383話 魔女様は警戒する
建物の内部は広いことは広いのですが、中庭を囲むように作られているおかげで、出入り口はどこかと覚えるのに苦労しませんでした。
そんな内部を門兵さんの先導でしばらく進むと、門兵さんはある一室の前で立ち止まり、扉を二度ノックしながら言いました。
「教頭先生、非常勤のシルヴィ先生をお連れ致しました」
「どうぞ」
中からは、優しい声色の女性の声が返ってきました。
門兵さんが“教頭先生”と口にしたことから、恐らくはエミリ達が面談をしたという女性のことで間違いはないでしょう。話ではニコニコとしていて優しそうな人だったとのことでしたが、実際はどうなのでしょうか。
扉を譲られた私が「失礼します」と前置きをしてから中へ入ると、そこには淑女という言葉が相応しいエルフ族の女性がソファに腰掛けていました。
フローリア様のようなふわりと伸びた茶色の髪は先端をくるりと巻いていて、私に向けて柔らかく微笑む瞳も同じ色を煌めかせています。
そんな彼女ですが、これまたフローリア様を持ち出すのも失礼なような気はしてしまいますが、彼女に負けずとも劣らないような大変立派な胸を持っていて、それを見せつけるかのように強調している紺色のベアトップドレスから零れてしまいそうなほどです。
『あ奴の恰好、人に物を教える立場の恰好では無いじゃろう』
シリア様。それは凄く共感できますが、仮にも魔法学園の教頭先生というポジションの方なのですし、聞こえてしまうのでは……。
そう危惧していた私の予想通り、彼女にはシリア様の言葉が聞こえてしまっていたようでした。
「うふふ! 確かに、若い子ども達にとっては良くない恰好かもしれませんね。ですが、我々エルフ族は体内の魔力では補えない分を魔素から補填していますので、肌面積が大きければ大きいほど取り込みやすいのです」
『だからと言って、斯様に胸を見せつけんでもよかろう。エルフは胸から魔素を取り込んでおるのか?』
「そうではありませんが、ほら。蒸れてしまうではありませんか」
その気持ちは分かりますが、何と言葉を返したらいいかが分かりません。
流石のシリア様も言葉に詰まってしまったようでしたが、それを気にすることなく彼女はくすくすと笑いました。
「さぁ、こちらへお掛けになってください。シルヴィ先生?」
「失礼します」
向かいのソファに座るよう促され着席すると、机の上に置いてあったティーセットから温かいお茶を淹れてくださいました。差し出されたそれを手に取り、香りを楽しもうとした私に教頭先生が言います。
「このお茶、隣の領地にある農園をお借りして、課外授業としてうちの生徒が栽培しているんですよ。いい香りでしょう?」
「生徒さんが作られているのですか?」
お茶の葉を作っているということに驚いてしまいましたが、やはり魔法学園ともなると、魔法を使った授業の一環として作物の育成を試みたりするのでしょう。
嗅いだことのない香りではありますが、飲んではいけない匂いは感じません。むしろ、少し心地よさを感じる優しい香りです。
一口いただくと、ふわりと鼻を抜ける爽やかな香りと共に、ちょっとだけ苦みを感じました。普段から良く口にしているお茶に近いとまでは言えませんが、できるだけ再現しようとしている味だと理解することができます。
「学園の生徒さんが、ここまで美味しいお茶の葉を作れるとは驚きました。ハールマナ魔法学園ではこのようなこともするのですね」
「希望した生徒だけですけどね。……さてさて、それでは本題へ入りましょうか。【慈愛の魔女】シルヴィ先生?」
彼女が私の魔女名を呼んだ瞬間に、私の思考が警戒色に一変しました。それはシリア様も同じであったようで、ぴくりとひげが動いていたのが見えました。
「……申し訳ありませんが、人違いではないでしょうか。私は」
「ネイヴァール領の【暗影の魔女】エルフォニアさんに偽造していただいた書類の件は、今のところは私だけが本当のことを知っていますよ」
どうやら、全て筒抜けであったようです。
これ以上弁明しても無駄であるように思えてしまい、ちらりとシリア様へアイコンタクトを送ります。すると――。
「もう、私とのお話し中なのですからこちらを見てくださいませんか?」
「なっ!?」
シリア様がいたはずの場所には教頭先生が座っていて、机を挟んだ向かい側にシリア様が移動させられていました!
この人は只者ではありません。そう確信して距離を取ろうと腰を上げた私の手を、教頭先生が逃がさないと言わんばかりに掴んできました。
「そう警戒しないでください。少なくとも、私は貴女達の敵ではありません。むしろ味方と言うべきでしょうか」
「どういう、ことでしょうか」
半ば力づくでソファに再び座らせられた私の手を離さず、教頭先生はにっこりと微笑んできます。
「まずは自己紹介からさせていただきましょうか。私はこのハールマナ魔法学園の教頭を務めているエルフ、イルザと言います。魔法適正は主に風で、得意魔法は今お見せしたような幻術系です。そして」
教頭先生――イルザさんはそこで言葉を切ると、すっと真面目な表情を見せながら続けました。
「特技として、他者の記憶を読み取ることができます。そのため、貴女達のことも私だけが知っていると言いました。貴女が元グランディア王家のお姫様であることも、そちらの猫ちゃんがタウマト教が信仰する【魔の女神】シリア様であることも分かっています」
『そこまで知って、妾達に何を望む』
シリア様の訝しむような問いかけに、イルザさんは言葉を選ぶように瞳を閉じて逡巡し。
「結論から申し上げますと……。貴女達に、この学園を救っていただきたいのです」
そう、私達に言うのでした。




