5話 孤独な王女は誘われる
それから食事を終えた私は、シリア様の希望で塔の中を探索することになりました。なんでも、今朝お話しされていた“結界の綻び”の場所を細かく特定したいのだとか。
『ふむ……。物珍しい魔導書が置いてあるのぅ、これは後で目を通しておくかの』
『けっほ、なんじゃここはシルヴィ!! お主この部屋に立ち入っておらんな!? 埃が、けっほけっほ!!』
『これはなんともまぁ……随分と広々とした風呂じゃのぅ。下手したらお主、外の世界に出たことを後悔するやもしれんな。くふふっ』
と、あちこち探索してシリア様に怒られたり笑われたり。
『金持ちとはほんに趣味の悪い部屋を作りたがるものよな。妾にはこの絵画だけの部屋の価値がまるでわからぬ…………ゎきゃあぁぁ!? し、シルヴィ驚かすでない! 何かが化けて出たのかと思ったわ!!』
「い、いえ。私は何もしていないのですが……」
『バカを言うでない! お、お主がこっそりあそこの絵画を揺らしたのは知っておるのだぞ!?』
「そんなことは――――ひっ!?」
「「きゃあぁぁぁぁぁ!?」」
小さい頃に一回だけ入った部屋でちょっとした心霊現象を体験したり。
『し、シルヴィよ。そこにおるな? お主一人で先に行こうものなら、妾はタダでは済まさんからな?』
「はい、大丈夫ですシリア様。ですが、私も早く入りたいので気持ち急いでいただけると……。それよりも、猫の体でもトイレは必要なのですね」
『阿呆! 神だろうと何だろうとトイレは必須じゃ! じゃが、人用のトイレはこの体では使いづらくて敵わん……』
緊張が解けた途端に二人してトイレに行きたくなってちょっと揉めたり。
私は今日ほど、生まれて来てから声を出して笑ったり騒いだことはありませんでした。私は生まれて初めて、神様という存在に心から感謝の念を送りました。
――その神様の中の一人が、中々トイレを開けていただけないシリア様なのですが。
☆★☆★☆★☆★☆
それから六日後。
私はシリア様とかなり話せるようになり、シリア様の調査もほぼ完了していました。
『ふーむ……。狭い塔の薄暗い環境は好ましくはないが、この風呂は文句なしに最高じゃな』
「私もそう思います……。このお風呂が無かったら、楽しみがかなり無くなってしまうかと」
『毎日毎日魔法の研究と、ちょっとした料理で終わる日々など妾には無理じゃな。お主もほんにようやるわ』
「今はシリア様がいらっしゃるので、今までみたいな淡泊な日々ではありません」
湯船に隣り合って浸かっているシリア様に微笑むと、シリア様も湯船の縁に組んだ腕の上で顔だけをこちらに向け、柔らかく笑い返してくださいました。
『しかしまぁ……。意外とお主、着痩せする方だったのじゃな。妾の先祖返りにしてはやや貧相じゃとは思っておったが、中々悪くない』
「あの、シリア様……。確かにシリア様のお体には大きく劣るとは思うのですが、今はこれが私の体なので、そう見つめられると少し恥ずかしいです」
『何を変なことを。それにほれ、塔に引きこもっておったにしては腰回りなんかも中々に締まっておる――』
「んんっ! やめてくださいシリア様! 爪がくすぐったいです!」
『むぉ!? く、首を摘まむでない! 放さんか!』
同性とはいえ、やはりお風呂の時間は気恥ずかしさがあります。シリア様は猫の体だからかは分かりませんが、毎度恥じらいなく平然とされているのに対し、私はお風呂に誰かがいるということがどうにも慣れません……。
『っくぅ~……湯船に毎日浸かれるのは最高じゃな。明日からはこうして入ることも叶わん可能性すらある、しっかり噛みしめておくのじゃぞ?』
「はい。それでシリア様、脱出は明日の零時……。つまり、今夜の日付跨ぎのタイミングと言うことでよかったのでしょうか」
『うむ。明日には宮廷魔導士が派遣され、この塔の結界を修繕するだろうよ。今日まであちこち見てきたが、一か所やたらと脆い部分があったのは分かっておる。故に、そこを修繕される前に割って外へ抜け出すとしよう』
「分かりました。でも私なんかに、シリア様の代わりが務まるのでしょうか?」
『なに、そこまで心配することもあるまい。失敗しても来年もう一度試みれば良いだけのことよ』
シリア様、それは笑い事ではありません。
とはさすがに言えないので、湯船に口元まで沈みながら考えます。
先日、シリア様と綻び探しをしている際に詳しい方法について伺ったのですが、手順としてはこんな感じになるとお話しされていました。
まず、この塔に隠されていた地下に続く道を進み、結界の境界となる部分まで進むこと。
これは私すら知らなかった隠し扉の先にあった道で、絵画の部屋でお化け退治に挑んだシリア様が派手に暴れたおかげで見つけることが出来ました。
その先は少しジメジメとした下水道のような道だったのですが、恐らくこの先が一番結界が脆く外に通じる場所もあるとのことなので、道の確保はできました。
続いて、結界の強行突破。
どうやらシリア様の実体化にはそれなりに私の魔力を消費し続けているようで、使い切れば使い切るほど上限値が上がっていくため、魔力リソースの強化トレーニングにはいいらしいのですが、慣れていない今の状態でその上で魔法を行使すると、一気に枯渇する恐れもあるらしいのです。
そのため、私の体を明け渡してシリア様と入れ替わり、シリア様に結界を割っていただく。という作戦でした。
最後に認識の阻害です。
結界は結構優秀なものなようで、割られた際に王家や関係者へ伝わってしまうものの様でした。
なので、結界を割って外に出た直後に私に交代して、即座に修繕を施した上で結界自体に誤認の魔法式を介入させるというもの。
これもシリア様にやっていただいた方がいいのではと思いましたが、魔力の波長的に私の方が適性が高いとのことで、私がやることになってしまいました。ここをミスすると駆けつけた宮廷魔導士に捕まってしまい、最悪の場合、結界がさらに強固なものにされてしまうリスクも高いのだそうです。
「やはり私には荷が重いです、シリア様……」
『もう決めたことじゃ、いい加減腹を決めよ。どうしようもなくなった時は妾が手伝ってやる故、気張らずにやるがよい』
ほれ、出るぞとシリア様が湯船から出ようとしたので、私も慌てて後に続きます。
お風呂を終えて部屋に戻り、荷物などの最終チェックをしながら私は窓から空を見上げました。
満月の明かりが差し込むこの部屋で過ごすのも、上手くいけば今日で終わり。不安要素は大きいですが、自由になれるというだけで心が弾み、これからの未来に期待が膨らみます。
私が期待を込めながら準備を続けていると、ベッドの方から笑い声が聞こえました。そちらへ視線を送ると、シリア様が私を見ながら小さく笑っていました。
『楽しみで仕方がない、と言った感じじゃな』
「はい。この閉じられた世界から出られるというだけで、私は嬉しくて嬉しくて!」
『まぁこんな娯楽もない場所よりかは外の方が良いやも知れぬが、全てが全て楽しいことだけとは限らぬぞ?』
「それは勿論です。本でも人が集まる場所には必ず争いが起きるものと記載がありましたし、嫌な事も見ることがあるかもしれません。ですが、それでも私は外の世界に行きたいのです。もっといろんな世界を見て、世界はこんなに広くて綺麗なんだって知りたいんです」
『くふふ、そうなることを願うとするかの。……してシルヴィよ、お主まさかとは思うがそのまま出るつもりではなかろうな?』
私は言われた意味が分からず、首を傾げました。するとシリア様は『やはりそうか』と深い溜め息を吐き、言葉を続けられました。
『よいか? お主がここから出るということは、結界を誤魔化したとしても遠からず王家には知れることにはなる。理由は簡単じゃ、お主に送っていた物資が手付かずのままになる。と言うことになるからの』
そう言えばそうでした。今までは週に一度、玄関に食料や生活必需品が置かれていたので、それを運んだりしていましたが、それが手付かずということは私に何かあったと思われ、気づかれる可能性があります。
私の理解が追いついたことを汲み取ったシリア様は、念押しのように続けます。
『故に、すぐに追手がかからないためにも、お主はこれからしばらく人目を忍んで生活することになる。それなのに、王家か貴族商人かは分からんが、そこから送られてきておる上等な服を着ておっては目立つじゃろう』
シリア様の仰る通り、そのまま外に抜け出したとしても、配送の機械人形越しに私の姿は見られているのでしょうし、追手に見つかり次第、私はすぐに塔へ戻されてしまうでしょう。
かと言って、私の服はこれ以外ありませんし、身を隠せるローブのようなものもありません。
どうするべきか悩み始めた私へ、シリア様は『そこでじゃ』と提案を持ちかけました。
『ひとつ、人目についても誤魔化せる術がある。シルヴィよ、お主……“魔女”にならぬか?』