35話 暗影の魔女は合流する
言われた通りに閉じよと唱えると、真っ白な世界が風に溶けていくように消えていき、薄暗い廊下の風景が戻ってきました。私から少し離れた場所には、マリアンヌさんが力無く横たわっていて、微動だにする様子がありません。
殺されかけていたとは言え、私の魔法によって彼の命を奪ってしまったことに対して黙祷を捧げていると、遠くから複数人の足音が駆け寄ってくるのが聞こえてきました。
「無事か、【慈愛の魔女】!?」
「アーデルハイトさん!?」
振り返った先には、いつものスーツ姿のアーデルハイトさんと、体中ボロボロで血も拭えていないエルフォニアさんの姿がありました。
「エルフォニアさん!? その怪我で走って大丈夫なのですか!?」
「これが大丈夫に見えるならあなた、相当な目の悪さよ。できれば治癒魔法をしてもらいたいのだけれども、まずは自分の体からじゃないかしら」
冷静に指摘され、立て続けに不可解な出来事があったことで忘れていた痛みを、体中が訴え始めました。歩ける程度に自分に治癒を施し、続けてエルフォニアさんにも治癒魔法を掛けていると、エルフォニアさんと同じくらいボロボロになっている私を見ながらアーデルハイトさんが言います。
「【慈愛の魔女】でさえ、魔法を無効化されていたか。シリア先生から【制約】の加護があるから、余程の事が無い限りは傷を負うことは無いと聞いてはいたが、【制約】と言えどもやはり魔法なのだな」
「はい。魔術師の方は魔法を打ち消す何かを持っていらっしゃるようで、私の結界と加護が無効化されていました。それに対抗するために教えていただいた、神力の結界も……」
「神力!? お前、神力を扱えるのか!?」
「はい。シリア様とフローリア様から、神力の引き出し方を教えていただきました」
私の返答にアーデルハイトさんは頭を押さえつつ、深く溜息を吐きます。
「神力と言うものは、本来人が扱える力では無い。それこそ、シリア先生のように人を辞めて神となったような者や、信心深く神に認められた最高位の神官クラスで無ければ扱うことはできないんだ」
アーデルハイトさんは「本当に規格外の奴だな」と呆れながらマリアンヌさんの遺体の元へと向かい、彼のスカートのポケットをまさぐり始めました。彼の様子を治癒を続けながら見ていると、目当ての物を見つけたらしいアーデルハイトさんが、それを取り出して見せてきました。
それは翼の生えている人が磔にされていて、左胸に歪な剣が突き刺さっている絵が彫られている物です。
「それは何でしょうか?」
「魔道具だ。その名も“反逆の呪板”。これを所有する者は神から一切見放される代わりに、神の力を全て打ち消すという代物でな。これのせいで、【慈愛の魔女】の神力すら無効化されていたのだろう」
続けて、彼はマリアンヌさんの腕に彫られていたタトゥーを指で示しながら言います。
「そして、魔法を打ち消していたのがこれだ。“魔術刻印”と呼ばれていて、魔術師には全員彫られている。今後見かけることもあるだろうから覚えておくと良い」
「杖は魔法を操る者。巻き付く蛇はそれを縛る物という意味よ」
エルフォニアさんの補足説明を受けて、頭のメモにしっかりと記憶させます。レギウスさんもそうでしたし、魔術師の方は私達魔女へ並々ならぬ憎悪を持っているようですから、このタトゥーを見たら警戒しなければなりません。
「それはそうとシルヴィ、さっきの魔力はあなたの物で良かったかしら」
「さっきの、と言いますと?」
「下の階からとてつもない魔力の高まりを感じたのよ。タイミング的にあなたの物だと思ったのだけれど」
私は気がつかなかったので、恐らく私が放ったあの魔法の事かもしれません。
「ええと、私もまだよく分かっていないのですが、“過去を追体験させる再現魔法”だそうです」
「だそうですって、何故自分が使った魔法を理解していないのだお前は。誰かから聞いたという事か?」
「はい。でも、私にも光のシルエットしか見えなかったので、誰かと聞かれると困ってしまうのですが」
「何だそれは。お前はよく分からないものから教わった魔法を、よく分からないままに行使したという事か」
「すみません……」
「はぁ……。いいか、他者から魔法を教わる際には、原理と効果をよく理解してからにしろ。もしそいつがお前を殺すつもりで、お前自身の命を対価に発動させる魔法を使っていたらどうするつもりだったんだ」
言われてみれば、その可能性も十分にあり得たと思います。あの時は何も考えられなかったとは言え、少し不用心過ぎたかもしれません。
振り返りながら反省しているところへ、シリア様の声が聞こえてきました。
『いや、その心配には及ばぬ。現れたのは大神様じゃ』
「シリア様!?」
声のする方を見ると、私の足元で大きく伸びをしているシリア様がいらっしゃいました。
「今までどちらにいらっしゃったのですかシリア様! 私、殺されてしまうかと怖かったのですよ!?」
『妾とて好き好んで姿を出さんかった訳では無いわ、このたわけ! そ奴のそれのせいで神性を持つ妾は封じられておったのじゃ。おかげで肝を冷やしながら見守り続けるしか無かったぞ』
逆上するかのように言うシリア様に、エルフォニアさんが首を傾げます。
「それはおかしいわね。さっきの魔力の高まりは、シリア様の魔力がシルヴィに取り込まれたから起きたものだと思っていたわ」
『阿呆。妾の力が取り込まれようものなら、妾はこうして顕現できぬ。妾の魔力はシルヴィの物とは別にあるぞ』
「ではシリア先生、先程の魔力は一体なんだったのでしょうか」
『これは仮説じゃが……。シルヴィが手にした【制約】という力自体、厳密には【制約】では無かったのやも知れぬ。【制約】は何かを代償とすることで強大な力を得ることができるが、それはあくまでも個の力を増幅させるだけの限定魔法に過ぎん』
シリア様はそこで一旦言葉を切り、説明を続けます。
『じゃが、シルヴィが妾の物では無い神の力を得ていたと言うことは、妾以外の神と“契約”を交わしていた可能性が高い。その説でいけば、神が提示する条件の中に“一切の攻撃を禁じる”という項目があったが故に、攻撃ができぬ代わりに加護を得ていたと説明が付く。――して、命の危機に瀕した本能が神の力を取り込み、魔力を覚醒させた。といったところか』
「ま、待ってくださいシリア先生!! それでは【慈愛の魔女】は、人では無くなってしまっているのでは!?」
『うむ。今のシルヴィは、どちらかと言えば神に近しい存在になりつつある。神の座に至った妾でさえ、大神様より賜った神力を取り込んだのは肉体を捨てた後じゃった。それを生きている状態でこなしてしまった以上、人であると言い切ることができるのか分からぬ』
そう言えばあの女性……大神様も、似たようなことを言っていた気がします。“成ってしまった”ことで、私はこの世界で一番大きな力を持つ者になってしまったと。
「シリア様。私は、どうなってしまうでしょうか」
『妾が大神様の力の一部を取り込んだ時に言われたのは、神力を行使しようものなら人の身では器が耐えられぬという説明じゃった。じゃが、お主は神力を引き出して行使することができる。となれば、恐らくはお主はその器なのじゃろうよ』
シリア様は私の肩に飛び乗り、くふふと笑いながら続けました。
『此度の騒ぎが落ち着いたら、妾が大神様に聞いてきてやるが故、気にせんでもよい! それよりもまずは、地下のいずこかに囚われておるセイジを探さねばなるまい?』
そうでした。立て続けに色々とあったせいで忘れそうになっていましたが、ここへ来た目的はセイジさんの救出です。
その言葉に頷いたエルフォニアさんが床に杖の柄を突きつけ、魔力を流し込み始めました。しばらくすると、閉じられていた瞳を薄っすらと開いて教えてくださいました。
「この階にはいないわ。でも、ひとつ下の階に誰かがいるわね」
『ならばそれを探しに行くとするかの。ほれ、走るぞシルヴィ!』
「えぇ!? ま、待ってくださいシリア様ぁ!」
エルフォニアさんの先導で駆けだし始めた皆さんの後を、疲労困憊の体に鞭を打って追いかけていきます。セイジさん、もう少しで助けに向かいますからね……!




