22話 魔女様はイカに襲われる
海の心地よさを堪能しながら、少し離れたところでかなりの速さを保ちながら泳いでいる彼女達にゆっくりと近づいていくと、私に気が付いたフローリア様が泳ぎ寄ってきました。
「あら~! シルヴィちゃん浮き輪で泳いでるのね! どうどう? 少しは泳げるようになったかしら?」
「レオノーラに教えて頂いて、少しだけ泳げるようになりました。フローリア様達は何をして遊んでいるのですか?」
「んふっ! ちょうど今ね、誰が一番早く泳げるかを競っていたのよ~。やっぱりレナちゃんがダントツで速いけどね!」
流石はレナさんです。彼女の身体能力には目を見張るものがありますが、それは海でも変わらなかったのでしょう。
フローリア様に浮き輪の紐を引いていただきながら、レナさん達がゴール地点としている光魔法で作られたゴールラインへと移動していると、かなり遠くから激しい水飛沫を上げながら凄まじい速度でこちらへ向かってくる小さな影が三つありました。
「驚きました。エミリも同じくらい速く泳げたのですね」
「そうよ~! エミリちゃんは最初は犬かきだったんだけど、レナちゃんにクロールのやり方を教わると、レナちゃんに負けないくらい速くなっちゃったの! 若い子って凄いわね~!」
可愛い妹の成長を微笑ましく思いながら、彼女達の到着を待ちます。
遠くから泳いでくる人影を見ている中、私は妙な違和感を覚えました。
「フローリア様。今泳ぎを競っているのはレナさんとスピカさんとエミリですよね?」
「そうよ~?」
「あの、彼女達の後ろにもうひとつ影が見える気がするのですが」
「え~? どれどれ?」
フローリア様にも分かるように、小さくも徐々に姿が近づいてくるその影を指で示します。
あれは何なのでしょうか? 人にしてはレナさん達のように手足を出さずに移動していますし、頭の形が三角形の頂点のようにも見えます。
やがてくっきりと見えてきたレナさんは、私達を見て大声を張り上げました。
「シルヴィ!? フローリア、シルヴィ連れて、ダッシュで逃げて!!」
「え、何? どういうことレナちゃん?」
フローリア様が聞き返す間にも、レナさんは物凄い速さで私達の横を通り抜けていきます。それに続くようにエミリ達も通り抜けていき、私達は何が起きているのかも分からないまま取り残されてしまいました。
二人で顔を見合わせて首を傾げていると、彼女達が泳ぎぬけてきた方向から大きな影が私達を覆いました。
影の差した方を同時に見上げると。
「な、何ですかあれは!?」
「きゃああああ! イカのお化け~!!」
首が痛くなるほど見上げても全身が見えないくらい巨大な、イカのような魔獣がそびえ立っていました。ギョロリとした大きな目玉が私達を見下ろし、本能的な恐怖に襲われた私は一目散に逃げだします。それに続くようにフローリア様も泳ぎだし、あっという間に私を置いてどんどん逃げていきます。
「フローリア様!! 置いて行かないでください!!」
「あんなウネウネに捕まりたくないんだも~ん!!」
レナさんに一緒にと言われたではありませんか!
そう文句を言いたくなる気持ちを抑えて懸命に泳ぐも、泳ぎを教わったばかりの私よりも彼女の方が圧倒的に早く、その後ろ姿が遠くなりかけていた時でした。
バタつかせていた私の左足が、若干滑り気のある何かにグイっと引っ張り上げられ、私の体が宙吊りになりました。
「きゃあああああああ!?」
浮き輪が体からするりと抜け落ち、かなりの高さまで持ち上げられた私は、自分の足がイカの足に捕まっていることを察しました。イカは私を逃すまいともう片足も絡め取り、自分の顔の前に私の体を持ってくると、その大きな目玉を忙しなく動かして私の全身を観察します。
その動きに気味悪さを覚えてしまい、杖を取り出して抵抗を試みることにします。この大きさなので効果が出るかは分かりませんが、拘束魔法の準備を始めるために杖先へ魔力を込めた瞬間。
イカはそれを妨害するためか、私の顔に真っ黒なイカスミを吐きつけてきました!
「わぷっ!?」
咄嗟に目を瞑ることができたので目の中には入りませんでしたが、少量口の中に入ってしまい、行儀が悪いことは承知で吐き出します。しかし、その少量のイカスミが口から全身に掛けて麻痺毒のような痺れを誘発させ、私は全身に力が入らなくなってしまいました。
杖を握る力も弱まり、手の中から杖が水面へと落ちて行ってしまいました。どこに落ちたかも、目を開くことができないため確認ができません。急いで浄化魔法を発動させて麻痺は取り除きますが、視界が塞がれたままであることには変わらず、手で擦ってもなかなか拭うことができないでいます。
これはマズいのでは……と今置かれている状況に危険を感じ、大きな声で助けを求めます。
「シリア様ぁ!! レナさーん!! フローリアさ……ひゃあああああ!?」
私の叫びに驚いたらしいイカは、私の体をぶんぶんと振りながらその手足を暴れさせました。縦横無尽に振り回される感覚に、だんだんと気持ち悪さが込み上がってきます。
そんな時、私の近くでレオノーラの声が聞こえました。
「シルヴィ! 今助けますわ!!」
位置的に彼女は空にいるのでしょうか。私の斜め上前方にレオノーラの魔力を感じ、助けに来てくれたことを安堵していると、突然私の体が捕まった状態で自由落下を始めました。
私は声にならない叫びを上げながら落ちていき、体を強張らせます。この高さから海面に落下したら無事ではいられないかもしれません……!
自由落下を始めて数秒。今度は斜め下から、誰かの腕に抱えられる感覚が私を襲いました。
「ごめんねシルヴィ! 遅くなったわ!!」
「レナさん!!」
声の主はレナさんでした。結構な高さだったとは思いますが、何らかの方法で私を空中で受け止めてくれたようです。
「ちょっと勢いよく海に入るから、鼻を摘まんでおいて!!」
レナさんの指示に、私はぎゅっと自分の鼻を摘まんで入水に備えます。それから間もなく、私達は強い衝撃を受けながらも海の中へと沈みました。
 




