513話 異世界人は尋ねられる
朝食後の家事をレナさんとシリア様が代わってくださると言うことで、二時間ほど仮眠をすることができた私は、スッキリとした気持ちで出かける準備を進めることができていました。
しかし、朝の二時間は非常に重要なものであったため、ポーション製造用の魔導石に魔力は残っているかどうか、夕飯用の食材は十分かどうかと忙しなく確認を続ける私に、シリア様が溜息を吐きます。
『お主はほんに心配性じゃな。一日二日ポーションが作れずとも、過剰納品してある分から融通を利かせるじゃろうよ。飯も無ければ無いで、街に繰り出してもよい。金もすぐには使いきれんほど余らせておるしの』
「それはそうなのですが」
『ほれ、もう行くぞ。今日はそんな確認よりも、重要なことがあろう?』
「あぁ! 待ってくださいシリア様ー!」
スタスタと先に家を出ていってしまったシリア様を追いかけると、既に外では私以外の全員が準備を終えていたようでした。
「あ! お姉ちゃん来たー!」
「お母様お母様! 早くお出かけ致しましょう!」
「ちょっと二人とも、今日は遊びに行くんじゃないんだから」
「まぁまぁ~、いいじゃないレナちゃん! ね~シリア?」
『いや、何も良くないが』
「ひどぉい! せっかくリラックスさせてあげようとか思ったのに、どうして冗談ってものが分からないのかしら!?」
『貴様の脳内は常に緩み切っておるじゃろう。これ以上緩んでどうする』
「私じゃないですぅ~!」
いつも通りのそのやり取りに小さく笑い、私は待たせてしまっていたことを謝ることにしました。
「お待たせしてしまってすみません。では、行きましょうか」
転移像を使って王都付近まで移動し、歩いて森へと向かおうとしましたが、今日もスタンピードが行われていたらしく、王都から森までは既に混戦状態になってしまっていました。
私達も応援に入るべきかとシリア様に伺ったところ、既に魔導連合から派遣されている魔女が対応に当たってくださっていることや、現状ではあまり魔女が表舞台に立っていないことから目立たない方がいいとのことで、遠くから聞こえてくる爆音などを背に、別ルートで森への侵入を試みることになりました。
「にしても、こっちの森はなーんか嫌な感じね。空気が淀んでいるって言うか、ジメジメしてるって言うか……」
レナさんの感想には、私も思うところがあります。
私達の住んでいる森――通称<不帰の森>では、山が隣接していることから森全体に清らかな雪解け水が行き渡っていることに加え、地脈を這う魔力も非常に潤沢であることもあり、自然が生き生きとしています。
それに比べるとこの森は、森そのものの生命力がかなり弱々しいと言いますか、地脈を感じられないと言いますか……。とりあえず、一言で表すのならば鬱々とした暗い森です。
そこら中に見たことも無い色のキノコが生えていて、木々には緑の物からやや変色している苔があり、時々森の奥を羽ばたく鳥の羽音がちょっとした怖さを演出しているかのようです。
『土地が異なれば環境も変わり、生息する生き物も変わる。妾達の住んでいるあの森は、人にとっても動物にとっても最高の環境だったという訳じゃな』
「そうねー。少なくとも、こんなジャングルみたいなとこじゃなくて良かったわ」
「ねぇねぇレナちゃん! レナちゃんの世界だと、こんな森だからこそ自殺の場所に選ぶ人がたくさんいるんでしょ!?」
「あんたの偏見どうなってんのよ……。でも、樹海って言われる場所だと自殺スポットだなんとかって悪い意味で有名になるとこもあったわね」
「レナ様、どうして森の中で死を選ぼうとする方がいらっしゃるのですか?」
「そんなのあたしに聞かれても分かんないわよ。誰にも見つからないところでひっそり自殺したいとか、そんな感じじゃない?」
「死んでしまった後でも、誰にも見つけていただけないのは悲しいです……」
「普通はそうよね。でも、あたしの世界には社会に絶望したのか何なのか知らないけど、追い詰められてこうした場所で死を選ぶ人もいるってだけ。こっちは分からないけどね」
「大神様から聞いたことがあるけど、レナちゃんの住んでた国は世界でもダントツで自殺する人が多かったらしいわよ~? 電車に飛び込んだりとか、車に撥ねられに行ったりとか」
『レナの世界は科学の力で発展しておると聞いておったが、何をそこまで人を死に追いやるのじゃ?』
「うーん……。死ぬ理由は様々だと思うから一概には言えないんだけど、たぶん働き方とお金に問題があるのよね」
「働き方、ですか?」
私の疑問にレナさんは頷き、指を立てて身振り付きで答えてくれます。
「こっちの世界の人って、結構自由じゃない? シルヴィみたいに朝早く起きてお店の準備をする人もいれば、冒険者みたいな自由気ままで出稼ぎに行く人もいるし。その人達はお金が稼げなかったら野宿だろうけど、外には魔獣もいるから食べ物に困ることは無いでしょ?」
「そうですね」
「でも、あたしの世界じゃそうはいかない。野生の動物を勝手に狩って食べるなんて許されないし、家を持っていなかったら働くこともできない。家があれば働けるでしょって思うんだろうけど、一日八時間以上働いても、毎月の給料の三分の一以上が家の維持費に消えるのがほとんどなのよ」
『なんと!? お主の世界は土地がそんなに高いのか?』
「島国だから狭い土地の奪い合いって言うのもあるけど、労働に対する対価が見合ってないのが大半なせいで高くなるのよ。低い給料から散々税金を取られて、その上家賃も払ったら手元に残るお金なんて半分も無いわけ」
「ご飯も美味しいけど安くはないしね~。お洋服なんて、下手したらシルヴィちゃんのポーション一本で一着買えるかなとかそんな感じよ?」
「そ、そんなに高いのですか!?」
「もちろんピンキリよ? ただ、ちょっとオシャレしたいなーとか美味しいごはん食べたいなーって出かけると、一日で二万とか……あー、フローリア。こっちのお金に換算するといくらになるんだっけ?」
「レナちゃんの世界の一万円で、こっちではだいたい金貨一枚から二枚くらいってところね」
「うん。だから、シルヴィが使い道に困ってるお金でも、あたしの世界じゃ買うもの買ったらあっという間になくなるどころかマイナスになるってこと」
『なるほどのぅ。こちらでは魔獣がわんさかおるが故に、その魔獣の素材を用いて服飾や料理を作ることもできるが、限られた材料から作るとなれば高くつくのもまた必然ではあるのじゃな』
「そ。ていうことで、ストレスが溜まる環境でいくら働いてもお金は貯まらないし、むしろあちこちから払え払えと催促され続けた結果、生きてるのが辛くなって自殺する人が絶えないって感じ」
「そうなのですね……」
私はこれまで、レナさんの世界のいいところばかりを聞いていたせいでちょっと憧れを抱いてしまっていたのですが、今の話を聞いて手放しには憧れることができないと感じてしまいました。
私の今の生活をまるまるレナさんの世界に置き換えたとして、日々の診療とポーション作りで得たお金が半分ほど無くなった状態で皆さんを養っていくとなると、これまでのような食事に困らない状況を作り出すのは、総じて物価が高い彼女の世界では困難でしょう。
それ故に、自らの命を絶ってしまう方が減らないという過酷な世界を知り、私は改めて、そんな世界で一人で生きていたレナさんに尊敬すると同時に、彼女が感じてきていた孤独を少しでも埋めてあげたくなってしまいました。
レナさんの横に並んでそっと彼女の手を握ると、レナさんは急に手を握って来た私に、当然のように驚きました。
「な、何!? 何で手を握って来たの!?」
「いえ、ちょっとレナさんと手を繋ぎたい気分になりまして」
「えぇ? どういう気分よそれ」
「あ! じゃあわたしもレナちゃんと繋ぐー!」
「ずるいですエミリ! ティファニーもレナ様と手を繋ぎたいです!」
「何々!? どういう状況これ!?」
自分の左手を取り合う二人に困惑するレナさんの背後からは、フローリア様がぎゅっと抱き着きます。
「じゃあ私はここ~♪」
「ちょっ、動きづらいんだけど!?」
『くふふ! たまには良かろう。人の温もりを楽しむとよいぞ』
「シリアまで何で頭に乗るのよ!? ねぇ誰か教えてー!! 何なのこれー!?」
私達の行動が理解できないレナさんの叫びは、森の中でもよく響く可愛らしいものでした。




