631話 夢幻の女神は語る
音も無く着地したマガミさんは、私を抱いたままソラリア様の元へと向かっていきます。
ぼんやりとした頭のまま、彼の腕に収まっていた私を見るなり、ソラリア様は高笑いをし始めました。
「あ~ら! 随分と歳が行ってる騎士に助けられたじゃない、王女様?」
「よしてくれソラリア様。シルヴィ殿は限界だ」
「はっ。たかが魔力切れでしょ? こんなもの、こうすればすぐに戻るわよ」
ソラリア様はそう言うと、私のお腹に手を当ててきました。
そしてそのまま、ご自分の魔力の一部を私に流し込んできます。
荒々しくもあり、刺々しくもある負の力を帯びているそれは、その内側に温かい優しさが含まれていて、不思議と不快感を感じさせない魔力の性質でした。
「げっ、この王女様に魔力を分けるとこんなに持ってかれるの? どんだけ大喰らいなのよ」
「俺には魔力のことはよく分からんが、シルヴィ殿は凄いのか?」
「常人が羊羹一個で満たされるとすれば、この王女様は百でも効かないくらいよ」
「ほぅ! それは恐れ入った!」
「だからこそ、コイツじゃなかったらアレを捕え続けられなかったとも言えるけどね」
下腹部がじんわりと温められる心地よさに体をリラックスさせていましたが、唐突にそれは打ち切られてしまいました。
「ほら、これで動けるでしょ。あたしの魔力は貴重なんだから、ありがたく思いなさい?」
その言葉に身を起こそうとすると、凄まじい倦怠感はあるものの、確かに体を動かせるくらいには回復していたことが分かりました。
「……ありがとうございます、ソラリア様」
「ありがたく思えとは言ったけど、感謝しろなんて一言も言ってないんだけど。殺されたいの?」
変わらぬ理不尽を押し付けてくる彼女に、苦笑する元気も無い私は、いつまでも抱いていただいていては失礼だと思い、降りようと試みます。
「おっと。今はまだ休んでいるべきだ、シルヴィ殿」
「ですが」
それを拒むように、マガミさんが私を抱きなおしてきました。
申し訳なさから一刻も早く降りたい私へ、彼は快活に笑いながら続けます。
「この場で一番疲弊しているのは、間違いなくシルヴィ殿だ。今は休まれよ」
「あたしもクッタクタなんだけど?」
「ソラリア様は皮肉を言えるくらいに元気では無いか」
「ちっ。ホンット、嫌な男だわ」
舌打ちをした彼女は、空中にふわりと浮かび上がると、ポフンと寝転がり始めました。
「まっ、あたしは力も回収できたし? この時の牢獄も壊せたから何でもいいけどね」
「うむ。ようやく、明けない夜に終わりが来るな」
「一々言い方がウザいのよあんた」
「雅であろう? これが風情という物だ」
「ウッザ……やっぱり殺しておこうかしら」
「はっはっは! それもまた一興という物だな!」
挑発に動じないマガミさんへ、ソラリア様は心底鬱陶しそうに溜息を吐きます。
そのままごろりと体勢を変えた彼女は、「あぁそうだ」と口を開きました。
「あんた、あたしが何故グランディアに力を貸したかって聞いてたわよね」
「え? はい、確かに質問しましたが」
「今は気分がいいから、答えてあげてもいいわよ」
「えっ」
突然の心変わりとも言える態度に、思わず驚きが漏れてしまいました。
そんな私を気にする素振りも見せず、彼女は淡々と話し始めました。
「今からざっくりと三千年くらい前。あたしが一人の哀れな人間の前に姿を見せたことから、全てが狂いだしたわ――」
ソラリア様の話をまとめると、概ね次のような内容でした。
当時のグランディア王家では子宝に恵まれず、世継ぎをどうするかが深刻な問題になってしまっていたようでした。
そんな中、当時のグランディア王国を脅かしていたドラゴンを倒したという冒険者の存在に目を付けた王家は、“表向きは彼の手柄を買って王家へ迎え入れることにして、彼との間に生まれた子を世継ぎにする”という画策をすることになりました。
そして、彼と王妃様の間に子宝が授かった翌年。
彼がドラゴンを倒したのは嘘であったと大々的に広められ、彼は投獄の後に、王家に泥を塗った大罪人として処刑される運びとなってしまうのです。
あまりにも非道なその王家の振る舞いにソラリア様は心を痛め、絶望の淵に沈んでいた彼の前へ姿を現してこう言うのでした。
『お前は悪夢に囚われている。お前が生を望むのであれば、この悪夢を終わらせる手助けをしてやってもいい』
その言葉に、彼は即座に頷きました。
自分は何もしていない。嵌められただけだ。こんな死に方は嫌だ、と。
その願いは聞き届けられ、処刑当日に彼を貶めていたのは王家であったことが告発されました。
それがきっかけとなり、当時のグランディア王家は崩壊。彼を新たな王として迎えることになり、新生グランディア王家の誕生となる――はずでした。
しかし、良かれと思って手を差し伸べたその彼もまた、欲望に塗れた人間であったことを、ソラリア様は全てが終わった後で知ることになるのです。
新生グランディア王家の王として君臨した彼は、国にとって何か不都合があったり不利益があったりすると、ソラリア様を呼び出しては口八丁で言いくるめて力を借り、全てが思い通りに運ぶようにさせ始めました。
最初は不慣れな政治だからと力を貸していたソラリア様でしたが、次第にその願いはエスカレートしていくようになり、段々と私的な願いが多くなっていくのです。
絶世の美女を王妃に迎えたい。王に相応しい力が欲しい。王族の威厳を示す武器が欲しいなどなど。
そのいずれにもソラリア様は献身的に叶え続けていましたが、やがて彼は、踏み越えてはいけない一線を越えようとしてきます。
『ソラリア様、あなたが欲しい』と。
その言葉にソラリア様は激昂し、以降は手を差し伸べることを止めてしまいました。
ですが、これまでに与えすぎた力は人の枠を軽く超えてしまうものであり、彼が暴走をし始めたことを止められる人物は誰一人としていませんでした。
その結果彼は、神域と呼ばれる侵入することさえ禁忌とされていた場所へ訪れ、周囲の反対を無視してとある剣を引き抜いてしまうのです。
それがかつて、神々と悪魔の間で引き起こされた“聖魔大戦”にて、封じ込められていた悪魔を解き放つ楔であることなど露知らず……。
解き放たれた悪魔は、楔を引き抜いた彼は当然ながら、世界の生きとし生ける全てを喰らいながら力を取り戻そうとし始めました。平和だった世界は、たった一夜にして地獄絵図へと変貌していくことになるのです。
そして、全ての元凶となったソラリア様は、神としての権能と力、この世界からの認知の全てを奪われ、巻き戻された世界でただ一人、放浪することになってしまったのでした。
「――ま、こんな感じかしらね」
「そんな……。こんなの、あんまりです……」
「身の丈を超えた力を求め、神に縋った挙句、その神すらも欲するか。人間の欲は留まることを知らんな」
「信じるか信じないかなんてどうだっていいわ。あんたからすれば、敵であるあたしが同情を誘うための嘘かもしれないしね」
確かに彼女の言う通り、これが真実である保証なんてどこにもありません。
ですが、逆を言えばここで嘘を吐く理由もあまり考えられないのです。
「ソラリア様は、願いを拒否することはできなかったのか?」
「あたしは【夢幻の女神】。人の願いを叶えることはできても、人の願いを拒むことなんてできないのよ。そういう風に作られてるから」
「そうか……。神という存在も、万能では無いのだな」
「当たり前でしょー? 万能なのはせいぜい、あの大神とかいうクソぐらいよ」
彼女は「思い出しただけでイライラしてきたわ」と不機嫌そうに付け足し、むくりと立ち上がりました。
「それじゃ、あたしはもう帰るわ」
「もう帰られてしまうのですか?」
「だって、もう残ってる理由が無いもの。あんたを見てるだけで殺したくなるけど、また今じゃないーってプラーナに言われるのも面倒だしね」
ソラリア様は地面に降り立つと、魔法陣を展開させ始めます。
本当にこのまま帰るおつもりの彼女へ、私は声を掛けずにはいられませんでした。
「ソラリア様!」
「何?」
「今回、一緒に戦うことができて、あなたという神様を知ることができて良かったです」
「はぁ?」
顔だけこちらに向けながら、不快感全開で答える彼女へ、私は言葉を続けます。
「今回の件で、やはりソラリア様と敵対するべきではないと思いました。ですので必ず、あなた達と手を取りあえる方法を見つけ出してみせます」
ソラリア様は一瞬だけ目を見開きましたが、すぐに元の表情へと戻しました。
「はっ。あんな作り話で騙されちゃうなんて、ホンットちょろい王女様だわ」
そこで言葉を切り、こちらへ体ごと振り返ったソラリア様は、若干表情を和らげながら続けます。
「……やれるものならやってみなさい。あんたの中のあたしの力に触れて分かったけど、あたしはどこかで、あんたに期待してるのかもしれないからね」
「ソラリア様……」
「じゃあね~、王女様。せいぜい、おっさんに食べられないように気を付けるのよ?」
彼女はそう言い残すと、光の粒子となって姿を消してしまいました。
残された私達は、ソラリア様の粒子が夜空に舞い上がっていくのをしばらく見つめているのでした。




