267話 魔女様は依頼をこなす
ラティスさんからの依頼を引き受けた翌日。
早朝から出かける準備を整え、隣の部屋で眠っていたレナさん達に出かける旨を書き置きして朝食をいただいていると、朝は苦手と言っていたはずのレオノーラが姿を現しました。
「ふわぁ……。おはようございます」
「おはようございます、レオノーラ。まだかなり早い時間ですが、もう起きて大丈夫なのですか?」
「抱き枕がいなくなれば、誰でも目を覚ましましてよ。それよりも、どこかへ出かけますの?」
やや眠たげにしながらも食事をお皿に取り、隣で食べ始めた彼女に私は答えます。
「はい。ラティスさん――ええと、騎士団長の方から依頼を受けまして、建物に結界を張りに行こうかと」
「まぁ! 貴女という魔女は行く先でも頼まれごとが多いのですのね。このような旅行の時くらい、魔女という身分を忘れて羽を伸ばせばよろしいのに」
『たわけ。これは旅行ではなく遠征じゃ。魔女たる者、救いを求める手があれば進んで差し伸べる気概を忘れてはならん』
「はぁ~、朝から口うるさい猫の小言は聞きたくありませんわ。あむっ」
『何じゃと貴様!?』
シリア様のお小言を適当にあしらい、パンの上にベーコンと目玉焼きを贅沢に乗せたそれに噛り付くレオノーラは、咀嚼しながら幸せそうに頬を緩ませていました。
そんな彼女にこれ以上言っても無駄だと悟ったシリア様も、溜息をひとつ吐いて小さく切ったソーセージを頬張ります。
何だかんだ、シリア様とレオノーラは喧嘩ばかりしていますが、シリア様とラティスさんも似たような言い合いが多かったですし、彼女なりの親愛表現なのでしょうと微笑みながらココアを飲んでいると、レオノーラが食べる手を止めて私に言います。
「そうですわ。でしたらシルヴィ、途中までご一緒させていただけませんこと?」
「大丈夫ですよ。私もイースベリカを少し散策してみたいと思っていましたので、一緒に回りましょう」
「ふふ! そうと決まれば、ミオとミナを叩き起こさないとなりませんわね!」
いそいそと残りの食事を綺麗に平らげ、レオノーラは急ぎ足でミオさん達の部屋へと向かって行きました。
『あ奴はほんに、遊ぶことに関しては気合いの入り具合が段違いじゃな……』
「あはは……。普段、魔王としての執務に追われているから遊び足りないのでは無いでしょうか」
『あ奴の政なぞ、日々のお主の家事や鍛錬に比べればいくらでも遊ぶ暇があるぞ? お主こそもう少し、役割分担という言葉を覚えてはどうじゃ』
「とは言いましても、皆さん家事ができないので……」
『それはまぁ、確かにそうじゃのぅ……』
家事全般を請け負っている身としては、確かに少しは分担させていただければ楽にはなるのですが、エミリは一生懸命過ぎるせいで逆にお皿や家具をダメにしてしまいますし、フローリア様とメイナードについては言うことがありません。
唯一レナさんが少しだけできるらしいのですが、彼女に頼ろうとするともれなくフローリア様がセットになるため、効率が大幅に下がってしまうのです。
時々、お酒造りに疲れたシリア様が手伝ってくださっているのが救いな現状が、どこかで改善できれば……と二人で小さく嘆息し、食事を再開させました。
「はぁ~! ご覧なさいシルヴィ! 屋根に氷柱ができてましてよ!!」
「レオノーラ様、流石にはしゃぎすぎですよ」
「我々魔族という存在だけで周囲から視線を浴びておりますので、どうか声量だけでもお抑えください」
「無理ですわ!」
即答し、再びあれこれ見ながらはしゃぐレオノーラに、ミオさん達がどうしようもないと諦めています。
そんな彼女を大人しくさせた方がいいとは思ってはいるのですが、私としてもこの光景に多少胸が高鳴っていて、浮足立つ気持ちが抑えられていません。
今までは塔の中からしか見ることのできなかった雪景色が、こんなにも間近で体験できる幸福感に顔が緩んでしまっていた私の頬を、シリア様がぷにっと前足で突きました。
『これ、あまりだらしのない顔をするでない。先も言ったが、今回は旅行ではなく魔導連合としての遠征に来ておるのじゃからな』
「す、すみません」
「まぁまぁシリア、良いではありませんの! シルヴィにとっては、実質初めての雪ですのよ?」
『それは分かっておる。妾が言いたいのは、遊ぶにしても先に役割を果たしてからにせよと言うことじゃ』
「では遊ぶことの許可は下りておりますし、さくっと済ませて来てくださいませ? 私達は中央広場付近でふらふらしておりますわ」
「分かりました、ではまた後で」
レオノーラ達と別れ、私は商談の舞台となる建物へと足を向けます。
あちこちから暖かく美味しそうな匂いが立ち昇る住宅街を抜け、目的地へ辿り着くと。
「お待ちしておりました、【慈愛の魔女】様!」
それなりに立派な商館の前に、騎士の方が既に待っていてくださっていました。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「いえいえ、少し入り組んでいた道ですのでお気になさらず! すぐに結界の準備を行われますか?」
「はい。朝からとの依頼ですので、今から始めてしまおうかと」
「分かりました! では僭越ながら、団長より命を受けております自分がご案内いたします!」
ハキハキと喋る騎士の方の後に続き、建物の周辺を確認して回ります。
建物自体は至って普通の造りですが、シリア様曰く『地脈の乱れが酷い』とのことで、ただ印を刻んで結界を張るだけでは不安定になってしまうようでした。
『シルヴィよ、こ奴に適当な石像を作って問題は無いか聞けるか?』
「分かりました。……すみません、結界を張るために少し用意したいものがあるのですが、石像を作らせていただいてもいいでしょうか?」
「石像ですか? あまり大きすぎないものであれば問題ございません!」
「ありがとうございます。だそうです、シリア様」
『うむ。ならば妾に任せよ』
その後、騎士の方と共に邸宅を中心に四隅に猫の石像を作って回り、いよいよ私の出番となりました。
杖を取り出して精神を集中させていると、騎士の方から声を掛けられました。
「あぁ、魔女殿! 一点お伝えし忘れておりました! 団長より伝言で、結界を張る時は屋根の上が良いとのことです!」
「そうなのですか? 分かりました、ありがとうございます」
その言葉に従い。シリア様と一時的に体を交代し、屋根の上へ飛んでいただいた後に戻った私は、杖を握りしめながら祈るように結界を展開させます。
それと同時に、私の魔力が刻まれた猫の石像からも結界が展開され、邸宅を四角く囲むように結界が織り上げられていきます。
完成を前に、特に問題はなさそうかと思っていた時、突如私の魔力の流れに逆らうような痺れが私を襲いました。
「痛っ!」
『どうした!?』
しかしそれはほんの一瞬で、まるで静電気を浴びせられたかのような感覚だけが残っています。
結界に流し込んでいた魔力も特に異常は無く、出来上がった結界に綻びなどが感じられることはありません。
「いえ、一瞬だけでしたが魔力に乱れを感じてしまいまして」
『ふむ?』
シリア様は私の肩から飛び降り、屋根の上で前足を二度叩いて何かを確かめます。
しばらくして、私を見上げながらシリア様が結果を教えてくださいました。
『特に異常は見受けられん。恐らく、この地の淀んだ地脈から反発を受けたのじゃろう』
「そうでしたか。すみません、お騒がせしました」
『何、気にするでない。お主に何も異常が起きてないのであれば構わぬ』
シリア様の心遣いに感謝しつつ、登った時と同じように体を入れ替えて下へ降り、結界が出来上がったことを騎士の方に伝えます。
「結界の準備が整いました。これで大丈夫だと思います」
「ご苦労様であります! では、自分は団長へこの旨を報告いたしますので、以降は魔女殿におかれましてはご自由にお過ごしください!」
「分かりました。案内ありがとうございました」
「とんでもございません! それでは失礼いたします!」
騎士の方は私に独特な敬礼を残し、駆け足でその場を去っていきました。
その後ろ姿を見送りながら、シリア様がふっと感想を零します。
『騎士という物はほんに忙しないのぅ。生き急いでいる感じがあって好きになれん』
「彼らは規律に厳しいようですが、自分を律して生き続けるのは大変そうですね」
『うむ。自由を好む妾達魔女から見たら、ああはなりたくないものじゃな』
シリア様は苦笑交じりにそう言うと、私のコートの内側へと身を滑り込ませてきました。
『ほれ、あの阿保が変なことをしでかす前に、妾達も合流するとするぞ』
「ふふ、分かりました」
今日と明日は、魔導連合としては自由に過ごしていい日となっていますし、これを機に少しだけ遊ばせていただきましょう!




