16話 魔王様は恩返しをしたい
スピカさん達の魔族領での作物育成が本格化して早一カ月。
森の中は猛烈な夏の歓迎を受けていて、昼は日差しがキツく、夜は蒸し蒸しとした空気に襲われる時期が訪れています。
そんなうだるような猛暑の日の事でした。
いつも通り診療をしていた私の元へ、突然レオノーラがお忍びで訪れ。
「シルヴィ! この前の橋渡しの件でお礼をさせてくださいませ!!」
と言い出したのです。
ポーションの残数や、今日来た午前中のお客さんの数をエミリと計上していた私は、涼し気な青いキャミソールワンピース姿のレオノーラに首を傾げます。
「お礼、ですか?」
「えぇ! 貴女のおかげで少しずつですけど、魔族領にも野菜が出回るようになりましたの。何故かは分かりませんが、あの地で作った野菜は他の地域に運んでも痛まないので、根野菜の育成も困難な地域でも野菜が食べられるようになって、皆ありがたがってますのよ?」
「それは良かったです」
「そこで、魔族からのお礼として……魔族領にある海でバカンスを楽しんでいただこうと思いますの!」
バカンス。単語は塔にあった本で見たことがあります。確か、長期休暇を取って羽を伸ばして遊びに行くといった意味合いの言葉だったと思います。
と言うことは、私達へ休みを取って遊びに行きませんか? というお誘いでしょうか。
「すみませんレオノーラ。お誘いはとてもありがたいですが、長期期間この診療所を不在にする訳にはいかないので」
私が断ると、レオノーラは両手を腰に当てて、体全身でがっかりしたと表現しました。
「本当に、貴女という方は生真面目が過ぎますわね。この森に張り巡らされている大結界があって尚、何を心配していると言いますの?」
「結界の心配もありますが、この森に住んでいる狩猟民族の方は日々怪我が絶えないので」
「たった三日ですわよ? それこそシルヴィが作っているというポーションでどうとでもなりませんの?」
「ポーションの数にも限りがありますし、私自身そこまでポーションの効果を過信していないので、できれば私自身が診てあげたいと思います」
私の言葉にレオノーラが何か言おうと口を開いた時でした。ちょうど二階から降りてきたシリア様とフローリア様が、私達を見て問いかけてきました。
「あら? こんにちは魔王ちゃん! 今日はどうしたのかしら?」
『どうせ暇を持て余してシルヴィの邪魔でもしに来たのじゃろ。帰れ帰れ』
「そんな邪険にしないでくださいまし! 今日は先日のお礼にと魔王である私が直々にこうして話を持ってきておりますのに!」
『礼じゃと?』
シリア様の疑問に、私が頷いて答えます。
「レオノーラが魔族領の海へバカンスの招待をしてくれているのですが、私としては長期間この診療所を空けるのが不安なので断ろうかと思っていたところでして」
「たった三日で良いんですのよ? それ以上は私も日程の都合がありますからご一緒できませんが、せっかくの夏を楽しむには悪くない休暇ではありませんこと?」
私達の主張を聞いたシリア様は、私とエミリが書き物をしていたテーブルへひょいと飛び乗って座り、レオノーラの言葉を吟味するように腕組みをして考え始めました。
一方でフローリア様は、エミリの頭を撫でながらニコニコと笑みを浮かべながら言います。
「いいんじゃないかしら? シルヴィちゃんもレナちゃんもここの所ず~っと頑張ってた訳だし、ちょっとくらい遊んでも誰も文句言わないわよ」
「ふふっ! フローリア様はお話が通じる方で嬉しいですわ! どこかの自称女神の猫とは大違いですのね」
『貴様、今すぐ叩き帰されたいならそう言うがよい。じゃが、妾としてもここらで休暇を挟んでも悪くは無いかとも考えておる』
「あら、シリアにしては優しいではありませんの。昔の貴女なら、やれ探究がー魔法の実験がーと一切付き合おうとすらしませんでしたのに」
レオノーラの発言を受けたシリア様は、それを鼻で笑い飛ばして言葉を返します。
『昔は昔、今は今じゃ。それに、当時は妾の研究が最優先じゃったが、今はシルヴィ自身の成長が最優先事項じゃ。昔の妾のように、根詰めて人間を辞めるような道は辿って欲しくはない』
「うふふっ! 当時、大魔導士と恐れられていたのは貴女一人でしたものね」
『昔の話をするでないわ、たわけが』
私はレオノーラの言葉に、少し引っ掛かりを覚えてしまいました。
以前私が魔女になる際にシリア様が軽く話してくださった時には、魔女や魔導士は人間から重宝されありがたがられる存在だと伺っていましたが、今の話ではまるでシリア様しか大魔導士がおらず、それも恐れられていたように聞こえてしまいます。
「シリア様、大魔導士が恐れられていたというのは一体……」
『ん? いや、気にするでない。そういう時期もあったと言うだけじゃ』
「まさかシリア、貴女シルヴィに伝えていませんの?」
『黙っておれ。何事にもタイミングと言うものがある。今はその時では無いと言うだけじゃ』
「もう、昔から貴女はそうやって……」
どうやらレオノーラも知っている何かは、彼女達の間では共通認識のある何かのようです。ですが、シリア様が教えてくださらない以上、まだ私が知る必要が無いという内容なのでしょう。
少しだけもやもやとしてしまいますが、今は聞かなかったこととしてバカンスの話に戻すことにしましょう。
「すみません、話を脱線させてしまいました。シリア様としては、レオノーラの提案はいかがでしょうか?」
『そうじゃな……。森自体はこの前組み上げた大結界がある限り、余程の奴が現れぬ限り結界の内部には入りこめぬし、内部にいる大型は外へと逃げておるから心配はないじゃろう』
言われてみれば、ここ最近は獣人族の皆さんからも「大型の魔獣が出た」と言うような話は聞かない気がします。
もしかしたら、結界の効果がしっかりと出ているのでしょうか。
『それに、お主が懸念しておるペルラ達も何かあれば獣人連中やゲイルを頼るじゃろうし、奴らもそこらの魔獣に手を焼くような非力な者でもない。幾ばくかポーションを渡しておけばケロッとしておるじゃろうよ』
そこでシリア様は言葉を切り、私を見上げながら続けます。
『たまにはお主も遊ぶことを覚えた方が良い。せっかくの招待じゃ、鍛錬や診療所を忘れて羽を伸ばすとするかの』
「……分かりました。シリア様がそう仰るならば、皆さんのためのポーションを作り置きすることにします」
『うむ。三十本もあれば十分すぎるくらいじゃろうて。して、レオノーラよ。この招待はどれほどの人数を呼べるのか?』
話を振られたレオノーラは、「そうですわね」と顎に指を当てながら視線を宙で彷徨わせます。
「特に考えておりませんわ。もしシルヴィが呼びたいお客人がいらっしゃるならば、程度は歓迎いたしましょう」
『ならば、連合の魔女を連れて行っても構わぬな? 主ら魔族としても、今後はある程度連合と関わりを持てる方が都合がいいじゃろう』
「えぇ、そうですわね。長いこと暗黙のルールで関りを絶っていましたが、これを機に交流が持てるなら幸いですわ」
『では、何人か妾も信頼を置く者を連れて行こう。当日の運びはまた追って連絡を寄越すが良い』
「分かりましたわ――って、なんで貴女が仕切ってますの!? 私はシルヴィを招待しておりましてよ!?」
『シルヴィだけでは判断しきれぬから、代わりに取り纏めておるのじゃろうが。そのようなことも分からなくなっておったか、このボンクラは』
「ぼっ……!? い、言うことに欠いてそのようなことを! いくら旧知の仲と言えど、言って良いことと悪いことがございましてよ!?」
『んにゃっ!? や、やめんかっ!! 首を掴むでない! 離さんかこの阿呆!!』
「本当に口の悪い猫ですこと!! そんな猫はこう――痛っ! 貴女今、本気で引っ掻きましたわね!?」
目の前でじゃれ合い始めてしまったお二人を見ながら、先ほどまでの話を頭の中で軽く纏めます。
まずは三日間、診療所を空けるためのポーション作りが必要です。それと、魔導連合で呼んでも大丈夫そうな方への声掛けと、当日までの荷造りも忘れずにやらなければいけません。
少し忙しくなりそうですねと考えていると、ずっと会話の様子を見守っていたエミリが私へ尋ねてきました。
「お姉ちゃん、どこか行くの?」
「えぇ。レオノーラ……魔王様のご招待で、皆で海へ遊びに行くことになりました」
「海!? わたし見たことない!!」
瞳を輝かせたエミリに、フローリア様が何かに気が付いたような顔をされました。
「あら、じゃあエミリちゃんは水着は持って無さそうね。そう言えばシルヴィちゃんも水着はあるかしら?」
「みずぎ、とは何でしょうか?」
「えっとね~、水の中に入っても透けないし重たくならない専用の服、って言えばいいかしら?」
「初めて聞きました。そのような服があったのですね」
「んふっ! レナちゃんの世界のお洋服なんだけどね! じゃあ当日までにシルヴィちゃん達の水着を用意しておくわね!」
「はい。ありがとうございます、フローリア様」
「わたしも!? ありがとうございますフローリアさん!」
「いいのよ~! とびっきり可愛いのを選んできてあげるから、楽しみにしててね!」
嬉しそうなエミリを撫でながら言うフローリア様。
私も異世界の服に興味が無い訳では無いので、どのようなものなのか心待ちにしてしまいました。




