585話 魔女様は機会を与える
私達の"野良猫のラウンジ"の営業期間も、明日が最終日となりました。
売上目標もとっくに超えていて、懸念していたレナさんやエミリへのお給料や、"メルビナ精肉店"からの仕入れ費も余裕を持って捻出することができています。
そのため、今週はお世話になったルサルーネの皆さんへの感謝を込めて、全品二割引で提供させていただいているのですが。
「えぇー!? お願いよ! 今後もここでお店を出して!!」
「俺ももう、このトンカツが食えない日なんて考えられないんだ! 頼むよぉ!!」
閉店が近いことを悟った方々から、そんな嬉しい言葉をいただいていました。
私としても彼らの希望を叶えてあげたいところではあるのですが、本業である診療所と、半年後に向けた鍛練に加えてここを営むのは無理があるため、代替策を用意することにしていました。
「でもシルヴィって、ホントにお人好しよね」
閉店後の掃除をしていたレナさんが、器用にモップの柄に体重を預けるような体勢でそんなことを言ってきました。
「何がですか?」
「何がって、あの話のことよ」
「……あぁ、トンカツの件でしょうか」
レナさんは頷くと、モップをバケツの中に漬けてジャブジャブと洗いながら言います。
「この街の人が惜しんでたのは分かるけど、アイツに任せることは無かったんじゃないのって思ってね」
「そこは私も考えたのですが、約束してくださったので彼を信じることにしました」
「あんな手を使うやつ、あたしだったら信じられないわよ。ホントに反省してるかも分かんないし」
水を切り、床を掃除するレナさんの言いたいことは十分分かります。
この話の詳細は、今から一週間前に遡ることになるのですが、私は単独である話を持ちかけていました。
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「と、トンカツのレシピを売る、ですか!?」
「はい。ご存知の通り、私は一ヶ月だけという約束で出店させていただいていました。ですが、私が店を閉じたあとでも食べたいという声が大きかったので、なんとか残せないかと考えていまして」
「それは分かりますし、私としてもありがたい限りではありますが……本当に私でよろしいのですか?」
額に汗を浮かべ、困惑する男性に私は頷き返します。
「私が魔女と知りながらも、店を潰そうと動いた行動力。そのために入念に手を回していた人脈と計画力は、賞賛に値するものだと思っています」
「そ、それはその、欲に塗れ、目先の利益を優先してしまった結果でして……」
「目先のことでここまで考えられるのですから、先を見据えればもっと計画的に考えられるということですよね」
そう。私の店を妨害し、シューちゃんに酷く怒られたあの男性に、トンカツのレシピ提供の話を持ち掛けていたのです。
彼は許されないことを繰り返していましたし、私自身も嫌な思いをしました。
ですが、私達の前でリスタートを約束した彼の言葉は、嘘偽りの無いものだったように思えたのです。
「魔女様。こういう事を聞くのは失礼だと承知の上でお聞きしたいのですが、私がいただいたレシピを悪用するという可能性についてはお考えになられましたか?」
「もちろんです。ですが、そこについては前もって可能性を潰しておこうと思っています」
「と、仰いますと……?」
あまりこうした事はやらない方がいいとは分かっていますが、今後のことも考えると、必要悪なのだと割り切ることが出来ました。
杖を取り出し、コンッと床を突いて彼に笑みを向けます。
「幸い、私も人脈には恵まれていまして。もしそんな噂が耳に入った場合は、今度こそ街を焼いてしまうかもしれません」
街を焼く。その言葉は魔族にとって、最大の効力を発揮する脅し文句です。
自分の行動ひとつでそれが行われると言われてしまった彼は、顔色を悪くさせながら深く頷きました。
「……肝に銘じさせていただきます」
「よろしくお願いしますね」
杖を消し、私はさらに続けます。
「それと、こちらはお願いになるのですが、もしレシピを知りたいという方が現れた際には、ぜひ教えてあげてください」
彼は顔に疑問を浮かべながら私を見てきました。
私は少し冷めてしまったお茶をひと口いただいてから、その疑問に答えます。
「私が作った料理を愛してくださるのも嬉しいのですが、それと同時に、この街で私という魔女を受け入れていただけたと言う事が嬉しかったのです。ですので、このトンカツを皮切りとして、魔女への偏見を変えるきっかけになれればと思っています」
「……分かりました。この件は私が責任を持って、街のイメージ改善に務めさせていただきます」
「はい。魔女は必ずしも怖い存在ではなく、中には親しみのある方もいるのだと広めてください」
「えぇ。私がその生き証人となって見せましょう」
そう言いながら胸に手を当てる彼に、私は微笑むのでした。
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当時のことを思い返し、それを皆さんに伝えた時は勝手なことをするなと怒られてしまいましたっけ、と一人で笑いながらレナさんへ言葉を返します。
「あの方も昔は真面目な方だったそうですし、初心を思い出してくださるいいきっかけになればと」
「お金は人を狂わせるってよく聞く言葉だけど、ホントに大丈夫なの?」
「私には彼を信じることしかできません。ですが」
「ですが?」
私は当時の再現のように杖を取り出し、あの会話の一部を繰り返すようにして見せました。
「また悪事の噂が耳に入ってきたら、今度こそ街を焼いてしまうかもしれません。と言ってありますので」
「あはは! シルヴィほどの魔力を持ってる魔女にそう言われちゃったら、言う事を聞く外なくなりそうね!」
「あまり魔女であることを盾にしたくは無いのですが、シリア様も時には力を誇示することも大切と仰っていましたので、参考にさせていただきました」
『うむ。いい判断じゃな』
噂をすれば何とやら、という言葉を体現するように現れた猫姿のシリア様に、怒られている訳でもないのに背筋が伸びてしまいました。
そんな私をくふふと笑いながら、シリア様は続けます。
『じゃが、明日の結果をシュタールに持って行く際に、その話を伝えることを忘れぬようにな。あ奴も領主であるが故に、不要なトラブルは避けたいはずじゃ』
「はい。忘れないようにします」
「あっ、もうこんな時間よシルヴィ! 早く終わらせて、今日は上がらないと!」
レナさんの言う通り、気が付けば時計の針は間もなく十時を示そうとしていました。
私達は手早く片づけを終え、最終日に向けて今日を終えることにするのでした。




