32話 魔女様は踊らされる
「アン・ドゥ・トロワ! アン・ドゥ・トロワ!」
掛け声と共に繰り出される重い一撃を、ギリギリで躱し続けます。そのまま後退させ続けられるかと思いきや、今度はマリアンヌさんが場所を入れ替わり、反対側から攻めてくるので、私は意図せず彼に踊らされているような形になってしまっています。
「ほらほら! どんどん動きが遅くなってるわよぉ? 死んじゃってもいいのかしらぁん!?」
「はっ、はっ……あぐっ!!」
避けるので精一杯なんて言えません。こうして時折、隙を狙われて打撃を撃ち込まれ、何度も壁に激しく叩きつけられている私の体は、既に限界が近い状態です。
ですが、だからと言って休ませてもらえるはずも無く、苦痛に歪む私の顔を潰さんと彼の足の裏が迫ってきます。横に転がって体勢を立て直すと、再び彼の言う死の舞踏が再開させられます。
疲労と痛みで体が上手く動かず、足をもつれさせた私の隙を、マリアンヌさんが的確に狙ってきました。それを防ぐべく、神力を込めた結界を展開するも。
「無駄よ、むーだっ! 神の加護も魔法も、アタシには利かないって言ってるでしょぉ!!」
「嘘――あぁ!!」
何故か神力が無効化されてしまい、通常の結界となってしまったそれは容易く砕かれ、私の体が掌底を受けて吹き飛ばされました。結界からのフィードバックと体に受けたダメージにむせながらも、何とか立ち上がりながら彼の攻撃に備えます。
魔法は彼には効きません。【制約】の加護も無効化されています。
さらに言えば、神力を用いた結界ですら彼に砕かれてしまいました。
今の私には、彼への有効な手立てがひとつも残されていません。
「あらやだぁ、ダンス中に考え事何てダメ――よっ!!」
「くっ!!」
間一髪で上体を反らし、顔を狙った回し蹴りを避けることができました。しかし、蹴りの風圧で帽子が弾き飛ばされてしまいます。
すかさず距離を取る私へ、マリアンヌさんはふと言いました。
「シルヴィちゃん。アナタ、目の色が左右で違うのね」
「はぁ、はぁ、生まれつき、でして……!」
「水面を移すような綺麗な右目。燃え上がるような情熱を込めたルビーの左目。んっふ、とっても素敵だわぁ」
私にとっては、シリア様の血を現す左目のせいで幽閉されてしまっていたので、未だにこの目を好きにはなれません。ですが、レナさんやエミリ、レオノーラは口を揃えて「綺麗」と言ってくれました。
この目をいつか、受け入れて誇ることができるのでしょうか……と、乱れた前髪で隠し直していると。
「隠さなくていいのよぉ。アナタのその瞳の色、希望を捨てない輝き、とぉっても気に入っちゃったわ!」
彼は舌で唇を舐め、背筋が凍るような顔で言い放ちました。
「体はボスに持ってかれちゃうから使えないのが残念だけど、その目はあたしが毎日舐めまわして……ア・ゲ・ル」
その発言に、私は恐怖で言葉も出ませんでした。
この人が纏う狂気に完全に気圧されてしまい、体が言うことを聞いてくれません。
先ほどのレギウスさんも似たようなことを言っていましたが、私の体を彼らは欲しているようにも見えます。彼らは私をどうするつもりなのでしょうか。
混乱と絶望に立ち尽くす私の体を、再び鈍い痛みと共に衝撃が襲います。どうやら、お腹を強く蹴り飛ばされたようです。
床を数度跳ねながら転がり、痛みに喘ぐ私へ、マリアンヌさんが一歩ずつ迫ってきます。
私は本当に、ここで死んでしまうのでしょうか……。
自分で死に場所は選びたいと願った力でさえ、彼に対しては一切の無力でした。
魔術師には魔法が効かないからと使えるように練習した神力さえも、彼の力で封じられ砕かれました。
「シリア様……」
何故、私に応えてくださらないのですか。
いつも傍にいてくださって、何があっても護ると約束してくださったではありませんか。
「どうしてですか、シリア様……」
それなのに、先ほどのレギウスさんと対峙した時もそうです。
傍にいたはずのシリア様はいつの間にかいなくなっていて、私は一人になっていました。
「助けてください、シリア様ぁ……!」
魔王城に連れていかれた時や、シリア様のみが魔導連合で調べ物をされていた時には感じられていた魂の繋がりが、今では全くと言って良いほど感じられず、塔を出てから一人きりになることが無かった私の心を、強い孤独感が襲います。
ひんやりとした石畳は私の体温を奪い、迫る足音は私を死に誘う死神かのようにも思えます。
怖い。痛いのは嫌。死にたくない。
誰かを傷付ける人がいない、穏やかな世界で生きていたかった――。
絶望に染まる思考がそれを思い浮かべた瞬間、世界が止まったような気がしました。
聞こえるのは、私の荒い呼吸と嗚咽だけです。視線を動かしてマリアンヌさんを探すと、彼はまた一歩踏み出そうとしたままの姿勢で微動だにしていませんでした。
それどころか、彼の肩元の壁に掛けられていた蠟燭の火ですら動きを止めています。
「なに、が……」
痛む体を起こしながら周囲を見渡すも、やはり私以外の物が動いていません。
困惑する私の頭に、誰かの声が響いて来ました。
『遂に、成ってしまいましたか』
もしかして、新しい魔術師の攻撃でしょうか!?
慌てて集中し直し、気配を探ろうとするも、それらしき気配は感じられません。
いえ、それどころか。
懐かしさを感じさせるような、優しく包まれるようなこの感覚は、一体……。
『新たな可能性に目覚めた貴女へ、祝福を贈りましょう』
「だ、誰ですか!?」
聞き覚えの無い、穏やかな女性の声に問いかけるも、その声の主は私の問いには答えませんでした。
『死にたくないのならば、願いなさい。生きたければ、唱えなさい』
「願う……唱える……?」
『杖を構え、私の言葉を復唱しなさい。始めますよ』
よく分かりませんが、本能が従うべきだと告げていますし、声の言う通りにしてみましょう。
左手で杖を構え、それに手をかざしながら続きを待ちます。
『我は願う。我が生に大いなる祝福を』
「我は願う。我が生に大いなる祝福を」
『我は求める。我が翼を遮る物のない自由な世界を』
「我は求める。我が翼を遮る物のない自由な世界を」
『我は拒む。我が生を奪わんとする悪しき者を』
「我は拒む。我が生を奪わんとする悪しき者を」
『故に、我はここに紡ぐ』
「故に、我はここに紡ぐ」
そして、次の言葉を待つよりも早く、私の口から呪文が流れ出ました。
「眠りなさい、幽閉されし終焉の塔で」




