34話 魔女様は覚醒する(後編)
私はその言葉に、即座に返答することはできませんでした。
塔の外は、確かに不条理な出来事がとても多く、常に命の危険が付きまとう世界だとは思います。
例えば、私が森に初めて来た時。あの時も、駆けつけるのがあと一時間でも遅ければ、村の方々は月喰らいの大熊に殺されてしまっていたでしょう。
例えば、レナさんが襲ってきた時だってそうです。あれはフローリア様の冗談でしたが、私が偶然神力を引き出すことができなければ殺されていたかもしれません。
例えば、レオノーラと出会った時もそうです。レオノーラがシリア様と接点があり、私にシリア様の血が流れていると気が付いたから特に大事にはなりませんでしたが、仮に私が普通の女の子だったら口封じに殺されていた可能性だってあり得ます。
そして今回、私の名を魔術師の方が騙り、犯人に仕上げれらたこと。
力が無ければ力のある者に命を奪われ、力があればそれを利用される。本当に、不条理な世界だと思います。
「シリア様は仰っていました。塔の外の世界では、全てが楽しい事だけとは限らないと。そして実際に生きてみて、色々な苦労があると学びました。この世界は本当に毎日が大変で、生き抜く術や力を持たない人はすぐに殺されてしまうくらい、弱肉強食の世界です。……ですが」
シリア様と出会えて、世界の広さを知ることができました。
エミリと出会えて、家族の温かさを知ることができました。
レナさんと出会えて、信じあう友達を知ることができました。
フローリア様と出会えて、家族はいつも信じあい、助け合うものと知ることができました。
メイナードと出会えて、力を持つ者の矜持を知ることができました。
塔の中で生きてきた私には、何もありませんでした。日々に絶望し、閉ざされた未来には涙も枯れ、ただただ終わりを待つだけの空虚な人生でした。
そんな私の人生に彩を添えてくれたのは、間違いなくこの世界で触れ合うことができた人たちのおかげなのです。
痛む体を正し、胸に手を当てながら真っ直ぐに女性のシルエットを見据えて答えます。
「あの塔の中から出なければ、得られないものが沢山ありました。家族、友達、そして自由。それらを手に入れられてから私は、どんなに毎日が大変だとしても、毎日が幸せでいっぱいです。私は、この世界が大好きです」
私の返答を受け、しばらく考え込むような動きを見せていましたが、やがて頷くと言葉を掛けて来ました。
『貴女はこの先、とてつもない苦難に襲われる運命にあります。それは、この平穏な世界を揺るがす程の規模であり、神々さえも巻き込むものになる。それでも貴女は、手にした幸せを手放さずに護り抜けますか?』
「私には、あなたが何を示唆しているのか全然分かりません。ですが、なんとなくですが。あなたは私の未来を知っていて、こうして問いかけてきているのだと思います」
私がこれから進む未来が、どうなるかなんて想像もできません。
ずっと森の中で楽しく暮らしていけているかもしれませんし、そうではないかもしれません。
それこそ、彼女が言うようにとんでもない出来事に巻き込まれているのかもしれません。
ですが、これだけは確信を持てます。
「どんなことが起きようとも、私は大切な家族を護り抜いてみせます。いいえ、家族だけではありません。私と友達になってくれた人も、私に関わってくれている人も、みんなです」
『……そうですか』
彼女は感情の読めない声色でそう言うと、私に向けて手を差し出してきました。すると、徐々にその手の上に光が収束し始め、その光は赤い宝石の付いた小さなネックレスへと変わりました。
『では、これを肌身離さずに身に纏いなさい』
「これは、何でしょうか」
『覚醒した貴女の力を抑える魔道具、とでも言いましょうか。今の貴女の魔力は、貴女が【制約】と呼ぶものから得た力と完全に同調し、この世界で一番強大となってしまいました。故に、貴女がただ歩くだけで魔力に耐性の無い者は即座に意識が刈り取られてしまいます』
「そ、そうなのですか!?」
『ですのでこれを身に着けておけば、少し強い魔力を持っている程度に抑えることができます。逆に、魔力を誇示したい時には外せば良いでしょう』
受け取ったネックレスをすぐに着けると、その女性は頷いて見せました。
『では、そろそろ私も戻るとします。貴女の人生と言う名の旅路に、祝福があらんことを』
そう言い残し、女性のシルエットは徐々に光の粒子となって消えていきました。残されたのは、私と塔だけです。
これはどうしたら……と戸惑っていると、頭の中に先ほどの声が聞こえてきました。
『あぁ、言い忘れていました。今貴女がいる場所は、貴女が先ほど紡いだ魔法によって作られた疑似空間結界です。“閉じよ”と唱えればいつでも帰れますよ』
「あ、ありがとうございます」
『それと、塔に幽閉された彼はもう死んでいます。なので、魔法を解いて襲われると言うことはありませんよ』
「死んで、しまったのですか……?」
『えぇ。常人には、貴女が味わってきた孤独と絶望、そして死ぬことも許されない世界には精神が耐えきれません。魔法と神力を無効化と彼は言っていましたが、これは結界内に捕らえた対象の精神へ作用する物ですので、無効化の対象外なのですよ』
「精神に、作用する魔法……」
『えぇ。私が手ほどきしたとは言え、貴女が行った魔法はシリアですら到達できなかった“心境世界の再現”だと言うことを覚えておいてください』
突然出てきたシリア様の名前に、先ほどのシルエットの女性はもしかしたらシリア様のお知り合いの方なのかもしれないと疑問が浮かび上がってきました。
それを尋ねようとした私よりも先に、あの声が言葉を続けます。
『シリアには苦難や葛藤、後悔は人の倍以上はありますが、絶望することは無かったのです。あの子は本当に心が強く、何が起きても挫けることがありませんでしたから。故に、空間の疑似構築は出来ても、こうした追憶の世界を再現するという領域にまでは至れなかったのですよ』
シリア様ですら使えない魔法を使ってしまったという事実と、意図せず人を殺めてしまったという現実に何も言うことができずにいると、彼女は最後に付け足しました。
『この世界は残酷です。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの二択しかありません。なので、あまり気を病まないように。レナにも、よろしく伝えておいてくださいね』
「待ってください! あなたはシリア様やレナさんをご存じなのですか!?」
私が問いかけても、もうその声が言葉を返すことはありませんでした。




