401話 魔女様は怒らせる
『シルヴィ! シルヴィ! 返事をせんか! シルヴィ!!』
遠くから、シリア様の声が聞こえてきます。
とてもひっ迫したように感じられるその声に意識を覚醒させると、私の顔を覗き込んでいる半実体のシリア様がいらっしゃいました。
「シリア、様?」
『おぉ、気が付いたか! 大丈夫か? あ奴に何かされておらぬか?』
「あ奴、とは誰のことでしょうか」
『プラーナのことじゃ! お主、まさか何も覚えておらぬのか!?』
シリア様の言葉の意味を考えながら半身を起こすと、全く見知らぬ場所に自分がいることに気が付きました。そこはまるで、私がずっと暮らしていた薄暗い塔の内部のような石造りの部屋で、部屋を見渡すだけで当時の様々な記憶が掘り返されそうになります。
「シリア様、ここは一体……」
『……あい分かった。ならば、妾の分かる範囲で説明しよう』
シリア様から現状について教えていただくと、学園長室で面談をしていた最中に、プラーナさんから発せられた魔力圧によって私とイルザさんの意識が刈り取られてしまっていたそうでした。それと同時に私からの魔力供給が途絶えたらしく、シリア様も実体を保てなくなってしまい、どこからか現れた黒ローブの人達に私達が連れ出されてしまったとのことでした。
移動先は転移魔法を使われたため分からないそうですが、私から離れすぎない程度で見回ってくださった結果、どこか高い建物の中であることが分かっているそうです。
「イルザさんは別の場所なのでしょうか」
『うむ。少なくとも、妾達のいる部屋の周囲にはおらんようじゃ』
「そうですか……。とりあえず、この部屋から出て脱出を」
『それなのじゃが』
シリア様は私の発言を遮るように言うと、私の右手の甲を指さしてきました。
『お主に着けられておるそれが、どうやらお主の魔力制御を奪っておるようでな。おかげでお主が魔法を操れぬ上に、妾もお主の魔力を引き出すことができん状況じゃ』
「そんな!」
右手の甲には、薄っすらとではありますが魔法陣に似た何かが浮かび上がっています。試しに結界を出そうと魔力を込めてみると、それが強く薄緑色の光を放つだけで魔法が発動する感覚はありませんでした。
「ということは、私達は何もできないと言う事でしょうか」
『そうなるな』
魔法も使えない私は、同年代の女性以下の力しか持たない無力な人間に過ぎません。
せめて、シリア様への魔力供給さえ叶えば……と考えたところで、先ほどまでのプラーナさんとの会話の内容が脳裏に浮かび上がりました。
『どうしたのじゃシルヴィ? そんな思いつめたような顔をして』
「……シリア様。こんな状況ではありますが、いくつかお聞きしてもいいでしょうか」
『なんじゃ急に。構わぬ、言ってみよ』
「私は、本当に魔女の器なのでしょうか」
『は?』
言っている意味が分からない。そう表情に浮かべるシリア様に、私は言葉を続けます。
「シリア様は先ほど、プラーナさんから魔力圧を当てられて私が気を失ったと仰っていましたが、あの時私とプラーナさんは、別の場所に精神を移して話をしていました。その時に、私の力についていろいろ教えていただいたのですが」
『どういうことじゃ? そんな高等魔法、魔術師には扱えぬはず――』
「私に備わっている魔力。私がこれまでに積み上げてきた実績。そのどれもが、【夢幻の女神】であるソラリア様のお力だったのです」
シリア様の言葉を遮るように、プラーナさんとの話で得た情報を提示します。
そんな私に、シリア様は珍しいものを見るように瞳を少し見開き、それ以降口を開こうとはしませんでした。
「なぜかは分かりませんが、私が塔に幽閉されていた時点で、既に私にソラリア様の力の一部が備わってしまっていたようなのです。そのおかげで、私はこれまで自由以外で何一つ不便に感じることがありませんでした。文字の読み書きも料理も、私の生活に必要だからとソラリア様が叶えてくださっていたのです」
この先を言ってはいけないのかもしれません。
言ったとしても、シリア様ならそんなことはないと私を笑いながらも、優しく認めてくださるかもしれません。
それでも、全てを失いかけている私は、どうしても口にしてしまうのです。
「シリア様の神降ろしに至っても、私の力ではありませんでした。私の孤独を埋めるために、私と魂の繋がりのあるシリア様をソラリア様が召喚してくださったに違いありません。そんな私は、本当に魔女を名乗っていいのでしょうか? 自分自身の力では何一つ成し遂げてはいない私は、本当にシリア様の認可を受けた魔女と言えるのでしょうか?」
私の言葉に、シリア様は何も言いません。
いつものような腕組みもせず、ただ私の発言内容を吟味するかのように、瞳を閉じています。
それ以降お互いに口を開かず、重い沈黙だけが部屋を満たし続けること数分。
その静寂を破ったのは、やはりシリア様でした。
『妾は以前、お主に言ったはずじゃ。人の力であろうと何だろうと、それを己の物として取り入れ扱えることは、お主自身の力でもあると。それが例え、神の力じゃろうと変わらん』
「ですが、これまでの私が使っていた魔法は、全てソラリア様の力によるものが大半です。それでも私は――」
『くどいぞ。確かにお主の人生において、ソラリアの力が作用していたことが多かったのは真実じゃろう。じゃが、それはお主がソラリアに頼んだものか? お主がソラリアに、読み書きさせろと、魔法を使わせろと願ったのか?』
「いえ……」
『シルヴィよ。妾は以前、こう言ったはずじゃよな。神降ろしをしたとはいえ、必ずしも神がそれに応えると言う確証は無いと。お主の無意識じゃろうと何じゃろうと、妾が認めたからお主の下に姿を見せたのじゃ』
シリア様はそこで言葉を切ると、ずいっと私の顔の前に自分の顔を寄せてきました。
『良いか? あ奴に何を言われて、何をそこまで自責しておるのかは分からんが、お主が自分を認めないと言うのであれば、それは妾をも認めぬと言っているのと同義じゃと覚えておけ。お主はソラリアの力を用いて魔法を扱えるようになったのやもしれんが、その探求の結果を認めたのは妾じゃ。そこを履き違えるでないぞ』
「すみません……」
私が顔を俯かせると同時にシリア様は背中を向け、顔だけ振り返りました。
その表情はとても残念そうでもあり、失望したとも言いたげで、私の心に深く突き刺さります。
『妾は先に寝る、ちと気分が悪い。お主も早う寝よ、先のことは明日にでも考えればよい』
そう言い残すと、シリア様は空気に溶け込むように姿を消してしまいました。
シリア様の機嫌を害してしまったことを反省しつつ、自分の息遣いや絹切れ音以外聞こえなくなってしまった部屋で、私は静かに瞳を閉じました。




