6話 新米魔女は塔を発つ(前編)
「魔女……ですか?」
『うむ。お主は知らぬじゃろうが、魔女は基本的に己の出自を隠す決まりのようなものがあっての。そうそう自らどこの出身でどこで魔法を学んだなどは口にせぬ。それを知ってか、街や国の人間共も魔女に対しては深く詮索をしないという認識があるのじゃよ』
シリア様はくふふと笑い、『まぁ詮索したところで答えてもらえぬし、下手を打てば魔法で殺される恐れすらあり得るからのぅ』と付け足します。
もしシリア様のお話が本当であれば、魔女を名乗るだけで私が幽閉されていた王女だと詮索されることもなく、街で普通に過ごすことが出来るかもしれません。脱走する私にとって、この上ない好条件ではありませんか。
ですが、同時にふと疑問が出てきました。
「しかしシリア様。それほどまでに魔女という存在は人間にとって特別なものなのでしょうか?」
『よい質問じゃな。何故魔女が特別視されるかじゃが、魔法の力によって人間の生活が支えられている部分が大きいから。という理由が最たるものでの。その根本的な基盤となる魔法を操ることが出来る魔女や魔導士といった者は、それだけでもありがたがられる存在なのじゃよ』
人里に遊びに行くと魔法をせがまれることもあったのぅ、とどこか懐かしそうに付け足すシリア様に、私は続けて尋ねます。
「それは魔法を扱えれば、誰でも魔女や魔導士を名乗れるのでしょうか?」
『そう美味い話な訳なかろう。そんな話であれば、世の中魔女だらけになるぞ?』
全く以てその通りだと思います。
『魔女や魔導士を名乗るには、先達の者から認められる必要がある。して、その先達の者もそのさらに上の者より認められておるが故、身分を保証するだけならそれで十分となる。なにせ、ルーツを辿ればどれも偉大な魔女じゃからのぅ』
「なるほど……。魔女になるにも試験のようなものがあるのですね」
『うむ。そこで、二千年前の大魔女である妾がお主を魔女と認めてやろうと思う』
――シリア様の話の飛び方に、理解が追い付きません。
『なんじゃその顔は。今の話が分からぬのか?』
「い、いえ、分かることは分かったのですが……。魔女になるには相応の試験と言いますか、認められるための何かが必要になるのですよね?」
『うむ』
「私はその、今までこの塔に幽閉されていただけで、特に試験と感じられるようなものは何一つしていないのですが……」
私の戸惑いに、シリア様は逆に面食らったような顔をすると、深い溜め息と共に言葉を返しました。
『よいかシルヴィ。改めて言うが、お主が妾を顕現させたことは常軌を遥かに逸脱させたことなのじゃぞ?』
シリア様はベッドから飛び降り、どこからかリンゴを出現させると、それを弄び始めます。
『召喚術とは門となる魔法陣に加え、呼び出したい対象に応じた供物や依り代が必要となる。例えばこのリンゴひとつでも召喚は可能じゃが、呼び出せる範囲は決まっておる。まぁ、腹をたまたま空かせている奴がおったり、余程暇を持て余している場合は別じゃろうがな』
話しながらもコロコロと転がしたり、ポンポンと叩く姿が愛らしくてほんわかとした気持ちになっていると、シリア様にじとーっとした目で見られていました。
『……して、お主の話に戻すが。お主は無意識的に、先祖返りのその体を依り代として妾を呼び寄せていたのじゃ。これが何を意味するか分かるか?』
「えっと、私のワガママで顕現させてしまったということでは」
『たわけ、いつまでその話を根に持っておる。次同じようなことを口にしたならば、妾の思いつく限りの嫌がらせをしてやるぞ』
「すみませんっ!」
神祖様の嫌がらせには少し興味がありますが、お顔が真剣なので笑える内容では到底無さそうです……。
シリア様はリンゴを二度叩いて消失させると、私の膝の上に座りながら話を続けられました。
『お主のワガママでもなんでもよいが、お主は“神降ろし”を行ったと同義なのじゃ』
「かみ、おろし……?」
またしても知らない単語が出てしまい、困惑してしまっていると、シリア様は説明をくださいました。
シリア様によると、神降ろしとは、現世に神を降臨させお告げを貰ったり、天変地異に対抗する御業を成してもらうなど、人間にはどうしようもない事象を治めていただいたりするのが目的だそうです。
しかし、当然ながら呼ばれたからと言って現世へ降りてきてくださるほど、神様も暇ではないようでした。
術者の技量、条件、願い、その他諸々を鑑みた末に顕現するかどうかを判断する……という、確かに召喚術に通ずるものがありそうな内容でしたが、後半から急に難しくなってきてしまい、あまりの情報量に整理しきれないでいた私へ、シリア様は『ともあれ』と省略してから続けました。
『お主は独学かつ無意識でそれを成功させた。これ以上にお主の技量を量るものはあるか?』
正直、朝起きたらシリア様がいた。と言うことくらいしか分からなかったので、自分が何かをしたと言う実感が全く持てませんが、どうやら私は無意識下でその“神降ろし”と言うものを行っていたようです。
よく分かりませんが、実は凄いことだったらしい。というくらいの理解でも大丈夫そうでしょうか……と考えていると、どうやらまた顔に出ていたらしく、私から離れたシリア様が頷き返してくださいました。
『まぁお主からしたら分からぬ道理じゃろうが、知るものからすれば偉業と言っても差し支えない行為になる。今考えておるように『何かよく分からないけど、私凄いことしたみたい!』程度に考えておればよい』
完全に読まれています。途端に恥ずかしくなってきました。
『して、その偉業を以てお主を魔女と認めようということじゃ。異論はないな?』
「は、はい。こんな私が魔女を名乗っても良いのであれば、ぜひお願いしたいです」
『うむ、ならば今ここでお主を一人前の魔女であると、【魔を統べる女神】であり神祖の大魔女である妾こと、シリア=グランディアが認めようぞ』
シリア様は『魔女になった記念じゃ。これをお主に贈ろう』と言って床をポンと叩くと、私の足元に何やら折りたたまれた服のようなものが現れました。その上に、白を基調としたとんがり帽子がちょこんと置かれています。
『昔、妾が人間時代に愛用していた物とお揃いじゃ。サイズはお主に合わせておる、手に取って着てみるがよい』
「ありがとうございます、シリア様。では、早速着替えてみます」
頂いた服を手に取り、着替えを始めます。途中何度かシリア様に着方について指摘を受けましたが、何とか着替えが終わり、最後に帽子を被って完了です。
『ふむ、思った以上に似合っておるな。まぁ妾が素材じゃから当然と言えば当然なんじゃが』
満足そうに頷くシリア様。頂いた服は黒をベースとしたブラウスにタイトなスカート。白と差し色の金で装飾があしらわれた、ふわりとした袖の長いローブ。そして黒のレースアップブーツも相まって、とても落ち着いたツートンカラーの服でした。
おへそ周りが開いているのもあり、少しボディラインを浮かせないか心配でしたが、ローブのおかげでそうくっきり見えることも無さそうです。
その場をくるりと回り、自分の姿を鏡で確かめていると、シリア様が私に長杖を渡してきました。
先端に取り付けられている緋色の宝石と、趣向の凝らされた装飾がとても見事なもので、金属製だとは思うのですが無機質な感じのしない不思議な杖です。
『この杖を持って初めて一式じゃ。お主は素手でも魔法を操れるが、触媒となる杖があるとより安定性が増して精度も高くなる』
「こんな素晴らしいものを、本当に頂いてしまっていいのでしょうか?」
『模倣品じゃ、気にするでない。まずは形から入り、魔女らしさをお主が見極めるようになったのなら、それを変えるでもなんでも好きにするとよい』
「変えるだなんてとんでもないです! 一生大事にします!」
『まぁ好きにせよ。して、どうじゃ? 着心地の方は』
「はい。体にぴったりのサイズで、思っていた以上に軽いので動きやすいかと思います」
『そうか、ならよい。それを纏っておれば、外で人間と遭遇しても魔女であるとまず思われるじゃろうよ。では、準備が終わり次第ここを発つとするかの』
シリア様は猫の体から半実体へ変化させて指を鳴らし、私と全く変わらない服装に着替えると、ふわりと宙へ浮かびました。なんでも、半実体化中は私だけに見える状態にしているとのことです。
私は急いで荷物の確認を終わらせると、シリア様に教わった亜空間収納の魔法で荷物を放り込んで部屋を見渡しました。
今まで、この塔から出ることは一生叶わないと思っていた日々が、今日で終わる。それはとても喜ばしく、この上ないくらい嬉しい物でしたが、何故か少し寂しさも感じました。
私は顔を振り、頬を軽く叩いて気持ちを入れ替えます。何かを考えるのは、この塔を出て自由になってからいくらでも考えればいいのです。まずは脱出を成功させないと、すべてが無駄になってしまいます。
「今まで私と過ごしてくれて、ありがとうございました。……行ってきます」
十五年以上共に過ごした部屋に頭を下げ、私は振り返ることなく絵画の部屋へと足を向けました。