十一話:打ち明けたその先に
「・・・・・館長さん?」
桜花の口から出てきた感想。館長だから何なのか、と含まれた言葉だった。
「雄真。俺らはその意味を分かってるけど、桜花に言ったって分からないっての」
「あっ、そうでした。すみません」
申し訳なさそうに謝る雄真。
立って話すのも何なので。と言った雄真がここにいる人間を全員、近くにあったテーブルを囲むようにして座っている。いつの間にか用意したのか、冬実が紅茶を用意していた。「こう言う時にはうってつけなんですよ」と言いながら差し出された琥珀色に輝くそれは、重くなった空気をほぐすのに十二分の効果があった。
「うむ。ふゆみんの淹れる紅茶は本当に美味いな」
「ありがとうございます。御代りもありますから言ってくださいね」
「あ、冬実さんおかわり」
「早っ! 愁ちゃん早すぎだろ」
こうして見てみると和気藹々な感じがするが、実際問題、この空気を和らげようとしているのであり、そしてそれはあまり効果のないものだった。
「ま、簡単に言えば此処で一番偉いのが雄真なんだよ」
「へえ」
至極簡単な愁の説明を聞いて、感心するように雄真を見る。その視線を受けている本人は「いえいえそんな」と顔を赤くして否定している。
「僕なんてまだまだですよ。そんな大層なものじゃありませんって」
「まあそう言いなさんな雄真ちゃん。雄真ちゃんは正真正銘、この霽月館の館長なんだから。もっと自信を持てい」
「いや、それはそうなんですけど・・・・・」
すっかり委縮してしまった雄真。
桜花はその姿を見て、学園で会ったときや一緒に遊んでいる時の姿と何ら変わりないと思う。いつも丁寧語で話して、自分の事をいつも下に見てしまう癖。それらすべてが普段の雄真と重なって見える。
――だったら、愁は?
愁だって、雄真くんと一緒のはずなのに。そう見る事が出来ない自分がいる。
雄真くん以上に、愁とは一緒にいたはずなのに。
こんなのは、やなのに。
とっても辛い。
「えっと、桜花さん?」
「・・・・え、なに?」
「あの、今から話そうと思って・・・・・大丈夫ですか?」
心配そうに見る雄真。
気付け桜花以外の全員が「話」を聞く態勢になっていた。
「ご、ごめんね。ちょっとボーっとしちゃって」
「・・・・・」
雄真は何か言おうとしたが、結局何も言う事は無く話し始める。
「では始めに、この場所について説明しますね。先程、桜花さんが愁さんと一緒に入った国立公文書館の真下に此処がある事は分かりますね?」
「うん。すっごい長いエレベーターだったね」
「ええ。約五キロはあると言われています」
とんでもない長さであった。それを聞いた桜花は目を真ん丸にする。
「そして、この場所ができた年ですけど・・・・・これは正確な記録が残っていないんで憶測にすぎませんが、十八世紀後半だと言われています。ちゃんとした記録があるのは、そこから百年経った後なんですよ」
十八世紀後半。かの有名な坂本竜馬や勝海舟、西郷隆盛などの幕末の偉人たちが存在していた時代。歴史に興味があまりない人たちでも大多数の人が知り、また興味をひかれる時代。その時代からこの場所が存在していることに桜花は純粋に驚いた。
「まず、この場所の目的ですが・・・・・桜花さんは昨晩、学校で影のようなものが立体化したようなものを見ましたよね」
「う、うん」
「あれは想影と呼ばれる、下級に属する実体を持った幽霊みたいなものです」
「実体を持った、幽霊みたいなもの?」
「はい。あれが出現する原因は今のところ、はっきりと分かっているわけではありませんが、あれは、人の負の感情が集積して生まれた存在だと言われています」
負の感情。そう言われて桜花は心当たりのようなものがあった。
あれを見た時、風が突然吹いて来たような悲しみが自分に押し寄せてきた感覚になった。
とっても苦しい。まるで深い深い海の底にいるような、そんな感じ。
上がろうとしても、全然たどり着けない。もがいてもがいて、でも届かない。だんだんと酸素が無くなって来て、苦しくなってくる。
そして最後には、ただの真っ暗闇。
そこには何にもない。ただただ暗いだけ。
「想影は完全には倒せません。生まれてくる源が人の中にあるんじゃどうしようもないですからね。もし完全に消滅しようとしたら世界中に核爆弾を討ちこめば済む話ですけど」
「ははっ、それは無理な話じゃろうな」
雄真の言葉に笑う恵。笑い終えると、雄真の話を引き継ぐように話し始める。
「話がちょいとずれたな。まあ要するに、桜花ちゃんが見た想影のように、この世には物語だけに登場するような怪物や精霊、魔法が存在する。それらを保護や守護、もしくは破壊・討伐する。それ以外に、魔法に関する書籍や魔道具なんかも保管している。ここの書架にあるのは大抵その類の書籍じゃな。以上、それが霽月館――というより、世界各国の国立図書館が存在する理由なのじゃよ」
「世界各国、ですか?」
「そうじゃ。この日本だけじゃない。アメリカの議会図書館やイギリスの英国図書館なんかにも、この霽月館と似た場所が存在する。それらはすべて情報を共有していて、その繋がりを書籍館同盟と呼んでいる。霽月館もそれに加盟しておる。この日本にただ一つの異形専門書籍館じゃからな」
「そして、その書籍館に属している人たちの事を『司書』と呼びます。つまり、僕や愁さん。というよりも、ここにいる桜花さん以外の人は全員、司書という事になります」
雄真と恵の話を聞き終えた後、桜花は愁の方を向いてじっと見る。その眼は本当の事なのかと訴えかけていた。
それを見た愁は小さく溜息をつくと、小さく苦笑う。
「雄真の言う通り。俺は六年くらい前、かな。そん時はまだ見習いだったけど。でも、剣を習い始めたのは三歳くらいかな」
そう言った後、桜花にだけ聞こえるように小さく「ごめん」と呟く。
「じゃあ、おじさんとおばさんは?」
「あの二人も昔は司書だったんだ。正確に言えば、親父がある依頼を受けていた時に偶然巻き込まれたのが母さんだったって聞いた」
「そう、なんだ・・・・・」
七年。そんなに昔から愁はあの異形の怪物と向き合っていた。
今思えば、愁はその時から何故か傷を作っていた。それは、怪物との戦いで作ったものだったのだ。
自分の知らない所で、そんな危ない事をしていたのだ。
その時、自分はいったい何をしていた?
時々、何かおかしいと思うことはあった。でも、思うだけで終わっていた。
気づいてあげられなかった。
愁の事だから、悟られないように隠していたのだろう。
でも、それでも、あんなに近くにいつもいたのに、それに気付けなかった。
この時、桜花は生きてきた中で一番、自分を恨んだ。
「・・・・・なんか、すっごく規模が大きくて想像つかないです」
桜花の溜息を含めた言葉。それを聞いた雄真は小さく苦笑い。
「まあ、それが普通ですよ。いきなりこの状況を理解しろ、なんて言うほうが無理なんですから」
「そうじゃな。でも、桜花ちゃんは結構落ち着いていると思うぞ。立派なもんじゃ」
感心するように恵が言う。
「そんなこと、ないです。その逆です。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのか分からなくて・・・・・」
だんだんと沈んでいく声に愁は何も言う事なく、ただ桜花の事を見ているだけ。ただそれは、何もしないというより、何をすればいいのか分からないだった。
再び沈黙が流れる。誰もがどうしようかと思いつつも何を話したらいいのか分からないでいたその時だった。
「・・・・・そろそろ戻る」
と、短くそう言って飛鳥が席から立ち上がり去ろうとして、この場に止まっていた時間を動かす。
「そうじゃな。私もやる事があったの」
「私も、少し確認したい事が」
「僕も使いたい資料があるので書架の方に行きます」
それを皮切りに次々とこの場から去ろうとする司書たち。それを何も言えないままただ見ているだけの二人。
「・・・・・もうお前は答えを見つけている。だから、迷うな」
「へっ?」
桜花の後ろを過ぎていった飛鳥がぽつりと、ただの一人事だと言わんばかりの声量で呟く。
バタン。と、扉の閉まる音。
そして、ここには二人きりとなった。
「・・・・・」
「・・・・・」
沈黙。静寂。沈黙。静寂。
雄真たちが部屋を出ていってから十数分。互いに何も話さずにずっと黙っていた。
沈黙。静寂。沈黙。静寂。
二人はいま、近くにあった大きいソファにテーブルで挟むように座っている。
沈黙。静寂。沈黙。静寂。
愁は紅茶の入っていないカップを手にとっているだけで、桜花もただ俯いているだけ。
沈黙。せいじゃ――
「・・・・・なんで」
「・・・・・ん?」
「なんで、司書になったの?」
ようやく破られた沈黙と静寂のデュエット。それを破ったのは桜花だった。
「聞かせて。何でこんなことをしているのか。おじさんがやってたから自分も、何て答えはダメだよ」
「・・・・・駄目?」
「だ~め」
くすりと微笑む桜花。久しく見ていなかった笑顔、と言っても半日だけだが、それを見た愁は重しが取れたような、そんな気分になる。
「愁の事だから、そう言う理由じゃないんでしょ?」
「何でそう思うんだ?」
「今まで、どれだけ傍にいたか忘れちゃったの? そのくらいなら分かるよ。だって、愁だもんね」
その言葉が、愁の中に入り、伝わり流れ、浸透していく。
・・・・・やっぱり、敵わないな。
心の中で呟く。やっぱり、隠し事は出来なかった。
せめてもう少し、と思っても、神様はもう許してくれないだろう。
もう物語は動いてしまったのだから。
「そうだな・・・・・。まあ、確かに色々と理由はあるよ。でも、その中で一番、大きい理由として挙げるなら」
「挙げるなら?」
「お前を守るため、かな」
「・・・・・へっ?」
予想していた答えとまったく違う事に驚く。
「私を?」
「そう。お前を」
そう言うと愁はソファから立ち上がり、桜花の隣へと移動する。一瞬、ドキッとしたが、愁はそれを知ってか知らずか、互いの体が触れるのではないかと思うくらい、近くに座る。
「俺は最初はさ、司書になる気は全くと言っていいほど無かったんだ」
「そう、なの?」
「ああ。親父や母さんがそう言う事をしている事には、すっごくかっこいいな~、って思ったりはしていたけど、自分も同じ事をやりたい、とは思わなかった」
それの大切さを知るまでは、だけどな。
その言葉を呟いた愁の表情は何処か、自分を卑下するような、自嘲するような、そんな顔だった。
「七年くらい、だったかな。お前、怪我して入院した事あっただろ?」
「えっ・・・・・ああ、あれかな。車に轢かれちゃった時だったっけ」
突然の回想。それが何を指すのか分からずも、桜花は記憶の糸を手繰り寄せる。
正確に言うと、七年と一月前。桜花は車に轢かれて入院したと言う事になっている。なっている、というのは、その時受けたショックで桜花自身がその事を覚えていないから。
退屈な病院での生活で唯一の楽しみだったのが、愁が御見舞に来てくれることだった。桜花が入院していた病院と愁の家はかなりの距離があったが、毎日毎日遅くまで、愁は桜花の隣にいてくれた。今思い返せば、それはとても凄い事だという事がはっきりと分かる。
「うん。でも、あれは事故なんかじゃないんだ」
「事故じゃない・・・・・?」
「そう。あれはさ、桜花が化け物――もとい魔物に襲われて出来たやつなんだよ」
その言葉に桜花は目を丸くする。
襲われた? 化け物に? 七年前に?
全く記憶にない話に戸惑う桜花だったが、それを気にせず愁は話し続ける。
「いつもみたいに公園で遊んだ後、一緒に帰ろうとした時に突然、な。色々親父たちから話を聞いていたからすぐに分かったよ。でもさ、」
一拍置き、そして、
「足がすくんじゃったんだ。情けない事に」
笑っていた。でもそれは、喜びや楽しみではなく、自分への憤り。ただそれしかなかった。
「知らなかった・・・・・そんな事があったなんて」
「襲われたショックでその時だけの記憶が無くなったって、冬実さんが言ってたよ。まあ、その方がバレないでその時は良かったんだけどな」
「冬実さんが?」
「その時の怪我を見てくれたの、冬実さんだったんだ。まだ入りたての頃だったんだけど、その時から凄かったって親父が言ってた」
「そう、なんだ」
冬実に最初にあった時「一応、初めましてですね」という言葉の意味がようやく分かった。昔、桜花は冬実に会っていた。その時は意識がなかったけれど。
「でさ、見てもらったときに、お前の中にある種の『力』があることが分かったんだ。いや、力って言うより体質、とでも言うべきなのかな」
「えっと、それって・・・・・」
「冬実さんが言うには・・・・・お前は精霊とか、そういう霊的なものに好かれやすい体質なんだってさ。詳しくはよく分からないんだけど」
ふうっと、息をつく。あまり言いたくないという事がはっきりと伝わってくる。
「どうもその時に、その力が目覚めたらしくて、それに惹かれて化け物が現れたらしいってさ」
「・・・・・」
「でもさ、はっきり言ってそんな事には興味ないんだ。桜花は桜花に変わりは無いし。ただ、その時何もできなかったのが悔しかった」
その時の事を思い出しているのか、唇を噛む。
「その時思った。あの時感じた恐怖は、自分が死ぬ事にじゃなくて、桜花が目の前から、俺の傍からいなくなっちゃう事に感じた恐怖だったんだって」
ただその時は、後悔ばかりした。
俺は知っていた。俺は力を持っていた。俺は守れる力を持っていた。
なのに、戦わなかった。守ろうとしなかった。恐怖に押しつぶされてしまった。
その時すぐに駆けつけてくれた親父たちがいなかったら、俺もやられていた。
自分の身一つも守れない、愚かな奴。子供だったから、なんて言い訳は通用しない。そんな事で納得してしまってはいけない。
その時だった。誰かを失ってしまう恐怖と、傍にいてくれていることが当たり前だった事に。
そしてそれが、自分にとってどんな事よりも大切だと言う事に。
「これが俺の隠し事。なにか感想はある?」
「・・・・・」
桜花は何かを考えるようにただ黙っていた。
愁はそれを見て、そりゃ考えるよな、などと、まるで他人事のように心の中で呟く。
いきなりこんな事を言われて、いきなり答えを出せなんて、普通は無理だ。それは仕方ないと思っているし、別にこのままでもいいと思っている。
ただ自分は守るだけだ。昔誓ったことを守るために。目の前にいる人を守るために。
でも、こんな理由で戦う俺って、ただの馬鹿なのかな。誰かを守るためなんて、今どき三流のファンタジーか、って話になるのかな。
それでも構わないんだけどね。
馬鹿でも全然構わない。だってこれは、俺が選んだ選択なんだから。
「・・・・・愁ってさ」
沈黙を破るように、桜花が口を開く。
「ほんっとうに、バカだよね」
「・・・・・へっ?」
桜花の顔を見る。何故か、本当に何故か、桜花の大好きなミルクレープをこっそりと食べてしまった時のように。
はたまた、昼休みの時間に桜花の弁当のおかずを食べてしまった時のように怒っていた。
「ほんとにそう。いつもいつも、自分で勝手に決めて自分で勝手にやる。心配掛けたくないって言って誰にも何も話さないで自分でほいほい進めてさ。別に誰にも迷惑や心配なんてかかんないのに、いっつも、いっつも自分でやって、勝手に終わって・・・・・ホントにもうっ!」
洪水のごとく、桜花の口から溢れ出る罵詈雑言。それをただ茫然と聞くしかない愁。これはさらに続いたが、言っていることはどれもみんな似たり寄ったりだった。
たまらず、仕舞には目を閉じて、ただただ聞いていた。
「ほんっとうに、いつもいつもいつもいつも! どうして・・・・・」
途中で言葉が止む。どうしたのかと思いうっすらと瞼を開けてみると、
そこには、ぼろぼろと涙を零している桜花がいた。
「・・・・・おう、か?」
その光景に驚く愁。桜花は、涙を流していた。
「なんで・・・・・なんで、そんなに頑張って、そんなに傷ついて、私を守ろうとするの? ねえ、なんで? なんでそこまでして・・・・・」
そこで言葉が途切れる。ぷつりと、糸が切れたように。
後はただ、涙を流すだけ。
「・・・・・えっと。まあ、何というか」
桜花の体が、愁の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「そりゃ、さ。うんん。ほら、大切な人だから」
ただ、それだけだから。
そう言って、腕に力を込める。
もう二度と、離さないようにしっかりと。でも、壊れてしまわないように優しく。
愁の腕の中で、桜花はただ、涙を流し続けた。
一生分の涙を流したと例えても可笑しくないほど、泣き続けた。
その涙を、愁は黙って受け止めた。
どれくらい時間が経ったのか。その判断も出来なくなった頃、桜花はようやく泣きやんだ。
涙をふくように目を擦ると、晴れやかな笑顔で愁を見る。
「ありがとね、愁」
「ん? 何か感謝される事でもしたか?」
首を傾げる愁に、桜花は、
「うん。とってもとっても、ね」
結構遅くなってしまいました・・・・・このままだとやばい・・・・・