583話 魔女様は夜を過ごす
夕飯とお風呂をいただき、あとは寝るだけとなったのですが、今日は色々あったにも関わらず中々眠ることができずにいました。
腕の中にはエミリがいて、私とエミリの間で暖を取るように丸くなっているシリア様がいらっしゃるのはいつも通りです。
唯一の変更点と言えばベッドではなく敷布団であるくらいですし、私は枕やベッドが変わったから眠れないと言う事も無いのですが、どうしてか今日だけは眠れなくなってしまっているようです。
もしかしたら、日中のことでまだ気持ちが落ち着いていないのかもしれません。
エミリとシリア様には申し訳ないですが、少し夜空を見て落ち着きに行きましょうか。
なるべく起こさないように気を付けつつ、布団から抜け出してみましたが、私がいなくなったことで窪みから傾斜となった掛布団の上で、シリア様がずるりと滑り落ちてしまいました。
『んぁ……。何じゃシルヴィ、トイレか?』
「起こしてしまってすみません。少し、星を見に行こうかと思いまして」
『星ぃ……?』
シリア様は眠たそうに大あくびをしながら再び丸まろうとしましたが、理想的なスペースが無くなったことで収まりが悪くなってしまったらしく、何度も体勢を変えて角度を変えたりしていました。
しばらくもぞもぞとしていたシリア様でしたが、やがて諦めてしまったらしく、またも大きなあくびをしながら私の方へと歩み寄ってきます。
『……お主がおらんとこの体が収まる窪みがない。妾も付いて行ってやろう』
「すみませんシリア様」
『よいよい。妾もお主に聞きたいことがあったでな』
そう言うと、シリア様は一足先に部屋を出ていってしまいました。
私は手早く袴の上に一枚羽織り、その後に続くことにしました。
シューちゃんのお屋敷には立派な中庭があり、小さく真っ白な小石が敷き詰められている一面の上に、丸だったり何かを模した形に切り整えられている庭木が植えられています。
そこの一角に備え付けられているベンチに腰掛けて見上げる星々は、とても綺麗に夜を彩っていました。
『ほれ。体が冷えぬよう飲むがよい』
「え? ……ありがとうございます、シリア様」
いつの間にか用意していただいていたホットミルクを手に取り、じんわりと手に伝わる熱を感じながら一口啜ります。
ただ温めただけのミルクではなかったようで、少量のハチミツが混じっているらしいそれは、一口飲んだだけなのに緊張をほぐしてくれるようでした。
「とても美味しいです」
『じゃろう? 悪魔狩りの際に、ちとネイヴァール領に立ち寄ってな。せっかくじゃからと買っておいたのじゃ』
「ネイヴァール領にも悪魔がいたのですか?」
『いや、領内ではなく二個隣の場所じゃ。それに、ミーシアがおる領地にはエルフォニアがバックにおるが故、悪魔共も近寄らんらしくての』
「同じ悪魔でも、アザゼルさんが怖いのでしょうか」
『あ奴は悪魔の中でも群を抜いておるのじゃよ。魔女で言い換えるのならば、それこそ大魔導士レベルじゃ』
そんなに凄い悪魔の方だったのですね……と思いながらも、先日エルフォニアさんに足蹴にされていた様子を思い出してしまい、何とも言えない気持ちになってしまいました。
『アザゼルについても、何故かは知らんがエルフォニアに手綱を握られておるようじゃからな。余程のことがなければ暴れたりもせんじゃろうと言う事で、大神様からも黙認されておる』
「そういうことなのですね。てっきり、同じ悪魔として狩られてしまうのかと思っていました」
『妾としてはあんな奴、さっさと消してしまいたいのじゃがなぁ』
やはり神様と言う事もあるのか、悪魔であるアザゼルさんのことを考えたくも無いと言った様子で溜息を吐くシリア様に小さく笑いつつ、ミルクを口に運びます。
飲み込むと同時に、全身に伝わる心地よい熱に息を吐くと、シリア様が『そうじゃ』と口を開きました。
『アザゼルのことよりも、お主のことじゃ。初の飲食店の経験はどうじゃった?』
「そうですね……」
私はシリア様に、この二週間ちょっとを通して学んだことを伝えました。
当初は魔女というだけで怖がられてしまい、全くと言っていいほどお客さんが来なかったこと。
シューちゃんの紹介でグルメ雑誌の編集者に取材していただき、お店の印象を変えていただけたこと。
軌道に乗り始め、売り上げがうなぎ登りになった頃に、競合店から妨害を受けてしまったことなどなど。
「……色々ありましたが、魔女への悪いイメージを変えるきっかけを与えることができたのではないかと思ってます。私でも、こうやって誰かのきっかけになれたのだと」
私の話を静かに聞いてくださっていたシリア様は、うんうんと頷いてから言葉を返してきました。
『人の意識を変えるのは、常に何かしらのきっかけが必要となる。それは妾のように、力のあるものが作り出すするものでもあれば、何の力も持たぬ村娘の願いである時もある。それらを束ね、魔を以て導けるようになれた者こそ、魔導士と呼ばれるのじゃ。此度の経験を、忘れるでないぞ?』
「はい。どこかで活かせる時があれば、役立てたいと思います」
『うむ。……して、どうじゃ? そろそろリラックスは出来たか?』
シリア様の言葉を受け、私は残り少ないカップの中を見ながら自分の心に問いかけてみました。
「……はい。久しぶりにシリア様とお話しできたおかげか、とても落ち着いています」
『くふふ! 妾はお主の精神安定剤か何かか?』
「シリア様の傍にいると落ち着きますし、あながち間違いでは無いかもしれません」
『それは親の傍にいる子の気持ちじゃろうが』
シリア様にそう笑われてしまい、私も笑い返します。
ふと空を見上げ、瞬く星々を見ながら、こんな気持ちでいられたのはいつ振りでしょうかと思い返しました。
お店を開いてからという物、サティさんのおかげで大繁盛となったお店を切り盛りしていた日々は楽しかったですが、店を閉じて家に帰った後も、あまり気が休まる感じはありませんでした。
それは疲労もあったのかもしれませんが、今ならあの心境がどういうものだったか分かる気がします。
「私は、不安だったのだと思います。自分のやっていることは正しいのかとか、誰かの迷惑になってはいないかなど、心の奥で思い詰めてた気がします」
『人間は、初めてやることには必ず不安を感じるものじゃ。それがましてや、先入観を払しょくするために動こうともなれば、周りからは口にされずとも圧を受け続けることになる。お主は自信がないが故に、それを溜め続けてしまっておったのじゃろうよ』
シリア様は私の肩にひょいと乗り、私の顔の横で優しく笑います。
『自信を持つのじゃシルヴィ。お主には、誰かを変えられる優しさがある。それはいずれ、誰かを救う物となるじゃろう』
「誰かを救う、ですか」
『うむ。力で誰かを変えることは容易いが、優しさで変えるのは真逆の道を行くものじゃ。じゃが、お主にはそれができる。それは誰にもない、お主だけの武器じゃ。よく覚えておくのじゃな』
「分かりました」
『ほれ、そろそろ帰るぞ。いくらホットミルクがあると言えども、長時間夜風を浴び続けるのは体に悪いからの』
私はシリア様に頷き、肩に乗せたまま布団へ戻ることにしました。




