500話 女神様は一枚上手
「シルヴィー」
夕飯を作っていた私へ、レナさんから声を掛けられました。
すぐに振り向きながら返事をしようとしましたが、寸でのところで思いとどまり、自我を保てるよう意識しながら振り返ります。
「何でしょうか?」
振り向いた先で彼女の手にあったのは、シリア様の瞳が怪しい煌めきをしていたあの色に似ている魔石でした。
そこから一瞬だけ魔法が使われた感覚がありましたが、強く意識していたおかげか、今のところ思考が鈍ったりした様子はありません。
「……おぉ、ちゃんとシリアに言われた通り意識してるのね」
「はい。とは言っても、直前まで何も考えていなかったので危なかったのは否めません」
「そりゃそうでしょ。ずーっと自分のことを考え続けなきゃいけないって、それはそれで苦痛でしかないもの」
レナさんは笑いながらそう言うと、「何か手伝うことある?」と料理の手伝いを買って出てくれました。
その申し出に感謝しつつ、最近は食材の切り方も上達してきた彼女にサラダを作るのをお願いします。
隣に並び、談笑しながら料理を進めていると、廊下側から可愛らしいエミリの声が聞こえてきました。
「お姉ちゃーん! 見て見てー!」
……エミリ、それは洗脳魔法の込められた魔石なのですよね? それなのに、見て欲しいといいながら寄ってきてしまうのはどうなのでしょうか。
嘘が苦手過ぎる可愛い妹にわざと洗脳され、彼女が望むがままに自由にさせたい気持ちはありますが、かと言って料理中ということもありますので、心を鬼にして自我を強く意識します。
「どうしましたか?」
彼女が見せて来たのは、案の定と言いますかやはりと言いますか、レナさんが持っていた物と全く同じものでした。
恐らくエミリとしては、私の不意を突こうと頑張ったのかもしれませんが、全く様子が変わらない私に首を傾げてしまっています。そして私の隣では、レナさんが声を上げて笑ってしまっていました。
「エミリ! あんたそんなことを言いながら見せちゃダメでしょ!」
「うーん……魔法ってやっぱり難しいよレナちゃん」
「そうねー、エミリにはこれは難しいと思うわ。ほら、また今度にしてお皿出すの手伝ってくれない?」
「うん!」
魔石をポケットにねじ込み、いそいそとお皿を並べてくれるエミリを微笑ましく見つめていると、焦げてるとレナさんに怒られてしまいました。
慌ててフライパンの中で炒めていたお肉と玉ねぎをかき混ぜ、トマトとケチャップを投入し、再度炒め直します。
良い感じに全体にケチャップが行き届き、お肉にもしっかり染み込んでいるのを確認したそれをお皿に移していると、今度はいつの間にか厨房へと来ていたらしいティファニーが、満面の笑顔を浮かべているのが見えました。
……どうしてこう、我が家の可愛い子達は嘘や不意打ちが苦手なのでしょう。
「お母様! こちら、何だと思いますか!?」
「綺麗な魔石ですね。シリア様からいただいたのですか?」
「あれ!? どうしてそれを!?」
「ティファニーもエミリと同レベルで下手過ぎるわよ」
「そ、そんなことはありません! エミリより、ずっと上手なはずです!」
「わたしの方が上手だったもん!!」
「「むーっ!!」」
「二人とも、ケンカをしないでご飯の準備を手伝ってください。沢山手伝ってくれたら、美味しいデザートを用意しますよ」
「デザートをいただけるのですか!?」
「お姉ちゃんお姉ちゃん! わたし、はちみつヨーグルトがいい!」
「あ、ずるいですエミリ! お母様、ティファニーもはちみつたっぷりがいいです!」
「ふふ! ではすぐに作りますので、レナさんと一緒に準備してくださいね」
「「はーい!」」
可愛い二人に癒されながら、早速デザートの準備に取り掛かります。
確かヨーグルトは、この前ミーシアさんから送っていただいた物がまだあったはずです。
そう思いながら保存庫を開き、冷えたヨーグルトの箱を確認します。思っていた通り、今日の分を出してもまだ一食分はありそうです。
はちみつも倉庫にありますし、今の内から用意しておきましょうか。
そう思って倉庫の扉に手を掛けた瞬間、視界が何かに遮られるように塞がれてしまい、真っ暗になりました。
「だ~れだ?」
ふわりと香る、彼女特有の甘い香り。衣類越しでも非常に主張の強い、豊満すぎる大きな胸の感触。
そして、料理中にも関わらずこうしたイタズラを仕掛けてくるのは、我が家には一人しかいません。
「フローリア様、できれば料理中はやめていただきたいのですが」
「せいか~い♪」
フローリア様はパッと手を離し、念のため自我を強く意識しながら振り返った私に、今日も楽しそうな笑顔を見せてきます。
今のところ、彼女から何らかの魔法が使われた感覚はありません。ですが、シリア様から遠回しにイタズラを仕掛けてもいいとお許しが出ている以上、これで終わるフローリア様では無いでしょう。
何を仕掛けてくるのでしょうかと警戒の色を強める私に、フローリア様はちょっとびっくりしたような表情へ切り替えました。
「あら!? やだシルヴィちゃん、そんな怖い顔しないで~? まだ何もしてないでしょ?」
「目隠しは何もしていないに含まれるのですね……」
「あれはちょっとしたスキンシップじゃない! それよりも、ちょっとこれ見て欲しいんだけど!」
まさかそんな直球で仕掛けてくるのですか? とさらに警戒しながら彼女の挙動を観察していると、フローリア様が取り出したのは魔石ではなくウィズナビでした。
ポチポチと操作し、私に見せて来たのは――。
「どうこれ!? 昨日のレナちゃんの可愛い寝顔!」
「ちょっ!? あんた何でそんなものを見せてんのよ!?」
口の端から若干よだれが垂れ、幸せそうな表情で眠っているレナさんの寝顔でした。
やや衣服が乱れ、掛布団もずれてしまっているのが気にはなりますが、それでも彼女が夢の中から目覚める気配が無いことは十分に伝わってきます。
「あれだけ撮るなって言ってんのに何で撮るのよ!」
「だって、可愛いレナちゃんはいつでも見たいじゃな~い?」
「くっ、この! 寄こしなさいよそれ!!」
「ほ~らほら! 頑張れレナちゃん! もうちょっとよ~!」
小柄なレナさんがジャンプしても、フローリア様が伸ばした手の先にあるウィズナビには到底届かず、どんどんレナさんの怒りゲージが溜まってしまっているのが分かります。
これは巻き込まれる前に離れておきましょうか……と判断し、そろりと離れ始めた私へ、フローリア様から声が掛けられます。
「はい、シルヴィちゃんパースっ!」
「えっ……わわっ!?」
「シルヴィ、それ頂戴!!」
放り投げられたウィズナビをキャッチした瞬間には奪い取られ、レナさんがものすごい形相で操作を始めますが、ウィズナビ自体にロックが掛けられてしまっていたようでした。
「何なのよもうー!!」
「きゃん! やだレナちゃんぶたないで!」
「ならこれ解除しなさいよ! あと全部消して!!」
「痛い痛い~! 助けてシルヴィちゃん!」
「すみませんが、私には」
止められません。と言おうとしましたが、急に私の口が思うように言葉を発せないことに気が付きました。
まさかと思った時には既に遅く、私が最後に見たものは、楽しそうに細められたフローリア様の瞳が煌めいていたことでした。




