五話:恋の悩みと学園探索
次の日の昼休み。愁は学園の図書室にいた。
昨日休み時間の時にあった麻野との約束をふと思い出し、また叱られる前に急いで昼食を食べてやって来た。
とは言うものの、
「・・・・・利用者無しって言うのは、ちょっとばかし悲しいものだな」
貸し出しの受付にだらんとしながら呟く。
現在、この図書室にいるのはだらしなくしている愁と、少し奥の方で本の整理をしている麻野の二人しかいない。
「仕方ないじゃないですか。此処は年中、いっつもこんな状態なんですから」
「それは分かるけどさ・・・・・それにしたって人が来なさすぎるんじゃないか?」
「確かにそうなんですけどね。でも、別に変える必要もないと思うんですけどね」
整理を終えた麻野が小さく笑ってそう言うと、愁も「そんなもんかねえ」と疑問を口にする。
なんだってこんなに人がいないんだか・・・・・。なんて心の中で呟いてみるが、理由などと言う物はとっくに分かりきっているものだった。その理由の一つとして挙げるとすれば、この図書室には現代小説など一冊もなく、古書しか扱っていない。今時、そう言った類のものだけが置いてある所を利用する生徒は誰もいないだろう。
だが、一番の理由は、やはりこれだろう。何と言ってもこの図書室、今から約十年ほど昔にある事件の現場となった所なのだ。
愁がこの図書委員に入って間もない頃、たまたま図書委員長と話をする機会があり、その時に聞いたものなのだが、昔、此処で男子生徒二人が良い争いから始まった喧嘩のせいで片方の男子を殺してしまったらしい。それ以来、この図書室には死んだ男子生徒の霊が昼夜問わずうろついている、何て言う噂が流れたのだという。
しかも、殺してしまった男子生徒も、その後に行方をくらまして今も何処にいるのか、もう死んでいるのかさえも分かっていない。
最初はただの噂だろうと愁は思っていたが、あながちそう言った噂も時には事実と言う物があるんだなあと、しみじみ思っていたりする。
「にしても本当にいるなんてな。よっぽどこの場所に強い思いを抱いていたんだな」
麻野には聞こえない程度の声で呟くと、ちらりと横を見る。
そこには、色素がかなり薄い眼鏡をかけたちょっと地味な男子生徒の姿が。
愁の言葉に反応したのか、こくんと縦に頷く。
最初、この男子生徒の幽霊――ちょっと難しい言葉を使えば男子生徒の残留思念にいきなり会った時は驚いたものだったが、今ではすっかり慣れてしまった。
元々、自分はそう言ったものの中で生きているのだ。驚いたと言っても、真昼間から出ているのに驚いたという事だけだ。
「それにしても、お前って無口だよな。なんか喋んないの?」
この少年は自分からはほとんど何も話さず、ただ無言で受付に座っているだけだ。別に人に乗り移って悪さしたり、呪い狂わせようなんて事はしない。ただただ大人しい幽霊くん。最初はどうしようかと悩んでいた愁だったが、彼のこの様子を見て何もしなくても大丈夫だろうと結論付けた。
それにしたって、何か一言ぐらい喋ってもよさそうなのにと毎度思うが、まあ無理に話した所でいったい何になるのだろうかと思う気持ちもあり、結局、愁が一方的に話してそれに小さく返答する。という方程式が成り立っている。
「・・・・・郷凪先輩」
「まったく・・・・・ん? ああ、麻野か。どした?」
近くに麻野がいる事を少し忘れて少年と会話をしていた愁だったが、呼びかけられて意識をそちらの方に向ける。
「あの、ちょっと聞きたい事があるんです」
「聞きたい事? 答えられるものだったら何でもいいけど」
珍しく歯切れの悪い彼女に首を傾げながらも、質問の内容を聞く愁。
「その、ですね。雄真くんの事なんですけど・・・・・」
「雄真の?」
「はい・・・・・」
途切れ途切れになりながらも、話し続ける。
「えっと、雄真くんって、好きな人がいるとかって、知ってますか?」
あまりにも突然だったが、質問の意図が読めた愁。どうやらこの少女――麻野絵里は雄真の事が気になっているらしいという事を。
成程と愁は納得する。確かに雄真は異性から好意を持たれる事が多いだろう。文武両道で人柄も良し、更に控えめな所も好感だろう。といっても、それは彼の一面名だけなのであって、全てではないのだが。
「んー、そんなの聞いた事ないな。あいつとはそういう話はしないからな」
基本、色恋沙汰には疎い愁なので、そう言った類の話をすることは滅多にない。あったとしてもそれは相手から振られてくるものであり、決して自分から話すことは無いに等しい。そしてそれは雄真も同じであり、彼もまたそう言った事には詳しくない。
とは言う物の、愁の「疎い」と雄真の「疎い」は天と地ほどの違いがあるが。
「そうですか・・・・・。すいません、急にこんなこと聞いて」
「気にしなさんな。まあ、とりあえず一人で頑張ってみ」
「はい。ありがとうございます」
ふっきれたのか、麻野の表情は先程と違って晴れやかだった。
「さてと、もうそろそろ終わりで良いんじゃないか? ちょうど良い時間だと思うけど」
と、時計を確認してみると、時刻は四時半を切っていた。
「本当ですね。じゃあ、終わりにしましょう」
「あ、鍵は俺が返しておくから、先に帰っていいぞ」
「えっ、いいんですか?」
「いいのいいの。たまには先輩らしいこと一つぐらいさせてくれ。このままだとお前が先輩みたくなっちまうからな」
「あはは。じゃあ、お言葉に甘えますね」
それじゃあ、と言って図書室を後にした。
それを見送った後、さて自分もと少し片づけを始めた時、
「・・・・・郷凪君」
不意に、受付に座っている幽霊が話しかけてきた。
「ん、どうした? って、珍しいな。お前から話しかけてくるなんて」
「・・・・・言っておいた方がいいと思ってね」
「何を?」
「四階にある例の扉と部屋の事について」
そう言われた途端、ぴたりと愁の動きが止まる。と言うより、辺りの時間が少しだけ止まったような気がした。
「どんなことについて?」
「・・・・・僕はさ、別に此処だけにいる訳じゃないんだ。たまに授業中に学校の様子を見て回っているんだけど・・・・・」
一拍置いて、言葉を繋げる。
「最近、あそこら辺がなんか変なんだ。一体なんだろうかなって思って色々見てたんだけど、結局何にも分からなかった」
「・・・・・変、か。それは確か?」
「うん。間違いないよ。だから、あそこに行くのはよしておいた方がいいと思うけど・・・・・まあ、君なら何の心配もないとは思うけどね」
小さく微笑む幽霊。その笑みには親しみが込められている。
「ふむ・・・・・情報ありがとう。まあでも、止められるもんならとっくに止めてるけどな」
「はは。それは違いないね。澤地さん、だっけ。彼女、とっても好奇心が強いんだね」
「そうなんだよ・・・・・っていうか、お前、何でその事を知ってるんだ?」
すると、幽霊は申し訳なさそうな顔になる。
「ごめん。昨日、たまには屋上にでも行ってみようかなって思ったら、君たちがいたからつい」
「・・・・・成程ね。ま、別に聞かれてまずい事なんて無いけどな」
片付けが終わり、自分の鞄を持つ。
「さてと。じゃあ俺も帰るわ。っと、そうだった」
「?」
「名前。教えてくれないか? もう一カ月経つのに、名前を知らなかった事を今思い出した。だから、名前を教えてくれ」
幽霊はびっくりしたように愁を見ていたが、やがてまた小さく笑いながら、
「・・・・・匠。毛利匠。毛利元就の毛利に、師匠の匠」
幽霊――毛利匠は自分の名を言った。
さて、昼が過ぎて現在夜の時。
愁は桜花と待ち合わせをして学園の校門前に来ていた。
家を出る際、俊瑛に「こんな時間に何処に行くんだ?」と呼びとめられたが「ちょっと学校に」と正直に言うと「そっか」と一言。それだけで難無く通してくれた。眞由莉と絢香は特に何も言わなかった。と言うのも、二人は今話題のドラマに夢中になっていたのだ。
葵との約束の時間は疾うにに過ぎており、愁は家から持ってきた文庫本を読み、桜花は特に何もせずただぼんやりと、満月が浮かぶ夜の空を見上げていた。皐月の時でありながら今日の夜は何故か冷え冷えとしており、愁にはそれが、これから何か起こるのでは、と言う予兆のように感じていた。
「・・・・・普通、約束した奴の方が早く来ないと駄目な気がするんだけど」
「う〜ん。でも、準備とか色々あるんじゃないの?」
「準備って言ったって、懐中電灯があれば十分じゃないか?他に何が必要なんだか」
「幽霊がいたときの為に捕獲装置を用意しているとか」
「それはお前、ゲームのパクリだろ。完全に」
一応つっこんだ愁だが、葵ならやりかねないんじゃないかとも思っていた。
「それにしても、なんか今日は寒いね。上に羽織る物でも持ってくればよかったかな」
「そうだな。五月なのに何か寒いな」
二人は学校に行くという事で制服を着ており、上着などの羽織るものを何も持ってこなかった。
「うん・・・・・。ところでさ」
「ん?」
「それなに?」
と、桜花が指さした先には若葉色の竹刀袋に入れられた「何か」が立て掛けられていた。長さは七十〜八十センチくらいだろうか、形状は長い何かとしか分からなく、待ち合わせた時には愁の手に握られていた。
「ああこれか。これは竹刀だよ」
「竹刀?」
「お前、葵が言った音の正体が人間だったらどう思う?」
「えっ、そりゃあ、おかしな人だな〜って思うけど」
「だろ? まあ、いきなり何かしてくるとは限らないけど、用心に越したことはないからな」
「ふ〜ん、そっか」
そう言うと何所か意地が悪そうに微笑む。
「なんだかんだ言って、愁は優しいよね」
「? 何だいきなり」
「べっつに〜。何でもないよ」
いまいち意味が分かっていない愁は小さく首を傾げるが、ふと、どこからか自転車の走る音が聞こえてきた。だんだんとその音は大きくなり、こっちに近づいてくる。
やがて姿を現したそれは、同じ制服姿の葵だった。
「やっほ〜。葵ちゃんとうじょう〜」
「やけに遅かったな。まさか本当に捕獲装置を・・・・・」
「ほえ? なんのこと?」
「あ、いや。こっちの話だ」
?マークを頭の上に浮かべて考えていたが、やがて愁の自転車に横付ける様に止めると、腰に手を当てて鼻をふんっ、と鳴らす。
「さて!いよいよ調査開始だね。張り切って行くよ〜!」
「張り切りすぎて空回りしないようにな」
「わかってるよ〜。むう、なんか愁くんが槙人になったみたい・・・・・」
「一応心配して言ってるんだから、素直に受け取っとけ」
「はいはい。ん、それって・・・・・竹刀?」
壁に立てかけておいて竹刀を見る葵。
「そうだけど。どうかしたのか?」
「ん〜いやさ。愁くんも結構張り切ってるんだな〜って思って」
「別にそういう訳じゃ――」
と言いかけてやめる。葵に言い訳を行ったところであまり効果はない。それどころか複雑化させてしまうだけだ。そのことは一年間を通して経験済みの愁である。
「まあいいや。とりあえずさっさと終わらせよう。早く帰って寝たいし」
そう言って竹刀を右に持ち、左手に懐中電灯を持つと、校門に手をかけてそっと上り、むこう側へと静かに落ちる。桜花と葵もそれにならって学校に侵入する。
「えっと、ここからはどうするの?」
「はいはい。そこは葵ちゃんにお任せってね」
そう言うと、ついてこいと手招きする葵。
なんでも、葵が下校の際にこっそり開けておいたという多目的室の窓からこっそりと入った三人は、目的の部屋がある四階へと続く階段を上がる。
暗いということは予想していたが、暗いうえに学校と言う場所が関係しているのか、いつも普通に歩いている廊下でさえ不気味に感じてしまう。懐中電灯の光があるとはいえ、逆にそれさえもこの風景の一部なのではないかと思う。
「うー・・・・・やっぱり夜の学校って怖い」
「確かに・・・・・やっぱりなんか不気味だな。学校っていう感じがしない」
「そう?私は余計わくわくしてきたな〜。まるで、ラビュリントスを進むテセウスになった気分だね」
と、緊張感のない声でギリシア神話を例えに言う葵。
「ラビュリントスって、クレタ島の王ミノスの妻であるパシファエが雄牛と交わって生んだミノタウロス幽閉するために、天才的工人と言われていたダイダロスに命じて造らせた迷宮だよな」
「うん。すっごく複雑な構造で、一度中に入ると簡単に出られないって、前に読んだ本に書いてあったよ」
「ああそうだな。でも、実際に脱出した奴はいるけどな」
「えっと・・・・・テセウスとイカロス、だっけ」
「ああ。テセウスはミノス王とパシファエの娘であるアリアドネからダイダロスが作ったと言われる糸で。イカロスもまた、ダイダロスが作ったと言われる蝋で固められた翼で。でも、イカロスは歌でも歌われているように、興奮のあまり太陽に近づきすぎて蝋の翼が溶けて海に落ちて死んじゃったけどな」
「親の言う事は聞いておくものなのにね〜」
「まったくだな。俺なんて母さんにそんなことしたら命が幾つあっても足りないっての」
と、いつの間にか学校に忍び込んでいるという事実を忘れて語り合っている愁と葵。
そんな二人を、桜花は横で複雑そうな表情をしてみていた。
「テセウスってひどいよね。献身的に尽くしてくれたアリアドネをナクソス島に置き去りにするなんて」
「でも、アリアドネはそこでディオニソスと結婚して・・・・・ん?どうした桜花」
いつの間にか、桜花が愁の腕に抱きついていた。顔を伏せていてどんな表情をしているのか分からないが、何故か耳が真っ赤になっていた。
「・・・・・別に」
「?」
愁はいつもと違う桜花の様子に首を傾げたが、隣にいる葵は、優しく小さく微笑んでいた。
そうしているうちに、いつの間にか目的の場所に来ていた。三人の目の前にあるのは重厚な造りをした両開きの扉。重く、ずっしりとしたそれだけで、周囲とはまったく違う場所・時間に来てしまったのではないかと錯覚してしまう。更にそれによるが生み出す暗闇が加えられ、それは取っても不気味な「何か」を発していた。
「そういえば、今さら何だけどさ」
「ん? どったの愁くん」
「お前が聞いた噂って、わざわざ夜の校舎に忍び込んでまでしてようやくお目にかかれるものなのか? 別に放課後に此処に来てもよかったんじゃ・・・・・」
「えっ?」
愁の言葉に何故か驚く葵。
「お前・・・・・まさか忘れてた、なんてことはないよな」
「あ、あはははは。そんなわけ、ないよ」
完全な棒読みに愁はじとーっとした目を葵に向け、向けられている本人はそれを逸らすように別の方向を見る。
「ま、まあ大丈夫だよ。ああゆうのって、やっぱり夜に出てくるイメージがあるし」
「いや、イメージとかそういう問題じゃあ――」
「――聞こえる」
その時。ずっと黙ったままだった桜花が、扉をまっすぐ凝視したまま言った。
「えっ?聞こえるって・・・・・桜花?」
いつの間にか扉の近くに立っていた桜花はそれを、まるで壊れ物を扱うかのように優しく、そっと触れる。
「この先に、何かいる・・・・・」
「ほんとう!? やっぱり何かあるんだ!」
葵は桜花に抱きつくように驚き喜んでいるが、愁はその言葉を聞いて表情が一変した。
『この子は特異体質ですね。この子は――に――えないものや――ものも――で感じるはずです』
「・・・・・やっぱし、そうだったのか」
ふうっ、と溜息をつき、苦虫をかみつぶしたような顔をするがそれもほんの数秒の間だった。
「・・・・・気にしても仕方ない、か」
「愁くーん、何やってるの? 桜花ちゃん先に入っちゃったよ」
今更ながら小さくぼそぼそと言う葵。どうやら考えていたときに行ってしまったらしい。
愁は頷くと、葵と共に部屋に入っていった。
夜の空に浮かぶ満月が地上を照らしている。その光は微弱ながらも、強い力を秘めていると昔の人々は思っていた。
「・・・・・」
そんな月をある場所で眺める一人の男。黒い薄手のコートを見に纏い、夜でありながらも月の微弱な光によって幻想的な明かりを出している銀髪。
そしてその表情には、感情といったものが一切なかった。
「・・・・・綺麗だな」
そう呟いた言葉でさえも、無機質なそれに近い。
「月というものはいつ見ても綺麗だな」
違う言葉でも同じ言葉。
「・・・・・ようやく来たな。郷凪愁」
男はその場に腰を下ろす。
そこは、愁が昼に寝ていた場所――学校の屋上だった。
「今日この時。お前はこの世界の予定された運命という鎖から解き放たれた、束縛から解放されし者になった・・・・・」
機械が喋っているような、そんな声で呟く。
「お前はどんな物語を私に見せてくれるんだ? どんな物語を書くつもりだ?」
言い終えた途端、男の姿はそこにはなかった。
タイトルも少し変えてみました。内容も最初の方を付け加えたりと、結構変わっていると思います。自分的には、前のよりはましになっていると思いますが・・・・・
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