388話 魔女様は試される・後編
多重詠唱者。シリア様のお話では、魔女の中でもほんの僅かしかいないとされる、同時に二つ以上の魔法を操ることのできる強大な力の持ち主だったはずです。私もイルザさんは直感的に只者ではないとは思っていましたが、まさかここまでとは……と警戒を強めながらも、即座に神力を発動させます。
結界に神力を注ぎながら補強し、金色に輝き始めたそれを見たイルザさんは、心底驚いたような声を上げました。
「まぁ! 魔力量が段違いな魔女だとは思っていましたが、まさか神様の力を操れる奥の手を隠していたなんて! これは腕が鳴りますね! では、その胸をお借りして次を披露しましょうか!」
暴風に耳を覆いたくなる中、それに混じってイルザさんの詠唱が再び聞こえてきました。
「大地を駆けるつむじ風よ、ここに象らん。其は刈り取る爪となり、淀みを喰らう牙とならん」
竜巻の隙間から僅かに見えるイルザさんの前に、虎のようなものがぼんやりと見えました。それは徐々に鮮明になっていき、狼状態のエミリを彷彿とさせるものへと姿を整えていきます。
あの質量でさらに追撃を掛けられたら、流石に耐えられないのでは……と、頬に伝う汗を感じながら歯を食いしばって衝撃に備える私に、イルザさんが手を振りかざしました。
「穿て尖爪、突き立てよ鋭牙! 太古に栄えし神虎!!」
恐らく幻影魔法の一種なのだとは思いますが、淡い薄緑色の輪郭を持った巨大な虎の大ぶりな一撃は、幻影で説明ができないほどの威力を私の結界に振り下ろしてきました。
「ぐ、ううぅ……!!」
「ふふ! 流石に苦しそうですねシルヴィ先生! ですが、まだ終わりませんよ!!」
その言葉の通り、私を飲み込まんとする持続的な竜巻に加え、爪や牙を幾度となく結界にぶつけてくる虎の幻影に、私の結界が悲鳴を上げ始めています。結界に亀裂が再び入り、金色の粒子となって消えていく破片に焦りを感じてしまい、補強にとさらにリソースを回そうとする私に、シリア様が発破をかけるように声を上げました。
『焦るな! 上級魔法の行使は多大な魔力を消費する! それを二つも打ち込んでおるあ奴に追撃を行える余裕はない! あとは耐久勝負じゃ!!』
「……はいっ!!」
「あらら、見破られちゃいましたか。ですが、私の攻撃の手は緩めませんよ!」
イルザさんが再び虎に連続攻撃の指示を飛ばし、私の結界を破らんと虎が猛威を振るい続けます。
じわじわと継続的に削ってくる竜巻に加え、一撃一撃が途轍もなく重い虎の猛攻。それが逐一体へとフィードバックされてくるため、魔力的な消耗もそうですが、徐々に体へのダメージも蓄積していってかなりしんどい状況です。
ですが、追撃がないと分かった以上、あとは持ちこたえさえすれば私の勝ちです!
大きく息を吸いこみ、奥で指示を出しているイルザさんをまっすぐに見据えながら、自分の気合いを入れなおすために大きく声を張り上げます。
「くっ、うあああああああああああああっ!!!」
「いいですねいいですね! 素晴らしい魔力の高まりです! ですが私も、教頭として負けられないのです!! はああああああああああっ!!!」
イルザさんも咆哮を上げ、残りの魔力を全て注ぐかのように二つの魔法を強化してきました。
お互いの全力が双方向から衝突しあい、空気がビリビリと震えてきているのが分かります。こんなに相手の全力を迎え撃つのは久しぶり過ぎて、去年の魔導連合で行われた技練祭を思い出してしまいます。
あの時はレナさんにも魔力を移譲してもらって、アーデルハイトさん達の全力を防ごうと頑張っていたのをよく覚えています。確か決着としては、相反する二つの力が耐えきれず、魔力爆発という現象を引き起こしてしまって私達がリングアウトという形になったのでしたっけ。
そう、ちょうど今目の前でバチバチと音を奏でているこれが、あの時も……。
そこまで考えて、今まさにあの時の現象が再び引き起こされようとしていることに気が付きました。
このままでは、私もイルザさんもただでは済みません!
どうにかしてこの拮抗を終わらせなければいけませんが、私が結界を解除すれば、たちまち竜巻と虎に襲われることになるでしょう。それはそれで痛そうですので避けたいところです。
ですが、いつ訪れるか分からないイルザさんの魔力切れを狙っているだけでは、このまま魔力爆発が起きてしまう事でしょう。
徐々に空気が弾ける音が強くなる中、必死に何か手段が無いかと思考を巡らせ、私はひとつの可能性に辿り着きました。
今の状況で実行すれば、間違いなく多重詠唱となって途轍もない負担が体に掛かると思いますが、こればかりはもう手段を選んでいる余裕がありません。
私は両手で握りしめていた杖から左手を離し、脳内で強くあの時の光景をイメージしながら魔法を行使します。
すると、それに呼応して竜巻と虎にやや薄暗いモヤが掛かり始め、徐々に威力が下がっていくのを感じました。
「まぁ!? シルヴィ先生まで多重詠唱を行えるなんて! しかも弱体魔法とは考えましたね!」
『やめよシルヴィ! また倒れたいのか!!』
私が思い描いていたのは、シリア様とレオノーラが大喧嘩していた時の光景でした。
シリア様の滅槍アラドヴァルの威力を僅かでも下げようと、自身の槍で相殺しながらも放っていたあの弱体魔法。あれならば、イルザさん側の威力を引き下げることで、拮抗状態から私の有利に持ち込めると考えたのです。
しかし、案の定多重詠唱の弊害が出始めてきていて、頭が割れるように痛み始めました。
ふらつきそうになる体を杖で支えながらも、気迫を込めてイルザさんを見据え続けます。
「拮抗状態のままでは、爆発が起きてしまうので……」
『阿呆か! 魔力爆発が起きた際の備えを、妾がしておったのに気づかんかったのか貴様は!!』
シリア様の言葉を受けて周囲を見渡すと、体育館の壁にはもこもことした柔らかそうな雲の壁が出来上がっていました。どうやら、集中し過ぎていたせいで周りの状況が見えていなかったようです。
すみませんシリア様。と口にするのも辛くなってきてしまい、申し訳程度に笑って誤魔化そうとした私へ、シリア様が深く溜息を吐きました。
『イルザよ、お主ももうズルは止めよ。不足分を魔導石に頼るのは公平とは言えぬじゃろう』
「ふふ、バレてしまっては仕方ありませんね」
イルザさんはそう言うと、パッと魔法の行使を中断しました。
私の結界の前で霧散していく彼女の魔法を見ながら、極限状態が近づいてきているせいで荒い呼吸を繰り返す私に、イルザさんが申し訳なさそうに謝ってきます。
「ごめんなさいね。実はもう、とっくに魔力は尽きていました。でもシルヴィ先生の限界が見たくて、これに頼っていました」
彼女の手に握られていたのは、手のひらサイズの青い石……魔導石でした。
「どうりで、終わる気配がしない訳ですね……」
それを見て脱力してしまった私は、崩れ落ちるように体育館の床に身体を投げ出しました。
鈍く痛む頭、結界のフィードバックで軋む体、そして魔力の底が見えそうなほど消耗してしまった私の顔の前にシリア様が近寄ってくると。
「ふぎゅ」
『全く、どうしてお主はそうやって無茶をしたがるのじゃ。どうせ、爆発でイルザを傷付けてしまうとでも考えておったのじゃろう? このたわけめ。敵の心配なぞせず、己を大事にせよ』
「ふみ、ふみまふぇん……」
私の頬をこねるように、交互に前足で踏みつけながらそう叱ってきました。
「うふふ! ですがシリア様、シルヴィ先生の実力は素晴らしいものですね。あの結界の強度もさることながら、土壇場で多重詠唱をして私の魔法を弱体化させてくるなんて。この子の未来が楽しみになってきちゃいました!」
『おだてるでない。こ奴は自分より人を優先しがちなのじゃ。こんなことを続けておったら、くだらんことで命を落としてもおかしくないぞ』
「まぁまぁ、それも彼女の良さですよ。ともあれ、お疲れさまでしたシルヴィ先生。テストは文句無しの合格です!」
しゃがみ込んでシリア様と一緒になって私の頬をつつくイルザさんに、私は抵抗できずにされるがままになっていました。




