499話 魔女様は備える
ポーション問題、資産問題なども無事に解決し、ようやくいつもの日常が戻り始めていたある日のこと。
『落ち着いてきたことじゃし、そろそろお主の弱点を克服せねばならん』
唐突に、シリア様がそう仰ってきました。
「弱点と言いますと、攻撃できないことでしょうか?」
『それもあるが、早急に改善せねばならん物があるじゃろう』
私の弱点と言えば、ソラリア様の加護による制約だと思っていましたが、他に何かありましたっけ……。
頭を傾げながら考え込む私に、シリア様は溜息を吐きました。
『お主、よもやプラーナにされたことを忘れている訳ではあるまいな』
「プラーナさんですか?」
魔術師を率いるリーダー的存在であり、ルクスリア商会の前会長を務めていた女性。
その正体は、かつてのシリア様の弟子のひとりである“リンディ”という魔女見習いの方でした。
そんな彼女にされたことと言えば……。
「もしかして、洗脳でしょうか」
『うむ』
シリア様はようやく分かったかと言わんばかりに頷くと、いつものように腰を下ろして腕を組みます。
『お主はソラリアの奴から受けている加護のおかげで、物理、魔法による外的な攻撃には滅法強い。して、お主自身が扱える結界も相まって、それらでお主を傷付けることはほぼ敵わんじゃろう。じゃが、内的な攻撃には無力だということが前回の件でよう分かった』
あれは確かに、私もいつ掛けられたか分からない物でした。
魔法か魔術か神力か、あるいはレナさんのような第四の力か。そのいずれかを特定することは困難ではあるものの、洗脳という精神面への攻撃であったことは間違いないと思います。
「あの時は本当に、申し訳ありませんでした。私がもっと気を付けていれば……」
『いや、お主のような知識のない者に対処しろという方が酷じゃ。どちらかと言えば、それを使用してくる者がおると教えなかった妾に非がある。いや、今はその話を蒸し返す場面ではないな。ともかく、じゃ』
シリア様はピッと私を指さし、言葉を続けます。
『今後はいつ、どのような場面で精神攻撃を受けようとも、万全な対応ができることが求められる。故に、お主にはちとハードな鍛練を施そうと思う』
シリア様がハードと仰る以上、これまでの鍛練よりも非常に厳しいものになるのでしょう。
生唾を飲み込み、シリア様が仰る鍛練の内容を待っていると、シリア様の紅い双眸が怪しく煌めいた気がしました。
その直後、私の思考が急激にモヤが掛かったように重くなり、直前まで何の話をしていたのかさえ分からなくなってしまいました。
『……このように、予兆のない洗脳魔法にも対応できるよう、お主を叩き上げる。分かったらニャアと可愛く鳴くが良い』
「ニャア♪」
『くふふ! よいよい、しっかりと掛かっておるな。もう良いぞ』
シリア様の爪が、数度テーブルを叩いたと思った瞬間、私の思考が急激にクリアになっていきました。
それと同時に、私が猫の鳴き真似をしていたという事実を思い出し、恥ずかしさから顔が火照り始めてしまいます。
『なんじゃシルヴィ、猫の真似をさせられて恥ずかしくなったか』
「洗脳魔法という物は、恐ろしい物ですね……」
『うむ。故に、基本的には使用を禁止してはおるのじゃが、どの要項にも抜け穴という物が存在してしまってな。妾も改めて制定しなおしたが、既に使えていた者から取り上げることは敵わんのじゃ』
以前レナさんが見せた、あの暗く嫌な感覚の魔法も抜け穴のひとつであったようですが、シリア様の禁じた魔法を使えてしまう人はごく僅かではあるものの、この世界に存在してしまっているようです。
どの場面、どんな人物に遭遇しても対処ができるようにならなくてはと意気込む私に、シリア様は満足そうに頷き、話を戻しました。
『という訳で、当面は洗脳から身を護る術を徹底的に叩き込む。対処法としては非常に簡単なのじゃが、これは気を抜いた瞬間を狙ってくることが多いが故に存外難しくての』
「その対処法と言うのは、どのようなものなのでしょうか?」
『“常に自我を強く保つこと”。ただそれだけじゃ』
シリア様が言い放った内容に、私は理解が及ばず首を傾げてしまいました。
『何、難しく構える必要はない。簡単に言えば、私の名はシルヴィ=グランディア。【慈愛の魔女】で、シリア様の先祖返りとでも意識しておけばよかろう』
「そう言う物なのでしょうか」
『うむ。試しに今から掛けてやろうかとも思うのじゃが、これは意識されている時には発動できないクセのある魔法でなぁ……』
なるほど。つまり、いつ洗脳魔法を掛けられてもいいように、その洗脳魔法が来ることを前提に自分のことを考えておけばいいという事なのでしょう。何となくではありますが、理解することができたような気がします。
『よし、ではこうするか。これから数日の間、妾はお主に洗脳を仕掛けようと機会を伺い続けることにする。それは妾だけやも知れぬし、はたまたレナやエミリから仕掛けられるやも知れん。お主はちと心労が溜まるが、それを潜り抜けられるのならば概ね対処はできるようになるじゃろ』
「分かりました。出来るだけ対処できるよう頑張ります」
『うむ。では、早速今晩からでも始めるとするかの』
シリア様はそう言い残し、ひょいとテーブルから飛び降りてどこかへ行ってしまいました。恐らくは、皆さんに協力を仰ぐためにこのことを伝えに行ったのでしょう。
……しかし、エミリやレナさんからも仕掛けられる可能性があるとなると、かなり気を張り続けなければならないかもしれません。
先ほどのような猫の鳴き真似で済むならまだ可愛いかもしれませんが、仮にフローリア様が仕掛けてきて掛かってしまった場合を考えると、少し……いえ、かなり身の危険を感じます。
とは言え、これも半年後を見据えた大切な鍛練です。
前回は、プラーナさんとソラリア様は私を仲間に引き込み、新世界の創造を試みていたようでしたが、次は完全に敵対している状況であることから、万が一洗脳されてしまったら命の保証は無いでしょう。
そのためにも、多少の苦労は乗り越えなければなりません。そう自分に言い聞かせ、今晩から始まるであろう鍛練に備えることにしました。




