
リョウスケさんは自分が謝っていた対象がヘルガさんだと気づいたらしく、きょとんとした表情で彼の顔を見つめています。
続けて、どうしてここへ? とでも言いたげな表情で顔を左へ向けた後、反対側――つまり私達がいる方へ顔を向けると、しばらく瞬きすらせずに身動きを止めてしまいました。
やはり無断で入るのは良くなかったのでしょうか。
とりあえず、一言謝っておくべきでしょう。
「こんにちは、リョウスケさん。お邪魔してしまってすみません」
「こんにちはー相葉さん! 元気が無いって聞いたから、遊びに来たわ!」
彼に優しく微笑んだつもりでしたが、その反応は信じられないものを見るかのような様子でした。
「お、お……」
「お?」
震える指先で、私達を指さした彼は。
「推しが……今日も可愛い…………!」
「りょ、リョウスケさん!?」
「うええええっ!? ちょっと相葉さん!? 大丈夫!?」
白目を剥き、そのまま後ろへ倒れ込んでしまうのでした。




