611話 天空の覇者は魔女様想い
「おはようございます、お母様っ」
私の頭上から、ティファニーの声が降り注いできた気がしました。
薄っすらと目を開けると、私の顔を覗き込むようにしているティファニーの笑顔が視界に広がります。
「ん……。おはようございます」
「ふふふ! お出かけ先でもお母様の寝顔が見られて、ティファニーは今日も幸せです!」
嬉しそうなティファニーとは対照的に、私は今の言葉に謎の既視感を感じてしまい、眉をひそめてしまいました。
そんな私を見て、ティファニーはきょとんとした表情を見せます。
「お母様、どうかしましたか?」
「あ、いえ……。何でもありません」
ティファニーを安心させようと微笑んで見せると同時に、襖を控えめにノックする音が聞こえてきました。
「おはようございます、皆様。まもなく、朝食が出来上がります」
仲居さんの声に、またしても強い既視感を覚えます。
私はこの挨拶を、どこかで経験したことでもあるのでしょうか?
いえ、それはあり得ないはずです。
何故なら、この神住島に来たのは今回が初めてですし、神住島で迎える朝も今が初めてのはずですから。
それなのに、こんなにも既視感を覚えるなんて……。と、額に手を当てて考え込み始める私へ、ティファニーから心配そうな声を掛けられました。
「大丈夫ですかお母様? どこか、体調がよろしくないのでしょうか?」
「そういう訳ではありませんが……。とりあえず、仲居さんに起きている旨を答えなくてはいけませんね」
ゆっくりと身を起こし、仲居さんへお礼を述べると、僅かな足音と共に、部屋の前から遠ざかっていく気配が感じ取れました。
この既視感の原因は不明ですが、今は朝食をいただくために、皆さんを起こしてしまわないといけません。
そう考え、ティファニーの頭を軽く撫でた私へ、先に起きていらっしゃったと思われるシリア様が、大きく伸びをしながら挨拶をしてくださいました。
『んん~……。おはようシルヴィ、よく眠れたか?』
「おはようございます、シリア様。よく眠れたと思います」
『うむうむ。やはりあのマッサージの効果は凄まじいのぅ』
……またです。また、昨日のマッサージの話が出てきました。
そう思うと同時に、どうして“また”と思ったのかと、疑問が浮かび上がってきます。
私は今の会話を、どこかで交わしたことがあるのでしょうか?
『どうしたシルヴィ? 何やら難しい顔をしておるが』
「お母様、やはり体調がよろしくないのではないですか?」
再び考え始めてしまう私を、シリア様達が心配してくださいます。
「すみません。特に体調が悪いという訳では無いのですが……」
『そうか? あまり顔色が優れぬようにも見えるが』
「皆様はティファニーが起こしますので、お母様はもう少し横になっていてください」
「いえ、本当に大丈夫で――」
私の主張も聞かず、ティファニーは私を布団に押し戻し始めました。
シリア様も私を心配していらっしゃるようで、魔法で掛布団を掛けてくださいます。
『慣れぬ環境で疲れでも出たのじゃろう。祭りの日じゃから、無理してでも行きたいのは分かるが、体を壊されては妾が困る。今日はゆっくり休むが良い』
「シリア様……。分かりました。では、お言葉に甘えて休ませていただきます」
『うむうむ。うるさい連中は連れて行ってやるが故、たっぷり寝るが良いぞ』
そう言うや否や、シリア様はフローリア様の顔に鋭い猫パンチを繰り出しました。
ふぎゃ! と悲鳴を上げるフローリア様に対し、もう一撃入れながらシリア様が言います。
『いつまで寝ておる、このぼんくらめ! 早う起きんか! お主がぐうたらしていてはシルヴィが休めぬじゃろう!』
「いたっ、痛い痛いいた~い! もう、朝から何なのよ~!」
『まーた脱ぎ散らかしておったのか、この痴女め! もう飯ができておるそうじゃ、とっとと着替えよ!』
「うぇ~ん……。シルヴィちゃんはもっと愛のある起こし方してくれるのにぃ……」
シリア様に叩き起こされたフローリア様は、泣きべそをかきながらもいつもの神衣に着替えます。
その隣で寝ていたレナさんも身を起こし、ぐぐっと伸びをしていましたが、視界の端で横になっている私を見つけたようでした。
「ふわぁ~……。あれ、シルヴィは起きないの?」
『あ奴は今日は寝かせる。どうも体調が優れぬようでな』
「え、大丈夫なの?」
『魔力的な乱れも無く、熱っぽさもない。恐らく疲れじゃろう』
「そっか、それならいいけど。お腹空いてる? あとでご飯作ってもらってこようか?」
「いえ、まだ大丈夫です」
「了解。じゃあ、先にご飯行ってくるわね。……ほらエミリ、そろそろ起きなさい。ご飯無くなるわよ?」
「ご飯!?」
レナさんの一言でエミリがガバッと起き上がり、私に掛かっていた掛布団が弾き飛ばされます。
いつも通りの光景に苦笑していると、ふと私がまだ布団の中にいることに気が付いたらしく、ぎょっとした顔でこちらを見てきました。
「お姉ちゃんが寝てる! どうしたのお姉ちゃん!?」
「ふふ、大丈夫ですよ。今日はお休みさせていただくことになっただけですから」
『たまにはゆっくり寝て休むように言ったのじゃ。じゃから、妾達は邪魔せんように祭りを見に行くぞ』
「でもお姉ちゃんひとりぼっちじゃ寂しそう……」
耳と尻尾をしゅんとさせ、心底心配してくれているエミリ。
その可愛らしさに今すぐ抱き着きたくなりますが、あまりはしゃいでシリア様を怒らせてもいけませんので、ここは微笑むだけにとどめておきましょう。
すると、先ほどまで止まり木で眠っていたメイナードが口を開きました。
『我が残ってやる。それでいいだろう』
「えっ! メイナードくん、お祭り行きたくないの?」
『人の祭りなど興味はない』
『くふふ! ならば、お主に任せるとするかの』
メイナードがそんなことを言うなんて……と、新鮮な驚きを感じてしまいます。
そこへ、着替えを終えたレナさんが手を打ちながら声を上げました。
「はいはい、じゃあメイナード以外は部屋から出るわよ。早く行かないと朝ごはんも冷めちゃうし」
「そうね~。それじゃメイナードくん、シルヴィちゃんをよろしくねっ☆」
「メイナード様、お母様! 美味しそうなお土産を買ってきますね!」
「お姉ちゃん、メイナードくん、行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。楽しんできてくださいね」
『ゆっくり休むのじゃぞ。ではの』
布団の中から手を振り、皆さんを見送ります。
静かになった部屋で、天井を見上げながら掛布団をかけ直すと、メイナードが止まり木から降りてきた音がしてきました。
『主よ』
「何ですか?」
メイナードは私の枕元まで来ると。
『主に力を授けた女神が、この島に来ているのに気付いているか?』
そう、尋ねて来るのでした。




