4話 魔女様は大結界を張る
森の各地を回りながら要となる大樹や大岩に魔力を刻む作業を終え、家に戻ってくる頃には夕方になってしまっていました。今までは西のペルラさん達の酒場から南東の獣人族の村、そして北東のハイエルフの集落以外の道を知らなかったので、私達が住んでいる森はこんなにも広かったのですねと、改めて思わされる一日でした。
家に帰って、本番となる大結界は明日やるものと思っていると、エミリから降りたシリア様が私に告げました。
『これ、何を今日は終わりじゃと言うような顔をしておる。これからが本番じゃぞ?』
「え、これから大結界を張るのですか?」
『当たり前じゃろう。各地に刻んだ魔力は、明日には効果が薄れ始める。今日の内に済ませんとまた回る羽目になるぞ?』
「分かりました。では、どうやって結界を張れば良いか教えて頂けますか?」
『うむ。じゃが、その前に作るものがある故、少し待っておれ』
シリア様はそう言うと、家の裏手の方へと向かって歩き始めます。私もエミリから降りて後に続くと、シリア様は家の小さな裏庭の中央で何かを探すようにうろうろと歩き回っていました。
やがて、ちょうど良さそうな場所を見つけたらしいシリア様は、『ここじゃな』と呟きながら地面を叩くと、シリア様が叩いた地面がモコモコと盛り上がり始め、少しずつ山のように積み上げられていきました。それは波打ちながら蠢き続けていましたが、徐々にですがひとつの形になるように動きを変えています。
動きを見守り続けること数分。動きを完全に止めた土で作られたものは――。
『うむうむ。まぁこんなもんじゃろう』
「何とも愛らしい猫ですね」
「わぁ! 猫ちゃんが剣持ってるー!」
エミリの言う通り、天高く剣をかざしている騎士のような猫の泥人形でした。その大きさは、土台を含めるとエミリの胸元くらいまであります。
愛嬌のある表情に微笑ましい気持ちになっていると、シリア様は仕上げと言わんばかりにそれに触れます。すると、触れられた先から金属のような光沢を持ち始め、泥人形は銀で出来た彫像のようになりました。
『これでよし。シルヴィよ、これを要としてお主の魔力を刻むのじゃ』
「はい」
騎士猫の像に触れ、ひんやりとした表面から私の魔力を流し込みます。魔力を流し込まれた像は、これまでの要となった物と同じように、薄紫色に発光を始めました。
『もうよいぞ。では、次じゃ』
像への魔力注入をやめ、シリア様からの指示を待ちます。
シリア様は可愛らしい前足で騎士猫の像を示しながら、言葉を続けます。
『その像に触れ、お主が護りたいと思う対象を思い浮かべながら、お主のありったけの魔力を込めて結界を展開せよ。細かな調整は妾の方でやる』
「分かりました。結界はひとつで大丈夫でしょうか?」
『うむ。と言うより、結界は基本的に一枚しか張れんよ。お主がイレギュラーなだけじゃ』
またしても異例扱いを受けてしまい、何とも言えない気持ちになります。やはり、それほど【制約】の恩恵は大きかったのでしょう。
私はシリア様の言葉に頷き、目を閉じて結界の準備を始めます。
私がこの森で護りたいもの。大枠で言えば、この森の全てです。細かく見るのであれば、私の家や獣人族の村、ハイエルフの集落、ペルラさん達の酒場でしょうか。あとは、そこに住んでいる皆さんたちの事も護ってあげたいと思います。
それに、私の大事な家族であるシリア様やエミリ。大切な友達のレナさんとフローリア様。彼女達の事も護りたいです。
もう二度と、私のせいで誰かが傷付くのを見たくはありません。
そのためにも、私が使うことのできる魔力を全て使ってでも、この結界を強固なものにしなければいけません。
護りたいものへの想いと魔力を込めて、これまでに無いくらい高密度なひとつの結界を編み上げます。
集中して結界の準備をしていると、シリア様が注文してきました。
『シルヴィよ。お主が護りたいものを害する者が現れた時に、お主に報せるようなイメージも頭の中で思い描くのじゃ。さすれば、万が一の際にもお主が気付くことが出来る』
シリア様からの言葉を、頭の中で思い描きます。外敵となるのは、魔獣がそうでしょう。敵意のある魔獣が現れた際には、確かに報せてくれると有難いかもしれません。
そう思うと同時に、ふと塔が脳裏に浮かびました。
……確かに、私を塔に幽閉した王家は、ある意味では外敵になり得るかもしれません。その理論で行くと、念のため王国の人は私の敵と見なしておくべきでしょうか。
まだ出会ったことも無い方々を敵と判断するのは少し心苦しいですが、少なくともこの森の中にはいない訳ですし、何らかの目的で現れた際には対策が打てるようにしておくべきでしょう。
ある程度頭の中でイメージが固まった私は、目を見開いて結界を展開させます。
それは騎士猫の像を通して発動し、薄紫色の光の柱が天高く立ち昇りました。そして空中で六方向へと分散し、私達が日中で回った方角へと光の筋が伸びていきます。
伸びていく先を見ると、私が魔力を刻んだ要がある場所からも同じような光の柱が昇っていて、そこに辿り着いた光の筋は他の要の柱へと、再度光の筋を伸ばしながら進んでいきます。
それを眺めていたシリア様は、嘆息しながら感想を零しました。
『相変わらず、呆れるほどのデタラメ加減じゃな。よもや、一種の結界に三つも効果を付与させるとは思いもせんわ』
「三つですか? 私は二つのつもりだったのですが……」
『ならばひとつは、お主の深層意識によるものじゃな。妾から見たこれは、森全域の守護と外敵の検知に加え、検知後の遮断が付与されておる』
「遮断、ですか」
『うむ。恐らく、発動条件はお主にとって敵となる者が現れた時じゃ。結界に近づかれた際にお主に報せ、その周辺をより強固なものへ強化して侵入を拒むようになっておる。ほんにお主は規格外を成すのが得意じゃな! くふふっ!』
楽しそうに笑うシリア様に愛想笑いを返すと、シリア様が言葉を続けました。
『さて、この先は妾が調整しよう。お主とエミリは先に家に入り、夕食の支度をしておれ』
「分かりました。よろしくお願いします、シリア様」
『任せよ。あぁ、まだ献立が決まっておらぬのならば、妾は鳥肉が食べたい気分じゃ』
「ふふ。では、今晩は鳥肉を使ったものをご用意しますね」
『くふふ! 楽しみにしておるぞ』
シリア様は騎士猫の像の頭に乗ると、集中して私の結界に干渉を始めました。
ここにいて邪魔してしまってもいけませんし、言われた通り夕飯の支度をすることにしましょうか。
「エミリ、晩御飯の準備を手伝ってくれますか?」
「うん!」
私はシリア様に小さく頭を下げ、エミリの手を引いて家の中へと戻ることにしました。




