437話 ご先祖様は退かない
シリア様が口にした【決闘】という単語には、私も聞き覚えがありました。
ハールマナ魔法学園では時々、こうした上級生や貴族からの不条理が押し付けられてしまうことがあるらしく、それに反発するために議論ではなく力を示して相手に認めさせるための制度――【決闘】が設けられていたそうです。
私とシリア様が臨時教師として在籍していた時には起こりませんでしたが、昔はそれなりに多かったとイルザさんが苦笑しながら教えてくださっていたのを思い返していると、シリア様が半ば睨むように見据えている高等部の男子生徒が顔を引きつらせながらも言葉を返しました。
「け、【決闘】だとぉ? お前、本気で言ってんのか?」
「本気です。それがこの学園のやり方なのですよね?」
シリア様が堂々と言い切った後に、僅かな静寂が生まれ。
「バッカじゃねえのコイツ! 脳みそ詰まってねぇのか!?」
決壊するかのように彼が笑いだし、それに釣られるように彼の取り巻きの生徒達も笑い声をあげ始めました。
やや不快な笑い声が響く中、取り巻きの女子生徒がシリア様を指さしながらおかしそうに言います。
「今謝れば許してあげるけどぉ? 初等部が調子に乗ってごめんなさいって!」
「謝る必要はありません」
冷静さを取り戻したラティスさんが、怒りに顔を染め始めていたシリア様を制しながら返します。
「ここで謝る必要がある時は、私達があなた達より劣っていると明確に分かっている時のみです。たかが数年先に生きているだけであり、自分達ですら習得できていないことを僻みに来た低レベルな貴族如きに、私達が劣っているとでも?」
「テメェ!!」
「私に触れようものなら、即座に氷像にしてあげますが」
脅し文句ではないラティスさんの言葉に、先ほど脛付近まで凍らされていたことを思い出した男子生徒が、彼女の眼前で振りかぶっていた拳を静止させました。
つまらなさそうにそれを見つめているラティスさんは、ちらりとシリア様へと振り返り尋ねます。
「あなたが言い出したのです。当然、あなたも参加するのですよね?」
「も、もちろん!」
当然と言わんばかりに返事をするシリア様に、ラティスさんが小さく微笑みました。それを見たシリア様は驚いていましたが、嬉しそうに微笑み返します。
二人の間に小さな友情が芽生え始めたかのように見えた時、誰かが先生を呼びに行っていたらしく、食堂内に駆け込んできた先生がシリア様達へ声を投げかけてきました。
「ちょっとちょっと! この騒ぎはどういうことですか!?」
「ちっ、誰か呼びやがったか」
彼は小さく舌打ちをするも、歩み寄って来た先生に対して声色を変えて訴え始めました。
「先生ちょうどいいところに! こいつら、学園内で禁止されている生徒への魔法の行使をしてきたんです!」
「そうなんです! いきなり足を凍らせてきて!!」
「なっ……!?」
シリア様がそう反応するのは無理もありません。
当事者ではない私でさえ、あまりにも酷すぎる責任転嫁に声を失ってしまうくらいなのですから。
ですが、今来たばかりの先生にとっては床が一部凍っていることと、その主張しか状況を判断できる材料がないため、半信半疑の表情でシリア様達に質問を投げかけてきました。
「本当にあなた達がやったの?」
「魔法を使ったことは事実です」
「ラティス!」
いつの間にか“さん”が外れているシリア様の声に反応せず、ラティスさんは続けます。
「ですが、彼らが私達の食事を妨害してきたことと、私達が学んでいる内容の否定をしてきたのが先です」
ラティスさんはそう言いながら、右手でコーンポタージュが散乱してしまっており、とても食事を再開できない机の上を示しつつ、反対の手でポケットから何かを取り出しました。良く見るとそれは、手のひらサイズの水晶玉のようにも見えます。
彼女がそれにほんのり魔力を込めると、ついさっきのやり取りが音声となって再生され始めました。
流れ出す罵声や怒声を聞き終えた先生は、スッと表情を厳しいものに変えながら男子生徒達へと振り返ります。
「あなた達、恥を知りなさい。特にリグレスくん、あなたは名門の出でしょう? それなのに、貴族という肩書を振りかざして年も離れている初等部の女の子相手に僻むとは何事ですか」
「で、でも」
「でも、ではありません!」
責任転嫁について怒っているのか、はたまた彼の振る舞いについて怒っているのかは分かりませんが、先生は机を手のひらで強く叩くほどに怒り心頭の様子です。その拍子で、シリア様が持ってきていたお茶がグラスから派手に零れてしまい、コーンポタージュに塗れていたパンがさらにダメになってしまったのを、シリア様は小さく嘆いていました。
「そこまで力を誇示したいのならば、私があなた達と彼女達の【決闘】を監督します。明日の五時限目に、校庭へ来なさい。いいですね?」
先生はそう言うと指を鳴らし、凍り付いていた床を元通りにすると、「そろそろお昼休みが終わりますよー」と他の生徒達に解散を促しながら去っていきました。
その後ろ姿を見ていた男子生徒達も、シリア様達へ忌々しそうな視線を送りながらその場から離れていきます。
シリア様はそこで緊張の糸が切れたのか、溜息を吐きながらどさりと椅子に腰かけました。
「はぁー……。まさか、高等部からあんなことを言われるだなんて。いろいろな魔法を覚えることの何がいけないんだろう」
ラティスさんはそれに答えず、ささっとテーブルを片付けると食器返却棚の方へと向かって行ってしまいます。その後を追うように、シリア様も中途半端にしか食べることのできなかった食事を片付けて立ち上がり、ラティスさんに声を掛けながら去っていきました。
そんな彼女達を見ていたレオノーラが、面倒くさそうに息を吐きながら額に手を当てました。
「人間社会と言うものは、何故こうも階級にこだわろうとするのか理解ができませんわね……」
「そういえば魔族領には、貴族という階級がありませんでしたね」
「えぇ。私達魔族にとって、何よりも重要視されるのは個人の力量ですの。どれだけ名声を高めた者であろうとも、そこで歩みを止めて慢心すれば後続の新参者に全てを奪われる。自分より仕事のできる者が現れれば、魔王幹部であろうとも席を奪われる。そんな実力主義の世界ですわ」
「それもそれで生きづらそうな……。と言うことは、やっぱり魔王という座を狙ってくる人もいると言うことですか?」
「当然ですわ。我が玉座を奪えれば、魔族領を実質支配したも同然ですもの。寝首を掻きに来る者もいれば、謀殺を企てる者もそれはもうたくさんおりましてよ? まぁ、いずれも私の足元にも及びませんけれども」
ケロッという彼女でしたが、その言葉にはこれまでの苦労が少しだけ滲み出ているようにも感じられます。
魔族の王になる器として生まれてきた彼女も、シリア様と同等かそれ以上の過酷な人生を歩んできたのでしょう。そんなことを考えていると、突然私の鼻先をレオノーラが突いてきました。
「全くもう。今は私の昔話を考察する時間ではありませんのよ? 貴女が限界に来る前に、シリアの過去を追わなくてはなりませんの」
「そうですね、すみません」
「気にしないでくださいまし。あぁ、でも」
レオノーラは数歩先に歩くと、半身だけこちらに振り返り。
「私のことを知りたいと言うのであれば大歓迎ですわ。もちろん、そちらのことも教えて差し上げましてよ?」
口元に指を添えながら、妖艶にそう言ったものですから、私は聞かなかったことにしてシリア様達の後を追うことにするのでした。




